次期国王は独占欲を我慢できない
 アリスは朝食の席で、慌ただしく入れ替わる面々を見ていた。中には、夜通しの仕事を終えて疲れ切った顔の者もいる。今から軽食を摂り、眠りにつくのだろう。彼女たちが着るお仕着せは、王宮内で働く人たちの物だ。こうして見ていると、必ずしも王宮内の仕事がいいとも、アリスがしている騎士訓練所の仕事が悪いとも思えない。
 騎士訓練所の仕事は、朝から夕方までと時間が決められている。
 訓練自体が日中おこなわれるのだから、当然といえば当然だ。たまに夜間訓練もあるようだが、それは季節ごとに一度行われているらしい。その翌日は、訓練所自体が休みになる。だが、王宮内の仕事はそうはいかない。王宮は眠りにつくことがないのだ。
 ちなみに、訓練に入っていない隊の騎士は、王宮の警備や王族の警護についている。国境の警備をおこなっている隊もあるようで、一言で騎士団といっても、全体ではかなりの大所帯だ。そのため、アリスもまだ会ったことがない騎士もたくさんいる。

 見回しても、見知った顔はない。ホッとしたやら、寂しいやら、だ。
 訓練所は、確かにたまに大怪我をする騎士が出たり、洗濯の量は多い上に汚れは頑固だ。そうなると、洗濯ひとつがかなりの力仕事になる。それでも、毎日同じ時間で仕事ができるのは、体内時計がしっかりと働いてくれる。規則正しく動けるからか、疲れが溜まりづらいのだ。王宮内の仕事は毎日のように勤務時間が変わる不規則な勤務体制だと聞くが、それでもそちらの仕事の方がいいのだろうか? アリスにはわからなかった。

「そりゃあ、やっぱり王族の方々とお近づきになれるからじゃない?」

 同じように、疲れ切った人たちの食事を眺めていたマリアが口を開く。

「お近づきって……そうそうなれるものでもないでしょう?」
「そうなんだけど、現に王宮内の仕事が一番人気なのよ。すれ違いざまに見初められるとか思ってるのかしらねー」

 それは無理な話だ。
 アリスも領地で育ったとはいえ、貴族出身だ。両親からそこのところはしっかりと教わっている。王宮で働くことになり、王宮内での振る舞いなどは最初に叩き込まれるが、王族の方々と遭遇したら、まず端に寄り腰を落とし頭を垂れるのだ。物を運んでいたりその体制が難しい状況でも、最低限お辞儀し視線を落とす。つまり、向こうは勤め人たちの顔を見ることはできないのだ。そんな状況で、どこをどう見初められるというのか。

「それが免除される人たちもいるわけよ。王族に直接仕える人たち。お世話が仕事だから顔も名前も覚えて頂けるし、お言葉を交わすこともできるわ。まぁ、それでもこの大人数でしょ?そうなれるのは、ごくごく一部よ」
「へぇー。でも大変そう」
「そうねぇ、その人たちはお近づきになれる代わりに、呼び出しにはいつでも応じなければならないの。だから、自分の部屋も王宮内の王族のそばの部屋を充てがわれてるの」

 深夜目を覚ましてしまった時に、冷たい水を運んだり、外遊先から帰ってくる予定が遅れに遅れて、何時間も待ちぼうけを食ったりと、話に聞くだけでも大変そうだ。

「でもそんな中でも大変なのが、やっぱりラウル殿下らしいわ」
「どうして?」
「ちょくちょくお姿を消されるのよ。慌てて探しても、もうどこにもいないの。勤め人の宿舎付近で目撃情報があったとかで、夜にここで騒ぎになったこともあるのよ」
「ええっ?そうなの?どうしてかしら」
「さあ……噂では、女性と会っているのではないかって、そういう話もあるわ。そりゃ、探す方も躍起になるわよね。あわよくばって考えてるご令嬢が仕えてるんだからさ。他に取られちゃたまったもんじゃないわよ」

 なんと人騒がせな。
 姿絵を見た限りでは、清潔感溢れる冷たい美貌の凛としたお方だと思っていた。それに、両親や兄姉から聞く殿下の話も、絵の印象そのものだったのだ。勝手に人物像を作り上げておいてなんだが、少々意外だった。

「あら、その通りのお方よ? 凛としていて少し近寄りがたい雰囲気。あの見事な銀髪と、見てしまうと魔法にかけられたかのように時が止まる神秘的な紫の瞳。あまり感情を出す方ではないし、次期国王に相応しいと、貴族院の重鎮も太鼓判を押してるって話」

