この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。【完】
 ローデリヒ様が言っていた。
 ―― 「アーベルが来たから、最悪の未来は回避出来ている……。いや……、未来のアーベルが来なければ、この先の未来を変えられないのだろう」と。

 道中襲われて、反乱も起きて、こうして護衛がやられて追い詰められて、攻め込まれていて。
 この状態で、まだ最悪の未来を回避しているの?

 ピトリ、と温かい手が私の頬にくっつく。思考の海に溺れていた私を引き上げたのは、状況が全く分かっていなさそうなアーベルだった。ローデリヒ様譲りの海色の瞳をキラキラと輝かせている。

「……だいじょうぶ」

 小さく呟く。アーベルを落ち着かせる、というよりは自分の為に言ったような言葉だった。自分を奮い立たせる為に。

 無意識に手を握り締めていたらしい。炎の魔石が手のひらにくい込んで、くっきりと跡が付いていた。細く息を吐いて、全身に入っていた力を抜く。
 大丈夫。私は、戦う為の力はほぼ持っていないけれど――、誰も私の隣に並び立てない、貴重な能力があるのだから。

 扉の陰に隠れて息を殺す。洗面所の扉が開くのが、スローモーションに見える。タイミングは分かっている。能力で伝わってくるから。
 私に後頭部を見せた瞬間――、炎の魔石を握り締めたまま、ぶん殴った。
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