旦那を守るのも楽じゃありません
主従の境界
イランゼさんは珍しく表情を歪めていた。私は自身に魔物理防御障壁を張りながら…どんな攻撃にも対処出来るようにイランゼさんと間合いをとった。

「フィー、朝食に行こう」

「はい」

イランゼさんは、ジークに近づこうとした。お生憎、彼には術紙を渡してある。魔力量の多いジークなら24時間、術を行使し続けても平気だ。

イランゼさんは何かに押し戻されてたたらを踏んでいた。そう…ジークは私と同じく全身に障壁を張っている。対イランゼ用だ。

私とジークは面と向かってイランゼさんを罵り、煽っていくことにしたのだ。彼女から焦れてボロを出してくれるようにするためだ。

ただそうした時に、怒りの矛先をラミア達若いメイドや侍従の子達に向けるのは避けたい。

ジークには最後まで反対されたけれど、私が囮になることになった。

恐らく同じ立ち位置でジークがイランゼさんを叱責しても、恨むのは奥さん…つまりは私になる。どうしてだ?とジークに聞かれたけど、女性の心理です…としか言いようがない。

つまりは

自分の好きな人に怒られた→きっとあの女が色々吹き込んだんだ!→好きな相手の伴侶(恋人)を逆恨み。

こうなるのが予想される。だったら思いっ切りこちらを恨んで頂いて注意を引き付けておいて、他の子達に被害が及ばないようにしたい。私は全力で、嫌味で上から目線の若奥様を演じることにしたのだ。

私とジークはイランゼさんを無視して食堂に入った。私は朝のご挨拶もそこそこにお義母様にこう言ってやった。

「私達のお世話してくれるはずのラミアが来ずに、メイド長が朝早くから来られていたのですが…次からラミアにして下さいませんか?」

お義母様は、キョトンとした後に食堂に入って来たイランゼさんに声をかけた。

「イランゼ、あなたジークの朝の支度を手伝っていたの?そちらはラミアとミルフィーちゃんがいるから大丈夫と伝えたでしょう?」

イランゼさんは表情はいつも通りに保ちつつ…

「そうですか?ミルフィーナ様は支度のお手伝いなど出来るのでしょうか?」

と、私を下げる発言をしてきた。これは…!ええ?こんなに早くボロを出してきたの?

「イランゼッ!言っとくがなフィーは家事全般は勿論出来るし、手料理もすごく美味しいんだ!」

……いやあの?ジークがムキになって怒ってどうするのよ?こらこら作戦を忘れたの?

イランゼさんは思わぬジークの反撃に心底驚いたのだろう、顔面蒼白だ。

「イランゼ…その言い方は良くないわ、ミルフィーちゃんは結婚するまで一人暮らししていて、今もジークと一緒に暮らしていて家事全般1人でしてくれているのよ?」

イランゼさんは目を見開くと口をパクパクさせてはいたが…すぐに姿勢を正すと

「失礼致しました」

と、壁際に移動した。よく考えると私には謝罪は一切していないわね。するとジークが追い打ちをかけた。

「フィーに対して謝罪はしないのか?」

そう言ってチラッと私を見たジークの目で私は気が付いた。あらいやだ、ジークも煽っていく作戦を手伝ってくれているのね。

イランゼさんは俯いている。ああ…やだぁ~魔質がおどろおどろしい動きをしている。今、呪術でも唱えているんじゃないかな?

しばらく俯いていたイランゼさんはサッと顔を上げた。

やっぱり、呪術を唱えてたぁ!?嘘でしょうこんな所で?…と身構えた私の前にジークが立った。

黒い渦を描きながら術が飛んで来る。そしてジークはその呪術を手で叩き落とした!?

流石、体力バカ…剣圧で魔術をぶっ叩く男、ジークレイ=ホイッスガンデ少佐。

叩き落された術は床に落ちて…ひぇええ~床にどす黒い穴が出来ている!?

「何?何をしたの?あら…ちょっとジークレイ何をしているの?あなたまた魔力を溜めて暴発させたのね、いい加減に物を壊すのはやめなさいと言っているでしょう、もうっ」

お義母様の発言にびっくりしながらも、ジークがご両親から信用と信頼が無いことが言葉の端々に感じられる。見るとジークは頬を膨らませている。ほら、見なさいよ…これがあなたの信用度よ?

「違うって~イランゼが俺に術を向けてきたの~それを叩き落しただけ」

ジーク!?そんな馬鹿正直に言ってしまって大丈夫なの?すると…

「イランゼどうなんだい?」

と、これまたお義父様はズバッとイランゼさんに聞いている。私は内心動揺しまくりだ。

「さ…さあ私には何のことだか…」

とイランゼさんは平然と言い返してきた。お義父様は困った顔をされた後で溜め息をつかれた。

「はぁ…イランゼ…」

ジークは苦笑いのような引きつった笑いを私に向けてきた。

「フィー曰く、日頃の行いのせいでこの有様さ」

そうか…ジークは身をもって?自分の信用の無さを見せてくれたようだ。こんなことってある?いえ…ジークだけのせいじゃないわ。イランゼさんのことを誰もが注意出来ないのだ。

私はイランゼさんを睨みつけた。思いっきり息を吸い込んではっきり言ってやる。

「私に謝罪もしない態度の悪いメイドとは同じ空間に居たくはありません。妊娠期間中は自宅に帰ることにします」

私がそう言うとお義母様は慌て出した。

「ミルフィーちゃんそんなこと言わないで~確かに謝罪しないといけないわね…イランゼ、ホラ」

さあプライドの高そうなメイド長は謝るかな?

