10年間の片想い
1章 回想
『何でアイツと結婚したのだろう―』
20年経った今、茶農家の家の次女である琉月は、この頃ずっとこのことについて考える。20年前の今日、かつて町内にあった高校、中川根高校でアイツと出会った。当初は優しい奴だと思っていたが、それから1ヶ月も経たぬうちに私はアイツのことが嫌いになった。
『あの時、私が告白していれば』という後悔もある。後悔か―。
アイツは、当時、クラスの中では頭の悪い方だった。だけど、クラスの中では優しい方だったし、得意の折り紙でクラスのみんなだけでなく、学校中を魅了させるほどだったのだから。だけど、あれから1年後のことは思い出したくない。だけど、どうしても思い出してしまう。
私はよく考えた。どうしたらアイツのことへの後悔を打ち消せるのかを―。かつてはだれも近づこうとしなかったアイツのことを―。
私は子供達の服を畳んだ後、自分の部屋の、机に向かった。そして20年前にアイツに貰った、雑に削られたまだ新しい鉛筆と私が好きだったすみっコぐらしの消しゴムを持った。無意識に鉛筆を持った。そして、気がつけば20年前の自分宛に手紙を書き綴っていた。あの頃の私に届け―、と思いつつも。
手紙を書いているうちに外は薄暗くなってきた。今は11月だから5時には町内の小学生が帰っていく。もうすぐ、家には近くの薬局から松岡さんがやってくる。夫の服薬状況を確認するために―。
夫はまだ帰ってこない。今日も、仕事が忙しいのか―。
私は手紙を書き終えたが、何だか恥ずかしくてゴミ箱に捨ててしまった。子供達が燥いでいる。私が『夕食だよ』と子供達に声を掛けても暫くは落ち着きがない。3回目でやっと、席についたので私は夫の帰りを待たずに子供達と夕ご飯を摂った。夕食は地元で採れたたらの芽とニジマスの塩焼き、そしてご飯と味噌汁と簡単な漬物だった。
『琉月、琉月』
誰かが呼んでいる。夜中の0時なのに、どこから聞こえて来ているのだろうか。私が寝ようとしていると、お腹の上にずっしりと何か重いものが乗った気がした。首を上げるとまだ幼い琉菜がいた。多分、お母さんが居なくて寂しかったのだろうか…。私は琉菜を抱きしめると、隣に和樹がいることに気が付いた。そういえばここ最近、私が寝る場所の隣に決まって和樹が寝ていた。私が『どいて』と言っても、一旦はどくけど隙きを狙ってまた元の場所に戻ってくる、それの繰り返しだった。
『もう子供じゃないのに―』、と思いつつ私が何も言わずにいつも隣で寝ることになっている。きっと仕事疲れだからなのか。それとも私が本当に好きだからなのか―。そう思ううちに琉菜が私のお腹でぐっすり眠っていた。
琉菜は実親から虐待を受けていた。まだ幼稚園に通える年齢ではなかったが、近所の人が不自然なあざに気づいたらしく、その人が警察に通報したら彼女が虐待を受けている事がわかったという。その後琉菜は児童相談所に一時保護されたが、後に彼女の両親が有罪判決となり、また施設で生活させるにも難しそうだったので琉菜が我が家に来ることになった。
他にも、我が家には似たような子がいる。例えば今は中学生の菜月だ。彼女も虐待を受けて児童相談所に引き取られた子だ。しかし、彼女は思春期が始まった頃に父親によって性的虐待を受けたから、心のケアに関しては慎重に行わなければならない。幸いにも福祉に関する資格をいくつか持っている私がいたので保護をお願いされることになったのである。彼女だけは藤枝の私立で女子中学校の寮で生活している。幸いにも彼女の偏差値が高かったので学費は免除してもらえた。ただ、もうそっちの生活も慣れてきたから、近いうちに私たち家族と会うだろう―。
