次期国王は独占欲を我慢できない
 会いたい、とは思っても、そう簡単にはいかないのだ。
 特に、アリスが仕事に戻ってしまうと、生活の全てはベアトリス中心になる。食事など、王族の全員が集まる時もあるが、下っ端侍女のアリスは同行することがない。
 ただ、アリソンが侍女を辞めたという話は、瞬く間に広がり、その日のうちにアリスの耳にも入った。

「なにがあったか知らないけれど、いい気分だわ。空気まで美味しく感じる」
「まぁ、サラったら……。でも、確かにそうね。わたくし達でさえそう感じるのだから、ラウル殿下の侍女は皆そうでしょう」
「あの〜、お辞めになったのはアリソンさんだけなんですか?」
「ええ、そう聞いているわ。新しい侍女頭は、ナディアという子よ。アリソンが来てから少し萎縮していたけれど、侍女歴も長いし既婚者だし、一番適任なのではないかしら」
「そうですか」

 ナディアというと、あの夜アリソンと一緒にいた侍女だ。フォンテーヌ侯爵から頼まれていたのだと口走ってからは、全てを諦めたように大人しくメアリの指示に従っていた。
 確か、彼女は家への援助と引き換えに、と話していた。既婚者ということは、夫の家が大変なのだろうか。そうなると、彼女自身も王宮での仕事を失うわけにもいかず、苦渋の選択だっただろう。

「なぁに?アリス。ラウル殿下の侍女を知っているの?」
「それは、あれよ。ほら、休養中に毎日ラウル殿下がお見舞いにいらしていたから」
「そうよそうよ!ねえ、もうだいぶお親しいの?」
「えっ!?」

 話の矛先が急に変わり、アリスは慌ててして首を振るも、頬が赤らんだのを見逃してはもらえなかった。

「赤くなったわ!ねえ、アリスもお好きなんでしょう?」
「アリス“も”ってなんですか⁉」

 その言い方では、ラウルがアリスに好意を持っていることが前提になってしまうではないか。

「あー、それは……ね」
「うん。実はアリスが強盗に襲われた日、わたくし達もお叱りを受けたの。『君たちはなにをしているんだ。仲間だろう。アリスが個人的に君たちになにかしたって言うのか』って」
「冷たい怒りと言うのかしら、あの迫力はすごかったわ」

『君たちはアリス本人を見ているのか?違うだろう。彼女が辿ってきた道程が面白くない。それだけで、こんな目に遭わせるのか。アリスは君たちにそんなことをしたか?不思議な縁のめぐり合わせに、誰よりも戸惑ったのはアリスだ。それでも彼女は笑顔で前に突き進む。それが、彼女に出来る唯一のことだからだ。それは、いつも小さな一歩だった。君たちは、それすら許せないと阻止するのか?踏みにじるのか?面白くない、というそれだけの理由で?』

「……すごく、ショックだったわ」

 まさか、そんなことがあったなんて思わなかった。

「その時、ラウル殿下はアリスに惹かれてるんだって思ったの。少し妬ましい気持ちがないわけではないわ。でも……見つけてくれないかしら、気づいてくれないかしらって、思っているだけでなにもしなかったわたくし達が、目に留まるわけがないのよね」
「でも、アリスはいついつそんなに親しくなったの?確かに毎日お見舞いにいらしていたけれど、わたくし達が殿下にアリスのことを言われたのはその前でしょう?」
「ええっと~、それは……」

 困った。なんと応えよう?
 説明するには、ラウルが変装して王宮のあちこちに出没していたという話もしなくてはならない。
 どう説明したものかと考えあぐねていると、ちょうど良いタイミングでドアが叩かれた。

「アリス、ベアトリス様がお呼びよ」
「はい、ただいま」

 内心ホッとしながら、部屋を出る。
 このところ、ベアトリスは舞踏会に向けてダンスの稽古や、肌の手入れ、髪型の研究など余念がない。あまり休めていないのではないかと心配もするが、本人にとっては苦ではないらしい。むしろ活き活きとし、身体の内側から輝いているようにも見える。
 アリスがアレンジしたグラデーションのドレスも、とても気に入ってくれた。もう二日後に迫った舞踏会だが、あのドレスを着て着飾ったベアトリスを見るのが、今から楽しみだ。