 それがなぜ、ちょくちょく姿を消して側近や侍女を困らせているのだろう。すると、マリアがニヤリと笑い、顔を近づけて囁いた。

「ほら、恋って人を変えるじゃない?」

 ……そんなものだろうか。
 なんだか腑に落ちない。いずれにしても、アリスの中でラウル殿下への印象は少し変わってしまった。

「さてと、そろそろ行くわね。アリス、本当に一緒に行かないの?」
「うん。今日はマルセルさんのところに行くから」

 王宮勤め人たちも、地位の高い人たちばかりだ。故に、社交界での夜会やお茶会のお誘いもあり、休日を使い出席することができる。
 マリアは貴族ではないが、国内有数の貿易商の令嬢として、度々社交界に顔を出しているのだそうだ。本人は面倒くさそうに言うが、それでも出席する理由は、なんと婚活だそうだ。確かに、今の職場では出会いは殆どない。
 今日は家族ぐるみで付き合いのある、伯爵家のお茶会に招待されているそうで、それに一緒にどうかとアリスを誘ったのだ。だが、既にマルセルに柿の実を取りに行くと話した後だったため、丁重に断った。

「あんた、ホント面白い子ねぇ。伯爵家のお茶会を蹴って、木に登るなんて。落ちて怪我とかしないでよ?」
「はーい」

 マリアはトレーを持つと、いそいそとカウンターに向かう。なんだかんだ言っても、お茶会が楽しみなのだろう。普段と違って思い切り着飾り、バッチリお化粧をしてお姫さまのように振る舞うのだ。日々の仕事が嚴しいだけに、そこから解放されてお姫様になれるのは嬉しいだろう。
 まぁ、私はあまり興味はないけど。
 頭を切り換えて、アリスも柿の実の収穫に向かうことにした。いつも着ている押し着せよりも、動きやすく汚れても構わない格好で。かなり不格好になってしまったが、木に登るのだから、見栄えなど気にしていられない。見られるとしてもマルセルだけだ。
 アリスはうきうきしながら、訓練所で大きなカゴを借りてマルセルの元に向かった。

「来たか」
「……なんで、あなたがここにいるの?」

 アリスを待ち構えていたのは、マルセルではなかった。
 目が潜れるほどの長い黒髪に、黒いシャツに黒いズボン。ここに来た最初の日、宿舎からの脱走を図っていた青年だった。

「マルセルさんはぎっくり腰。代わりに俺が手伝う」
「ええっ、マルセルさん大丈夫かしら?」
「安静第一、だそうだ。さあ、始めるか」

 見れば、梯子と鋏が既に用意されていた。

「ありがとう」

 アリスが梯子に手を伸ばすと、青年はそれを遮る。

「ダメだよ。上の方は俺が採る。アリスは下の方を採って」
「え? 手伝ってくれるの?」
「ああ、ひとりじゃ大変だろ?」
「ありがとう。あ、半分残しておいてね。色づいてからまた採りたいの」

 青年は頷きながら、慣れた手つきでちいさなかごの金具に紐を通すと、腰に巻きつけた。

「美味いんだって?」
「ええ、そうよ。でもそれは色づいてからね」
「マルセルさんが、食ってみたいって」
「わかったわ。上手にできたら、持ってくる」
「俺も食いたい」
「わかったわ。今日のお礼に持ってくるわね」

 最初から手伝うつもりだったようで、鋏も二つ用意されていた。
 青年は身軽な動きであっという間に梯子を登り、太い枝に跨がる。
 アリスは実がついて重くしなった枝に手を伸ばし、ひとつひとつ鋏を入れた。

 作業をしてしばらく経つと、カゴは青い実でいっぱいになった。見上げると、木についた実は半分程になっている。そろそろいいだろう。

「カゴいっぱいに採れたわ。後は色づくのを待つことにする」

 木の上の方にいた青年が、器用に枝を伝い降りてくる。梯子の上部までたどり着くと、アリスを見下ろした。その時、隠れていた目が見えた。

「お、たくさん採れたな」
「ええ。ねえ、……あなた、すごく綺麗な紫の目をしているのね」

 青年はすぐに手で前髪を下ろし、目を隠してしまった。

「どうして隠すの?勿体無い」
「……別に、意味はないよ」

 そうはいいながらも、自嘲気味に口を挟む歪める青年の姿が気になった。

「ラウル殿下と同じ色だから?」
「いや、そういうわけでは……」
「でも、あなたは殿下とは印象が違うわよ?」
「え……。それは、どういう……」

 戸惑う青年の様子に気づかず、アリスはカゴを見て「すごい!たくさん!」とはしゃぐ。
 青年は、大きなカゴを持とうとしてよろめいたアリスの手からカゴを取り上げた。

「いいよ。俺が持って行く」
「え?いいの?」
「ああ」

 お言葉に甘えて、大きなカゴを任せ、アリスは青年が腰に付けていた小さなカゴを持った。これでもかなり重い。これを腰につけ、バランスの悪い木の上で作業をしていたことを考えると、青年は細く見えるが、かなり鍛えているようだ。