私は生まれつき子供を産むことのできない障害を持っている。医師からはターナー症候群と診断されているが、まだ二次性徴が途中の状態でそのまま成長が止まってしまった。ターナー症候群が発覚したのは中学校の時だった。他の子は友人を含めて二次性徴が始まっていて中には既に終わっている子もいた。私は、それを思うと胸が傷んでしまった。それでも異状に気づいた母がこども病院へ連れて行ってくれて、片道2時間は掛かる距離なのに月に一度はそこに連れて行ってくれた。当時は観光客が多く賑わっていて両親の製茶工場でのお茶の生産が繁忙期だったにも関わらず、私のために病院へ連れて行ってくれた母には今でも感謝したい。最終的に子供は産むことができなくなったけれど、その最中で里親に関する情報を提供して下さった児童相談所の職員には感謝したい。そして、専門里親として認めて下さった琉菜と菜月の担当の職員には十分感謝したい。
『ターナー症候群』という障害について初めて詳しく知ることが出来たのは全て和樹のおかげだ。当時、お互いが川根高の特進クラスに入っていた時に、当時の生物の担当だった堤先生が夏休み用の課題として『生物学』に関する読書感想文を書くことになったが、その時に、クラスの中で最も歓声と拍手を貰えたのが夫の和樹だった。当時、和樹が題材として選んだ本は確か『先天異常の医学(中公新書/木田盈四郎[著])』だったと思う。
彼はきっと私の障害のことをわかっていたに違いないと思う。なぜなら―、私に対して恋愛感情を寄せていたからである。そして私も宿泊研修までは彼のことが好きだった。しかし、ある出来事がきっかけで彼のことが嫌いになったことも事実。そんな彼があの時抱いていた夢は『医師になること』だった。少なくとも周囲の人からは理系と見られていただけに国語よりも数学や物理などの方がテストの点数が良かった。時に私よりも点数が高かったから私も蔭では尊敬していた。だけど未だ思うのが、『どうして嫌いになってしまったのだろう』ということだった。この問題が解決すれば―と思った時、時刻は夜中の2時を回っていた。
私はここ最近、まるで自分の子供かのようにここ最近琉菜と関わっているような気がする。3年前に琉菜が我が家に来て以来、私は徐々に琉菜と距離を縮めていったように思える。少なくとも今は和樹がいれば我が家は明るくなる。昔のように、家族全員で過ごす時間が世間では減っているのに、我が家はそれでも他の世帯よりも数倍活気があるように思える。
4年前に和樹と出会うまでは、結婚どころか本来あるべき家庭を創ることなんて思っていなかった。4年前に和樹と出会わなかったら、友人であり幼馴染でもある大輔や泰郎と結婚していたのかもしれない。いや、もしくは結婚なんて一生してなかったのかも知れない。そう思うと今はそれよりは幸せなのかも知れない。しかし、心の底では和樹のことが未だ好きになれない。好きになりたいのに心が答えない。私が和樹のことを本当に好きになるためにはどうしたら良いのだろう―。そう考えても答えは出なかった。
今度一緒に話そう―、出鱈目で良いから本当の事を話そう―。
そう思った時、真夜中のオリオン座の辺りから流れ星が流れた。
翌朝、いつもよりも遅い時間帯に目が覚めた。
琉菜はまだ3歳だというのに、寒い日に私よりも早起きできるのだから羨ましい。
キッチンに行くと和樹が私の代わりに朝食をつくってくれている。朝食は琉菜の大好きなフレンチトーストとトマトサラダだった。
『おはよう』
と、私は眠そうな顔をしている和樹に言う。そして彼は言った。
『今日、夕食どこか食べに行かない』
突然の質問に私は困惑した。しかし、そこは琉菜の好きなものを食べさせたいと思い、『ハンバーグとかどう?』と、和樹に言った。
私がそう言うと『ハンバーグだー!』と琉菜が喜びだした。私は琉菜のその姿を見る度に心が明るくなる。和樹の顔を見ると無表情だがどこか嬉しそうな感情が伝わってくる。最近は、市販の肉さえもこの不況であまり食べられなかったから私にとっても私たち家族にとっても久しぶりだった。