「ベアトリス様、お呼びですか?」
「ああ、アリス!良かったわ。わたくし、すっかり忘れていて……。あのね、今宵あなたに頼みたいことがあるの」

 少し焦った様子のベアトリスに、何事かと急いで近づく。だが、その用事とはマルセルのところに行き、取って来て欲しいものがあるということだった。しかも、指定された時刻がかなり遅い時間だ。

「ええと……その時間でないと、ならないのですね?」
「ええ。そうなの。ええっと……アレよ。マルセルが今日は一日用事で留守にしているの。帰宅が夜になるんですって」
「はぁ……。夜遅くとはいえ、わたくしが代わりでよろしいのですか?」
「いいの!わたくしは舞踏会当日までマルセルに会わないわ!」

 ベアトリスは、ギリギリまで自分を磨き、当日大人っぽくドレスアップした自分を見て欲しいのだという。

「会いたいのは山々なのだけれど、こう……なんていうの?焦らし?そういうのも必要だと思うの。マルセルにも、わたくしに『会いたい』って思ってもらいたいから」
「かしこまりました。用事の方は私にお任せください」


 * * *


 指定された時間よりも少し早めに、アリスは部屋を出た。
 まだ建物内だというのに、昼間とは違う冷えた空気が頬を刺す。マントで首元をしっかりと隠すと、歩きだした。
 途中行き会う警備の兵が、「こんな時間に出かけるのかい?」と声をかける。それに笑顔で答え、外に出た。
 降り積もった雪を踏みしめながら、マルセルのところへと向かう。ランプを持つ手がかじかみ、鼻が冷たい。吐く息の白は、あっという間に夜の闇に吸い込まれる。冬の静寂の中で歩くと、いつもよりも遠く感じた。
 マルセルのいつ詰所には、まだ明るく暖かい灯りが煌々とつき、見ただけでホッとした。
 軽くノックをすると、すぐに応答が返ってくる。

「おう」
「マルセルさん、こんばんは。アリスです」

 いつものように笑顔で挨拶したが、出迎えたマルセルは仏頂面で「遅いぞ」と文句を言った。
 指定の時間に間に合うように出て来たアリスは、いきなりの非難にわけがわからず、ポカンとする。

「さすがにもう帰っちまったじゃねえか」
「え?あの……なんのことですか?」

 状況が呑み込めず、呆けた声で返すアリスに違和感を覚えたのか、マルセルはドアを大きく開けてアリスを招き入れた。

「悪い。寒いだろ、とにかく入れ」
「あ、はい。お邪魔します」

 マルセルの部屋は暖炉にめいっぱい薪をくべられ、パチパチと勢いよく燃える炎は部屋全体の空気を暖めていた。思わずホッと息を漏らすアリスに、マルセルが尋ねる。

「アリス、どうして遅れたんだ?」
「遅れた?――ええと、私はベアトリス様に言われた時間に来ましたが……」
「……何時って言われた?」
「夜の九時です。遅い時間だったので驚きましたが、マルセルさんが日中用事があって、夜しかいないから、と……」
「ベアトリスめ。あいつが間違ったのか。六時だよ、本当は、六時だったんだ」

 ベアトリスが、9と6を間違えて伝えたようだ。知らなかったとはいえ、なんだか申し訳ない気持ちになる。

「ええっ!?じゃあ、マルセルさん、六時からずっと待っていたんですか!?」
「――俺じゃねえよ。アイツだ。一時間程でいいからって言われて、ここを貸したんだがな。七時過ぎに戻ってきたら、アイツがポツンとひとりで座ってた」

 マルセルがクイッと顎で示した先には、使い込まれた丈夫なテーブルがある。その上には二客のカップと、小さな箱が置かれていた。
 アリスの胸がドキンと高鳴る。

「もしかして……ラウル殿下、ですか?」

 その言葉に、マルセルがピクリを眉を上げた。

「なんだ。ようやっと気づいたか。いつだ?」
「……本当につい最近です。私、馬鹿です。そんなはずないって、ずっと頭の中で否定して、無理やり分けて見ていました」
「まあ、分かったんだから、いいじゃねえか」
「それで……ラウル殿下は……」
「ああ。それでも八時までは待ってたんだがな。アイツはあれでも忙しい身でな、さすがにもう行かなきゃならないって、乗り込んできたフレデリクに引きずられるように出て行った」
「そう、ですか……」