 部屋の前まで運んでもらうと、改めて青年に礼を言う。

「ありがとう。今日は本当に助かったわ」
「いや、いい。次もまた手伝う」

 立ち去ろうとしない青年を不思議に思っていると、なにか用事があるのかと待っていると、やっと青年が口を開いた。

「さっきの……殿下とは違う印象だって、どういうことだ?」
「う〜ん……。あなた、殿下とは近しい人?」
「い、いや。全然」
「そう。あのね、ラウル殿下って、女性問題で周囲を困らせてるんですってね。少しガッカリしたわ」
「……は?」
「でも、あなたはそうは見えないから。同じ瞳の色でも気にしない方がいいわ」
「え、あ……ありがとう……?」
「じゃあ、私コレに取りかかりたいから、失礼するわね」

 目の前で閉められたドアを、青年は呆然と見つめる。

「女性問題って、なんだ……?」

 勿論その呟きは、せっせと柿の実を運ぶアリスの耳には届かなかった。

 王宮勤め人とはいえ、上流階級の子息ばかりのため、宿舎の設備もなかなか整っている。
 自分でしなければならないが、湯浴みも自室でできる。
 部屋はベッドとクローゼット、そして机と椅子がある部屋がひとりひとりに割り振られる。その部屋以外にも自分の洗い物や、湯を持ち込みさえすれば湯浴みの出来る、排水溝が整ったタイル張りの部屋があった。
 アリスは大きなカゴから小さなカゴに柿の実を移し、何往復かしてすべてをそのタイル張りの部屋に運び込んだ。そして、小さなナイフを取り出すと、柿の実を細かくさいの目切りにしていく。すべて切り終わると、小分けにしてガーゼに包み、木の棒でドン、ドン、と叩き出した。
 叩き続けていると、徐々に感触が変わり、グシャ、グシャと水っぽい音になる。満遍なく実を潰したことを確認すると、それを傍らに置いたバケツの上で力一杯絞った。
 ぐぐぐっと最後まで絞ると、バケツに溜まった液体を見て、アリスはにんまりとした。
 強烈な匂いが鼻をつくが、そんなことは気にしていられない。ドア一枚隔てた寝室は大丈夫だろう。
 絞り終わったガーゼに残っていたカスを取り出し、また細かくした柿を入れる。そして、また水分が出るまで叩く。それを何度か繰り返すと、やっとバケツ三分の一程になった。

 その日から、夜遅く、宿舎にドン、ドン、ドン、と不気味な音が響くようになった。
 何事かと音の原因を探る者もいたが、どうやら出どころがあの幽霊が出る部屋のようだと知ると、震えあがって逃げ出した。

 ドン、ドン、ドン……。ドン、ドン……。

 今日も宿舎に不気味な音が響く……。
 それを聞いた者は、耳を塞ぎ、布団の中で震えながら夜を過ごした。
 そんなことも露知らず、アリスはバケツいっぱいの液体を見て、「できた……!」と満足げに微笑んだ。

「ねぇ……アリス。知ってる?」
「え? なにを?」

 心なしか、マリアの顔色が悪い気がする。真剣にアリスを見つめる目は暗く、力がない。
 そういえば、周りの人たちもなんだかやつれているように見えた。

「アリスの部屋、幽霊が出るって言われてたじゃない? ――また変な音がするのよ。しかも、夜な夜な」
「えっ? 知らない! 本当?」
「本当よ! アリス、そこに住んでて知らないの?」
「ええー? 私、寝ちゃうと物音とか気づかなくて……」
「おかしいわね……。中にいる人には聞こえないナニかなのかしら……」

 マリアは不思議そうに首をひねる。だが、そんな不可解なことがあるだろうか?
 おかしい。
 あの青年は、もうあの部屋を脱出経路として使うことはしないといったはずだ。

「ねえ……アリス、前に幽霊を追い出したって言ってたでしょ?なんとかならない?」
「えーっと……、頑張ってみる……」

 変な音というのが何か全くわからないが、あの時話し合って出ていってもらったと言った手前、そう言うしかなかった。
 だが、その夜からピタリと不気味な音が止んだのである。
 それもそのはず。音の原因はアリスで、例の液体が出来上がったため、叩くのを止めたからだ。
 宿舎に寝泊まりする王宮勤め人たちは、数日振りにぐっすりと眠れたと大喜びだ。
 感激したマリアにより、音が収まったのがアリスのおかげだと広まり、皆がアリスに感謝したのである。当のアリスだけは意味がわからず、ただヘラッと笑ってやり過ごした。

 
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