外食は久しぶりだ。15年前に消費税が10%になって以来私も友達と静岡に遊びに行ったとき以外はあまり行っていない。しかもあと数ヶ月で消費税が15%になるから、もしかするとこれが最後の外食かもしれない―。
せっかく琉菜が少し成長したのだから、かつての友人を呼びたい。だけど、和樹と結婚したことを友人が知ったら何て思うのだろう―。私はそれを想像するだけで怖い。
私は和樹に相談することにした。
児童相談所の職員が到着し、琉菜は私たち家族と一緒に面談をした。琉菜は担当であるワーカーの益田さんと新しく担当になった前川さんに元気よくあいさつをしていた。
『初めまして。児童相談所の益田です。』と、私を含めて自己紹介をしてくれた。益田さんは琉菜が3年前に我が家に来て以来ずっと担当して下さっている、とても親切な方だった。その一方で、新しく担当に加わった前川さんは、どこか暗い表情をしている。
私は、二人のために両親の製茶会社で製造されている川根茶のボトルと、お茶菓子として川根大福を用意した。
『最近の琉菜さんの様子はどうですか』と、益田さんが話しかける。
和樹は、『特に変わったことはありませんが、まだ昔のことを思い出している模様で、夜はお母さんと一緒に寝たがります。あと、今度の4月に幼稚園に入園する予定で、琉菜はとてもわくわくした表情を見せています』
そう益田さんに伝えると、ちょうど琉菜が私の所に近寄ってきた。琉菜にとってお母さんのことが安心できる存在だということには変わりはない―。
私は琉菜を抱き上げると、益田さんに私から様子を伝えた。その後、益田さんと前川さんの双方から話があり、私達はその話を聞きつつ手元のメモ帳に書き留めた。ちょっと汚い字で書いてしまったけど、後でパソコンに入力して印刷するから問題はないと思った。
話は終わって、益田さんと前川さんを見送ると、もう正午になる頃だった。雲1つない青空には今日も太陽が私達を照らし出していた。
20年経った今、茶農家の家の次女である琉月は、この頃ずっとこのことについて考える。20年前の今日、かつて町内にあった高校、中川根高校でアイツと出会った。当初は優しい奴だと思っていたが、それから1ヶ月も経たぬうちに私はアイツのことが嫌いになった。
『あの時、私が告白していれば』という後悔もある。後悔か―。
アイツは、当時、クラスの中では頭の悪い方だった。だけど、クラスの中では優しい方だったし、得意の折り紙でクラスのみんなだけでなく、学校中を魅了させるほどだったのだから。だけど、あれから1年後のことは思い出したくない。だけど、どうしても思い出してしまう。
私はよく考えた。どうしたらアイツのことへの後悔を打ち消せるのかを―。かつてはだれも近づこうとしなかったアイツのことを―。
私は子供達の服を畳んだ後、自分の部屋の、机に向かった。そして20年前にアイツに貰った、雑に削られたまだ新しい鉛筆と私が好きだったすみっコぐらしの消しゴムを持った。無意識に鉛筆を持った。そして、気がつけば20年前の自分宛に手紙を書き綴っていた。あの頃の私に届け―、と思いつつも。
手紙を書いているうちに外は薄暗くなってきた。今は11月だから5時には町内の小学生が帰っていく。もうすぐ、家には近くの薬局から松岡さんがやってくる。夫の服薬状況を確認するために―。
夫はまだ帰ってこない。今日も、仕事が忙しいのか―。
私は手紙を書き終えたが、何だか恥ずかしくてゴミ箱に捨ててしまった。子供達が燥いでいる。私が『夕食だよ』と子供達に声を掛けても暫くは落ち着きがない。3回目でやっと、席についたので私は夫の帰りを待たずに子供達と夕ご飯を摂った。夕食は地元で採れたたらの芽とニジマスの塩焼き、そしてご飯と味噌汁と簡単な漬物だった。
『琉月、琉月』