 簡単に会うことができない人だ。
 聞いた時間が違っていたのはアリスもどうしようもないことだが、それでもショックだった。

「そんなあからさまに落ち込むな。伝言を預かっている」
「えっ!」

 マルセルはテーブルの上に置かれた小さな箱を掴むと、ほい、とアリスに差し出した。

「ラウルからだ」
「え……。わ、私に、ですか?ベアトリス様にではなく……?」
「当たり前だろう。ベアトリス宛てなら、こんな回りくどいことしないだろ」

 まさか、自分宛ての物が用意されているとは思わず、受け取ろうと伸ばした手が少し震えた。

「これは……」
「開けて見ろ」
「は、はい」

 もたつきながら蓋を取ると、中から出て来たのは、金細工の髪留めだった。アリスが、王都に出た時に雑貨店で一目惚れした、中心に紫の石がはめ込まれたあの髪留めだ。

「これ……!私、すごく気に入って見ていました……!どうして……!」
「伝言だ。『アリスが雑貨店でこれを髪につけていた時の笑顔が忘れられなくて、あの後すぐ買ったんだ。でも、そのためか助けに駆け付けるのが遅くなってしまった。ごめん』だと」
「そんなの……!殿下の責任ではないのに!」

 あの日、ラウルは強盗対策のために王都に視察に出向いていたと言っていた。それで悲鳴を聞きつけ助けに向かったと聞いたが、その前から王都でアリスに気づいていたのだ。

「すごい……綺麗……。あの、とっても嬉しいです!」
「俺に言うなよ」

 確かにそうだが、嬉しいものは嬉しいのだ。ましてや、アリスが気に入った髪留めを、ラウルが気に留めてくれていたという大きな大きなオマケ付きだ。顔のニヤニヤが止まらない。

「そういう顔は、本人に見せてやれ。お礼も、直接言え」
「そう簡単にお会いできたりお話できれば、苦労しませんって」
「じゃあ、もうひとつの伝言だ。まったく、俺のキャラじゃねえから、これも直接言えって言ったんだが……日がないから仕方ねえ。頼まれてやる」
「えっ。なんですか?」

 マルセルがもったいぶったように、コホンと咳払いをする。

「いいか、よく聞け。『アリス。どうか、新年の舞踏会には、この髪留めをつけてきてくれ。あの時の笑顔を、俺に見せて欲しい』だとよ。うわ~、鳥肌が立つ!――おい、いいか?わかったな?」
「む、無理です」
「はあ?なんでだよ。確かにこれは、王宮で開催される舞踏会の中でも一番華やかな新年の舞踏会でつけるにゃ、安っぽいが……」
「安っぽくないです!すっごく素敵ですよ。私の宝物です。そういう意味じゃなくて……!」

 アリスは、どうしよう……と、小さく呟いた。

「私、舞踏会には参加しないんです。あの、ベアトリス様の控室のお世話をすることになっていて……」
「はあ!?」

 新年の舞踏会は、誰もが憧れる夢の舞台だ。夜におこなわれるため、王宮の勤め人たちも多数参加する。だが、一部の勤め人は裏方にまわらなければならない。会場の準備や、演奏家たちの手配、控室での世話など、なにかと人手がいるのだ。アリスは侍女の中でも下っ端ということで、自らがその世話係に名乗りを上げたのである。

「だって、まさかこんな風に舞踏会に誘われるなんて思っていなくて……どうしましょう!?」
「知らねえよ。そこのところは、なんとかしろ。ベアトリスだって、今日のことにも協力したんだ――時間は間違えてたけど――だから、お前がラウルの相手だということを嫌がってるとは思えない」

 言えば、参加を許してくれるだろうか?だが、ドレスはどうする?アリスは王宮の舞踏会に着て行けるようなドレスなど、持っていない。

「あの……ドレスもなくて……。マルセルさん、ドレス――」
「俺が持ってるわけないだろう」
「ですよね……」

 アリスはがっくりと項垂れた。
< 30 / 33 >

この作品をシェア

pagetop