旦那を守るのも楽じゃありません
偽の新婚生活
しばらくして、ジークレイ先輩は戻って来た。私は帰って来た早々に
「男にはひれ伏さねばならない時があるって、どなたかがおっしゃっていましたが…アレ何ですか?」
と、ジーク先輩に聞くと顔を真っ赤にして狼狽えた。
「う、うるせーよ!嫁は嫁らしくしろっていうんだ!」
何ですかそれ?しかも逆ギレ…。嫁らしくって言うのなら、嫁らしく旦那の事をお世話してあげようじゃありませんか!
定時になり机の上を片付けて執務室に顔を出した。
「旦那さま~今日は何時にご帰宅予定ですか?」
「ぶっ!」
カイト殿下はキョトンとして、ジークレイ先輩は思いっきり噴き出していた。
「きょ…きょ…」
「まさかまた執務室のソファで寝るつもりだったなんてことないですよね?」
カイト殿下が渋い顔でジークレイ先輩を見た。
流石にジーク先輩も王太子殿下に睨まれたので…小声で
「一時間後には帰ります…」
と早口で答えた。
「はーい了解しました!」
と私は元気よく返事をして事務所を出た。
そして…事務所を出た所で私は捕まってしまった…
久々にメイド数人に取り囲まれて…私は裏庭に連行されていた。
ふぁ~これも懐かしいな。昔はこうやってメイドのお姉様達に睨まれて…小突かれて…半泣きになってたわね。
今は自分より若い女の子達に囲まれて…憂鬱なことには変わりないけど、用件はなんだろう?まさか嫌味先輩のことじゃないわよね?
と、思っていたら…
「どういうことでしょうか?ジークレイ様とご結婚なんて…」
「そうですわっ!何かの間違いでしょう!」
「同じ部署で前から馴れ馴れしいとは思っていましたが!」
「きっと愛の無い政略結婚なのでしょう!?」
この子達…本当にあの…あ、の、嫌みジークの事が好きなの?思わず若いメイドに胡乱な目を向けてしまう。
「あなた方…もしかして嫌…コホン、ジークレイ少佐の事が好きなの?」
私がそう尋ねると5人のメイドの女の子達はきゃあ…と言って真っ赤になった。
本当にあんなのに好意があるんだ…へぇ…
まあパッと見は美形だしモテる要素はあるんだけど中身がねぇ~
「あなた達から見たら10才近く年上のおじさんではないの?」
「お…おじさんな訳ありませんでしょう!あんな見目麗しいのにっ!」
いやいや見目麗しくたって、年がいけば誰でもおじさんだから…
「侯爵家のご子息ですし!」
それは、実家がそうだから自動的にその地位なだけで…
「王太子殿下付の時期宰相候補だし!」
う~んそれは候補と噂されているけど、どうかな…
女の子達からの褒め言葉にあることに気が付いた。
「そうか…ジークレイ少佐って見た目と家柄と地位だけの男なんだね~」
私がそう言うとメイドの女の子達はピタッとお喋りを止めた。
「そりゃそれだけ揃ってる殿方ってそうそういないけど…」
私がそう言うとメイドの女の子達はハッとしたように私を見上げた。
「まだあなた達は若いし派手な所にしか目が行かないだろうけど、ジークレイ少佐の内面も見てあげてね。結構優しいし、それに子供みたいな所もあるのよ?」
「子供みたいなところですか?」
一番小柄なメイドの女の子におうむ返しに聞かれて思わず家具屋でのやり取りを思い出して吹き出しそうになる。
その時、王太子殿下の執務室周辺の庭に、私の知らない魔力の持ち主が入って来た。急いで探査と追尾魔法を同時にかけた。
ん?しかし私の探査魔法は…侵入者の攪乱魔法で打ち消された。これは…
私はメイドの女の子達の周りに魔物理防御障壁と消音消臭魔法をかけた。
「きゃっ…」
「障壁!?」
「何ですか!?」
私は魔術式の描かれた魔紙を取り出すと、先程の小柄なメイドに渡し、障壁の中の5人の女の子の顔をグルリと見た。
「私が離れたらその魔術式をすぐに発動して、いいわね?障壁の外へは絶対に出ないこと」
いけない…私の追尾魔法を振り切った何者か…複数人が真っ直ぐこちらに向かって走って来る。移動速度が速い。
「魔術式を発動して、ここに待機!」
私は彼女達から少し離れたベンチが置いてある場所に一瞬で移動した。
侵入者はもう到着してしまった…早い。時間稼ぎをしなきゃならないけど…生憎と私は防御系と補助魔法しか使えない。
ジーク先輩っ…
私は意を決して自分の左肩の上辺りの空間に向けて手をかざした。
ジーク先輩ほどじゃないけど…やれるか?
