涙、夏色に染まれ
 明日実が声を張り上げた。
「校歌斉唱!」
 明日実があたしを振り返った。あたしはうなずいて、校舎に一礼する。あたしが今日ここへ来た理由、明日実がここへあたしを呼んだいちばん大きな理由は、これだ。
 あたしにできる、精いっぱいのサヨナラは、ギターの音を響かせること。あたしは、抱えたギターにピックをぶつける。

 校歌の伴奏は、本当はピアノで奏でられていた。ここにピアノはない。あたしは、覚えている音を、できる限り忠実にギターで再現する。
 四小節の前奏。大人たちの表情が、ああ、と驚きに輝いた。わかるよね。覚えているでしょう。まぶしっ子は、この歌、絶対に忘れないよね。

 息を吸う音が重なる。
 高い声、低い声、いろんな声が、ぴたりと同時に歌い出した。弾むように明るい校歌が、四年ぶりに、真節小の校庭に響き渡る。

山なみに朝の日映えて
入江清く潮みつところ
あこがれのこの学び舎に
新しき歴史を創る
われらわれら力の限り
母校の光たたえん
まぶし小学校

 閉校記念誌に校歌の楽譜が載っていた。明日実から伴奏の話をもらったとき、改めて、譜面を追った。
 明るい曲だ。Cメジャー、つまり、ドミソの和音が基準にあって、どの小節でも音が濁らない。飛び跳ねるテンポは、あたしが知るほかのどの校歌より、元気がよくてポップだ。いちばん耳に残っている。いちばん心に刻まれている。

 BPM120、校歌は二番まで。午前十時までの一分間では、曲全体が収まり切れない。あたしにはそれがわかっている。途中で打ち切られたら、どうしようか。
 間奏のフレーズに指を躍らせながら、あたしは重機のほうをうかがった。安全ヘルメットをかぶった人たちは並んで、じっと、あたしたちのほうを向いている。校歌を聴いている。
 まだ歌っていていいんだ。最後まで歌っていいんだ。

こんぺきの大空高く
豊かなる望みをのせて
ふるさとの伸びゆく明日へ
新しき伝統きずく
われらわれら力の限り
母校の誉れたたえん
まぶし小学校

 あまりにも現実からかけ離れた、希望に満ちた未来を歌う詞。真節小は、もう歴史も伝統も閉ざして、小近島の将来だってきっと、これ以上、伸びてはいかない。

 どうしてこんなに、この場所を好きになってしまったんだろうか。
 サヨナラの唄《うた》を歌ったって、古びた校舎は何も応えてくれない。小さな島は、ただここにあるだけだ。そんな簡単なこと、わかっているくせに、どうして、あたしはこんなにも歌いたいんだろうか。
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