誰かが呼んでいる。夜中の0時なのに、どこから聞こえて来ているのだろうか。私が寝ようとしていると、お腹の上にずっしりと何か重いものが乗った気がした。首を上げるとまだ幼い琉菜がいた。多分、お母さんが居なくて寂しかったのだろうか…。私は琉菜を抱きしめると、隣に和樹がいることに気が付いた。そういえばここ最近、私が寝る場所の隣に決まって和樹が寝ていた。私が『どいて』と言っても、一旦はどくけど隙きを狙ってまた元の場所に戻ってくる、それの繰り返しだった。
『もう子供じゃないのに―』、と思いつつ私が何も言わずにいつも隣で寝ることになっている。きっと仕事疲れだからなのか。それとも私が本当に好きだからなのか―。そう思ううちに琉菜が私のお腹でぐっすり眠っていた。
琉菜は実親から虐待を受けていた。まだ幼稚園に通える年齢ではなかったが、近所の人が不自然なあざに気づいたらしく、その人が警察に通報したら彼女が虐待を受けている事がわかったという。その後琉菜は児童相談所に一時保護されたが、後に彼女の両親が有罪判決となり、また施設で生活させるにも難しそうだったので琉菜が我が家に来ることになった。
他にも、我が家には似たような子がいる。例えば今は中学生の菜月だ。彼女も虐待を受けて児童相談所に引き取られた子だ。しかし、彼女は思春期が始まった頃に父親によって性的虐待を受けたから、心のケアに関しては慎重に行わなければならない。幸いにも福祉に関する資格をいくつか持っている私がいたので保護をお願いされることになったのである。彼女だけは藤枝の私立で女子中学校の寮で生活している。幸いにも彼女の偏差値が高かったので学費は免除してもらえた。ただ、もうそっちの生活も慣れてきたから、近いうちに私たち家族と会うだろう―。
私は生まれつき子供を産むことのできない障害を持っている。医師からはターナー症候群と診断されているが、まだ二次性徴が途中の状態でそのまま成長が止まってしまった。ターナー症候群が発覚したのは中学校の時だった。他の子は友人を含めて二次性徴が始まっていて中には既に終わっている子もいた。私は、それを思うと胸が傷んでしまった。それでも異状に気づいた母がこども病院へ連れて行ってくれて、片道2時間は掛かる距離なのに月に一度はそこに連れて行ってくれた。当時は観光客が多く賑わっていて両親の製茶工場でのお茶の生産が繁忙期だったにも関わらず、私のために病院へ連れて行ってくれた母には今でも感謝したい。最終的に子供は産むことができなくなったけれど、その最中で里親に関する情報を提供して下さった児童相談所の職員には感謝したい。そして、専門里親として認めて下さった琉菜と菜月の担当の職員には十分感謝したい。
『ターナー症候群』という障害について初めて詳しく知ることが出来たのは全て和樹のおかげだ。当時、お互いが川根高の特進クラスに入っていた時に、当時の生物の担当だった堤先生が夏休み用の課題として『生物学』に関する読書感想文を書くことになったが、その時に、クラスの中で最も歓声と拍手を貰えたのが夫の和樹だった。当時、和樹が題材として選んだ本は確か『先天異常の医学(中公新書/木田盈四郎[著])』だったと思う。
彼はきっと私の障害のことをわかっていたに違いないと思う。なぜなら―、私に対して恋愛感情を寄せていたからである。そして私も宿泊研修までは彼のことが好きだった。しかし、ある出来事がきっかけで彼のことが嫌いになったことも事実。そんな彼があの時抱いていた夢は『医師になること』だった。少なくとも周囲の人からは理系と見られていただけに国語よりも数学や物理などの方がテストの点数が良かった。時に私よりも点数が高かったから私も蔭では尊敬していた。だけど未だ思うのが、『どうして嫌いになってしまったのだろう』ということだった。この問題が解決すれば―と思った時、時刻は夜中の2時を回っていた。