その時私の前に待っていた魔力の持ち主が瞬間移動で現れた。
「ジーク先輩!」
「おいこら…俺の嫁に何の用だ」
現れた途端に何でまたここで嫁嫁言うの!?…はっそうか!この嫌味めっ…さっきの執務室の仕返しを今してきたなっ!
「先輩は下がっていて下さい、邪魔です」
私がムカつく気持ちを抑えながらジーク先輩の背中に声をかけると、肩越しに
「嫁は下がってろ」
と言って来た。おいこら、まだ言いますか?
「あのね…」
と私が言い掛けた時対峙していた侵入者が一斉に動いた。しかしジーク先輩の方が早かった。
6人の侵入者の1人に切り込み、剣を振るった。侵入者も危険を察知したのだろう…直撃は免れたようだが、剣圧と魔圧の両方に腹を切られ血を吹き出しながら倒れた。
残りの5人の内の1人が何か言葉を喋った。外国語だ…あれは。
倒れた者を抱えると侵入者は一瞬で消えた。
私は先程切られて地面に落ちた侵入者の血飛沫の上に、手をかざした。
「追えるか?」
「お任せを」
ジーク先輩と短いやり取りの後、血の跡の中から赤い蝶が出て来た。そしてその蝶はフワッと飛び上がると侵入者の後を追った。私の追尾用の使い魔だ。
「俺も追う。西へ逃げたな」
魔術で追えないのに何故分かるのだろうか、ああ彼らの話した言葉ね。
「賊はブーエン語でしたね」
「…ちっ。守りを強化しろ」
「御意」
先輩は舌打ちすると一瞬で消えた。文字通り転移したのだろう。気配も無い。私は庭の隅に居るであろうメイドの子達の術を解除した。
防御魔法と姿を隠せる透過魔法を使っていたので、侵入者からは見えていなかったはずだ。
メイド達は言いつけを守って先程と同じ位置で固まって立っていた。近づいてみるとメイド達はガタガタと震えていた。怖かったわよね…ごめんね。
「ジーク先輩が来たからもう大丈夫よ。さあ、気を付けて帰りなさい」
小柄なメイドの子は私が渡した魔法陣の描かれた紙を震える手で返してくれた。
「あ…あなたはどうされるの?」
彼女達に微笑んでみせた。
「この裏庭から軍の施設まで、障壁を張り直さないとね。参ったな…残業だ」
メイドの子達は、少し笑顔を見せてくれた。
彼女達が帰った後、障壁を張り直して市場に買い物に寄り、食事の支度をしていると、ジークレイ先輩が家に来た。本当に旦那になるつもり…なの?
「来たぞ…」
何故そんなにブスッとしてるのですか?
「お疲れ様です」
ジークレイ先輩は足早に室内に入ったものの、居心地悪そうに玄関付近に立ち尽くしている。
「先輩、ダイニングにどうぞ。夕食の準備が出来ていますから」
「えっ?」
「え?」
何故驚くのでしょうか?
「ミルフィーナが作ったのか?」
「そうですよ?おひとり様歴5年目になりましたので、家事全般それなりに出来ますよ?」
先輩はポカンとした顔のまま、歩く私の後に付いて来ると、ダイニングのお一人様用のピンク色のテーブルに並んだ料理を見て、息を飲んでいる。
「普通の料理だ…」
「普通って何ですか?もう…普段先輩が食べている侯爵家のディナーとは比べ物になりませんけど…」
「いや…普段は外で食ったり、出来合いの物を食べたり…」
あら?先輩ご実家暮らしじゃなかったの?
