私の幸せ。
ここが出来て、彼と別れた直後に女手一つで育ててくれたママが突然の交通事故で亡くなって、かなり誰が私を引き取るのか親戚中が揉めた。
だけど、そんな状況だったからこそこの子だけが私の家族なんだって分かって産む決意が出来たのかもしれないと今は思う。
そして、私は親戚に話をし、ここには申し訳無いけどママの保険金で2人だけで暮らす事にした。
その時にここの将来の事も考えて、私は地元を離れ誰も知らない土地に引っ越した。
今の住まいは母方の祖母や親戚がお金を出してくれて購入したマンションの一室。
もうこれで縁を切るという条件で。
ママ自体も親や親戚の反対を押し切ってシングルマザーで私を産んで、親戚付き合いもなく、葬儀で初めて会う人が殆どだった。
だから、周りにここを見てくれる人が居ないのだ。
因みに母方の祖父はもう10年ほど前に亡くなったそうで、その時ママは一応弔問に行ったけれどお祖母ちゃんが会わせず帰したらしい。
「おはようございまーす。
檜山です。」
「はい、おはようございます。
心愛ちゃん、おはよう!!」
玄関口で声をかけると、こないだ初めて会った1・2歳児の組の担当の工藤 紗希-クドウ サキ-先生が出迎えてくれて、私とここにそれぞれ挨拶してくれた。
初対面の時も工藤先生は私達親子の事を変な目で見ないでくれて、普通の親子と同じように接してくれた。
「ここ、じゃあ私行くね?
ここを宜しくお願いします。」
私はそう言って、ここの荷物を渡してここを先生に任せた。
「はい、お預かりします。
心愛ちゃん、ゆーちゃんにばいばいって。」
「ゆーちゃん、ばいばい。」
「学校終わったらすぐ迎えに来るから、先生の言うことよく聞いてね?」
「うん。」
そう会話して小さな手を振るここの姿に後ろ髪を引かれつつも学校へ向かった。
手続きに来た時、少し話を聞かれたが、園長先生が快く引き受けてくれて、凄く嬉しかったし安心したのを覚えてる。
園長先生が前以て話をしててくれたらしく、私がここの母親だという事は他の保護者の人達には内緒にしてくれる事になっている。
ここも私の事を『ママ』とは呼ばない。
若いママが多いこのご時世でも高校生だと、やっぱり好奇の視線で見られる事は少なくない。
だから、私が母親である事でここが受けなくていい好奇の視線や良くない噂を避ける為違う呼び方をするように教えた。
ここにはほんとに申し訳無さしかないけど。
高校卒業したら、『ママ』って呼んでくれたらと思う。
それまでは妹を送り迎えする年の離れた姉で通す事になった。