私はここ最近、まるで自分の子供かのようにここ最近琉菜と関わっているような気がする。3年前に琉菜が我が家に来て以来、私は徐々に琉菜と距離を縮めていったように思える。少なくとも今は和樹がいれば我が家は明るくなる。昔のように、家族全員で過ごす時間が世間では減っているのに、我が家はそれでも他の世帯よりも数倍活気があるように思える。
4年前に和樹と出会うまでは、結婚どころか本来あるべき家庭を創ることなんて思っていなかった。4年前に和樹と出会わなかったら、友人であり幼馴染でもある大輔や泰郎と結婚していたのかもしれない。いや、もしくは結婚なんて一生してなかったのかも知れない。そう思うと今はそれよりは幸せなのかも知れない。しかし、心の底では和樹のことが未だ好きになれない。好きになりたいのに心が答えない。私が和樹のことを本当に好きになるためにはどうしたら良いのだろう―。そう考えても答えは出なかった。
今度一緒に話そう―、出鱈目で良いから本当の事を話そう―。
そう思った時、真夜中のオリオン座の辺りから流れ星が流れた。
翌朝、いつもよりも遅い時間帯に目が覚めた。
琉菜はまだ3歳だというのに、寒い日に私よりも早起きできるのだから羨ましい。
キッチンに行くと和樹が私の代わりに朝食をつくってくれている。朝食は琉菜の大好きなフレンチトーストとトマトサラダだった。
『おはよう』
と、私は眠そうな顔をしている和樹に言う。そして彼は言った。
『今日、夕食どこか食べに行かない』
突然の質問に私は困惑した。しかし、そこは琉菜の好きなものを食べさせたいと思い、『ハンバーグとかどう?』と、和樹に言った。
私がそう言うと『ハンバーグだー!』と琉菜が喜びだした。私は琉菜のその姿を見る度に心が明るくなる。和樹の顔を見ると無表情だがどこか嬉しそうな感情が伝わってくる。最近は、市販の肉さえもこの不況であまり食べられなかったから私にとっても私たち家族にとっても久しぶりだった。
外食は久しぶりだ。15年前に消費税が10%になって以来私も友達と静岡に遊びに行ったとき以外はあまり行っていない。しかもあと数ヶ月で消費税が15%になるから、もしかするとこれが最後の外食かもしれない―。
せっかく琉菜が少し成長したのだから、かつての友人を呼びたい。だけど、和樹と結婚したことを友人が知ったら何て思うのだろう―。私はそれを想像するだけで怖い。
私は和樹に相談することにした。
児童相談所の職員が到着し、琉菜は私たち家族と一緒に面談をした。琉菜は担当であるワーカーの益田さんと新しく担当になった前川さんに元気よくあいさつをしていた。
『初めまして。児童相談所の益田です。』と、私を含めて自己紹介をしてくれた。益田さんは琉菜が3年前に我が家に来て以来ずっと担当して下さっている、とても親切な方だった。その一方で、新しく担当に加わった前川さんは、どこか暗い表情をしている。
私は、二人のために両親の製茶会社で製造されている川根茶のボトルと、お茶菓子として川根大福を用意した。
『最近の琉菜さんの様子はどうですか』と、益田さんが話しかける。
和樹は、『特に変わったことはありませんが、まだ昔のことを思い出している模様で、夜はお母さんと一緒に寝たがります。あと、今度の4月に幼稚園に入園する予定で、琉菜はとてもわくわくした表情を見せています』
そう益田さんに伝えると、ちょうど琉菜が私の所に近寄ってきた。琉菜にとってお母さんのことが安心できる存在だということには変わりはない―。
私は琉菜を抱き上げると、益田さんに私から様子を伝えた。その後、益田さんと前川さんの双方から話があり、私達はその話を聞きつつ手元のメモ帳に書き留めた。ちょっと汚い字で書いてしまったけど、後でパソコンに入力して印刷するから問題はないと思った。
話は終わって、益田さんと前川さんを見送ると、もう正午になる頃だった。雲1つない青空には今日も太陽が私達を照らし出していた。