「先輩、もしかして一人暮らしされてます…はっ!まさか、執務室に住み着いて…」
「違うっ!去年くらいから一人暮らしだけど…。まあほとんど執務室に泊まって…」
「そういうのを住み着いていると言うのですよっ、まあいいか。夕食にしましょう」
チキンカツとコーンスローサラダ、トマトのスープに作り置きしておいたポテトのマスタード炒めを出して、市場で買って来たブランのロールパンとバケットを出した。
ジーク先輩は静かに一口食べた後…猛烈な勢いで食べ始めた。
私は食後に果物を剥いてデザートとしてお出しした。
「美味かった」
「お褒めに与り光栄です」
うちのこじんまりとしたダイニングで食後のコーヒーを飲む、ジークレイ先輩の違和感がすごい。あ、そうだ…
「先程の賊ですが…」
「ああ…」
寛いでデロッとしていた先輩の魔質がカッと輝いた。
「ブーエン王国の手の者だな。ワザと離れて追いかけていたら、ノコノコと自分の国へと帰って行った。お前はどこまで追えた?」
私は先程帰ってきた自分の追尾用の使い魔の見せてくれた映像を思い出していた。
「城の内部で若い男性に落ち合った所までは追えました」
その後遮断魔法を使われて映像は途切れてしまったのだが…。
「王女殿下も手下を使って乗り込んできて、先輩を攫うつもりですかね?先輩みたいな大男どうやって連れて行くつもりなんでしょう?」
「う…ん」
先輩は生返事だ。考え事をしているみたいね。そうだ、嫁っぽいことしてやろう~
「先輩、お風呂入られます?」
「ふろ…ふ、風呂!?」
ジークレイ先輩はいきなり立ちあがった。
「あ、それともこのまま帰られますか?狙われても良ければ…」
「お前…ちっ、いいよ。入る、風呂」
「はーい、賜りました!」
私はお風呂場に行くとお湯を張り(魔法で一瞬で出来る)入浴の準備をしてダイニングに戻った。
ジークレイ先輩は小窓から外を見ていた。無駄に格好良い立ち姿だった。
「お風呂どうぞ~」
「ああ、ありがとう。フィーこの家、防御は完璧か?」
私は思わずニヤッと笑って先輩を見た。
「誰に聞いてます~?パッケトリア最強の盾の家ですよぉ~?」
ジークレイ先輩もニヤッと笑い返した。
「そうだったな…」
先輩にお風呂場の備品の場所を教えて、自分の寝室へ行った。さて…流石に侯爵家のお坊ちゃまをソファに寝かせる訳にはいかない。
「せめてシーツだけでも替えますか」
本当は浄化魔法で綺麗に出来るけれど、気持ちの問題としてシーツを替えて部屋を整えた。
そして明日の料理の下ごしらえをしていると、ジークレイ先輩の魔質が近づいて来たので後ろを顧みた。
何故、一人暮らしの女性部屋で裸…辛うじて下は穿いているけど、限りなく裸に近い格好で現れるのか?
「裸でウロウロしないで下さい!」
「フィーの旦那なんだからいいだろう?」
で、でたー!フィーの旦那だから…暫くは多用されそうで嫌になる。
私はジーク先輩を睨みながら果実の絞った汁と微炭酸の入った、果実水という飲み物を保冷箱から取り出して先輩に渡した。
「気が利くな、流石俺の嫁」
俺の嫁…この言葉も事有るごとに言いそうだ。
「寝室は…廊下を出て右側の部屋です」
「お…おぅ」
先輩は妙にヨロヨロしながら廊下に出て行った。
今日は色々あったし疲れていらっしゃるだろうから、少しでも安眠出来るといいわね。
私は自分の家の周りに張っている障壁の点検をしてから、体に浄化魔法をかけて身綺麗にした。
私は今日は夜警をしよう。夜にあいつらが来ないとも限らない。軍服のままキッチンで魚介のスープを作っていると、ジーク先輩の魔質が近づいて来た。
あら?何だろう?