イランゼさんは音がしそうなほど、ゆっくりギギギ…と腰を落とすと

「申し訳ございませんでした」

と低ーい声で一応謝罪してくれた。

呆れた…こんな態度でよくメイド長が勤まるわね~王宮付のメイドなら即刻、侍従長や宰相補佐に呼び出されて減給処分よ…

と唖然としてジークと見詰め合っていると屋敷の外に誰かが来たようだ…4人…知らない魔質だ。

「ジーク、屋敷にどなたか訪ねてきたようです。私は存じない方々です、数は4名」

ジークは顔を引き締めた。一瞬でその場から消えた。そして一瞬で戻って来てものすごく機嫌が悪くなっていた。

「ラヴィアが来ている」

「え?」

「あの女かっ!」

お義父様ガバッと立ち上がった。あの女…え?もしかして年上の?あの?

こういう時は家長の判断に従って…私はお義父様を見詰めた。お義父様とお義母様は同時に私を見た。

「私達が対処しますから、ミルフィーちゃん達は朝食を頂いて待っていて」

「大丈夫なのか?」

とジークが私をチラチラ見ながらご両親に聞いていると…若い私兵の男の子が食堂に走り込んで来た。

「あ…あの!今門前にロリアント男爵夫人とおっしゃる方がお越しなのですが…その、メイド長が…」

「メイド長?」

と言われて見ると、確かに壁際に立っていたはずのイランゼさんの姿が無い。

ご両親とジークと私は玄関先に一緒に転移した。

門前では2人の熟女が激しい言い争いを繰り広げていた。

「お帰りなさいっ!あなたが踏み入ってよい場所ではありません!」

「なんですって~メイドのくせに客人に対してなんて口の聞き方なのっ!?」

な…なんだこれ?何が起こっているのか?

正直に言おう。ここにいる私を含む4人は良家のお坊ちゃまお嬢様の生まれだ。玄関先…しかも通りを歩く人が興味深げに覗き込んでいるこの場所で修羅場なんてものを目の当たりにするなんてことはまず無い。

私は我に返ると、お義母様に囁いた。

「お義母様、通りから人が覗いておりますわ。ひとまず騒がないようにしませんと…」

そう、ここでラヴィア様…現ロリアント男爵夫人に応対するべき人はご義両親だ。家長として毅然とした態度で男爵夫人に速やかにご納得頂いてお帰り頂かねばならない。

門前で怒鳴るなんてあってはならない。男爵夫人に恥をかかせるし、この家の恥にもなる。それにもう一つ重要なことがある。こういう状況の対応にメイド長が家長を差し置いて前に出て仕切っている…なんて世間に知れたら『家令に仕切られている無能な侯爵』という噂をたてられるかもしれない。一度噂を立てられれば、あっと言う間に貴族階級で標的にされて、益々噂を捏造される。

外に向かって醜態をさらしてはいけないのだ。

お義母様は頷くと急いでイランゼさんの後ろに立った。ジークが一緒に付いて行った。

「イランゼ、下がりなさい」

イランゼさんは後ろを振り向きお義母様、そしてジークの姿を見ると…なんとこんな状況にも関わらず頬を染めて微笑んだ。

笑っている場合かっ…と心の中で突っ込んでいるとラヴィア様がジークに気が付いて更に金切り声を上げた。

「ちょっとジークレイっ!何よこの女…早く家に入れて頂戴!」

ああ、こっちにも貴族の常識から外れている方がいるね…

しかし改めて見ると…ラヴィア様ってこんなにオバ…いえ、年齢を重ねているような容姿だったかしら?魔質を見るとあまり巡りが良くない。顔色も悪い。化粧で誤魔化しているけど肌荒れも凄そうだ。

これは若い頃からの不摂生がたたっているね。また年甲斐もないピンク色のドレスが合っていないんじゃないかな。

「ロリアント男爵夫人、もう少々お待ち下さいませ」

とお義母様がそう答えかけた声に被せる様にイランゼさんが

「大丈夫です、私がこんな女追い出しますから!」

と言った。言ってしまった…こんな女?仮にも貴族のご婦人に向かってこんな女と往来で名指ししてはいけない。どう言うことよ?イランゼさんは何故こんなに自由なの?

「何て言い方…」

思わず呟いた私の声を聞いたお義父様が、スッと近づいて来られた。

「昔からね…シャンテが子供の時からイランゼとまるで姉妹のように仲良くしてきたと聞いている。しかしメイド、しかもメイド長としての適性がイランゼにあったかと問われれば、無かったと言わざる得ない。シャンテは自分の妹のように思うイランゼを嫁入り先に連れてきた。それは悪い事ではないよ。ただ、あくまでも本当の姉妹ではない。使用人と主人、その線引きを上手く作らなければならない…いや、ならなかったんだ。シャンテの失敗はその線引きを上手く出来ないまま、年月を過ごしてしまったことだ」

「線引きですか?」

「私はシャンテとイランゼの関係性に口を出すことは出来ないよ。只、メイド長としての品格を問われれば不適格者と言うしかない。どうやら決断を下す時が来たのか」

これは…ご義両親もイランゼさんとの距離感に戸惑っていたようだ。いくら姉妹のように思っていたとしても踏み越えてはいけない境界がある。イランゼさんは子供の時からそういう面の指導を誰からも受けていないのだろう。

お嬢様と一番仲の良いメイド。まるで姉妹のような仲睦まじさ。お嬢様のお気に入りのメイドに逆らってはいけない。私の言葉が奥様の言葉なのよ!

そうして…イランゼさんはその権力を無意識か意識してか振りかざしてしまって自分の立場を履き違えているのだ。

さも、お義母様と同じ女主人という位置に居ると錯覚して…


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