「おいっ、いつまで待たせ…何で軍服着ているんだよ?」
「はぁ…夜に侵入者が来ないとも限りませんので、いつでも動けるように…」
ジーク先輩はカッと魔質を輝かせた。
「なっ…そんなの別にいいだろっ…今日は大事なしょ…初夜…」
私はカチンときてジーク先輩を睨んだ。
「何をおっしゃるのですか!?もし先輩が攫われでもしたら国一番の守り手の名折れっ!全力で守らせて頂きますから!」
ジーク先輩はワナワナと体を震わせた後、床に倒れ込んだ。あら?これは男には地にひれ伏さねばならない…とかの現象かしら?
「そうなんだけど…いや自分で守れって言っちゃったし…でも今日は…俺の馬鹿ぁ…」
ジーク先輩は何かゴニョゴニョ言っているけど、どうしたのかな?
あ、そうだ!
「先輩眠れないなら、添い寝を…」
「そぃッ!?誰がそんなこと言ったんだ!?…マジで誰?」
「食堂のキーラさん」
「キーラのおばちゃんっさすが!じゃないけど…うおぅ…」
先輩ってば床の上でのたうち回っているわ。汚いわね…
「先輩、今日はお疲れでしょう?もう休んでくださいな」
ジーク先輩を促して寝室へ連れて行く。先輩は大きな背中を丸めて若干哀れだ。
「フィー…」
「何で御座いましょう?」
「添い寝を所望する」
やっぱり…ね。
普段は憎まれ口を叩いてばかりだけど、案外子供っぽいのよね、ジーク先輩。おまけに今は狙われているしね、心細いには違いない。
「…ん」
ジーク先輩は掛け布を捲り上げて、ベッドの半分を開けて待っていた。
私がそのままベッドに近づこうとすると
「服、着たままなの?」
と聞いてきた。それもそうか…軍のジャケットは確かに横になった時に動きにくいし…編み上げブーツも脱いでおこうかな…
「それも着たままなのか?」
「シャツとパンツの何がいけないのですか?」
私がジャケットとブーツを脱いでベッドに近づくと、ジーク先輩は渋い顔ながらも頷いてくれたので、ゴソゴソとベッドに上がった。
「失礼します…」
と呟いて先輩の隣に横になると、先輩は何故か私の体を抱き込んでくる。
「ちょ…っと先輩?」
「夫婦なんだし、いいだろ」
で、でたーっ!夫婦だからいいだろ。これも新たに使い回しされそうな言葉だ。私は先輩に抱っこされながら、小さい声で術式を詠唱していた。
「はぁ~なにこれ~?魔力がめっちゃ気持ちいいんだけど~?それにさ、やっぱセミダブルはきついわ、ダブルベッド頼んどいてよかっ………。ぐぉ…んぁ……。むにゃ…」
ん?今何か言ってた?
術の詠唱が終わり、ジーク先輩に強力な睡眠魔法…またの名を気絶魔法をかけると、軽くいびきをかいている先輩の顔を見上げた。
「腹立つなぁ…」
綺麗な顔である。薄らと髭は生えてきてはいるが、肌は吹出物一つ無い、至近距離から舐めるように見てみたが、お肌のコンディションは乙女以上に良い。
「益々腹立つなぁ…顔に落書きしてやろうかしら…」
やめておこう…女として負けた気分になるわ…
私はベッドを出るとそのままキッチンに向かい料理の仕込みに戻った。
その日の夜は侵入者の襲撃はなかった。
翌朝
ジーク先輩を起こしに行くと、まだ気絶魔法の術が効いているようだったので解術した。
「…ん?アレ…」
寝起きのしどけないジーク先輩も色っぽいね…トロンとした色っぽい目で私を見ている。
「おはようございます、ジーク先輩。朝ですよ?」
「俺ぇ…寝ちゃってた…」
「はい、熟睡されてましたね。朝食出来てますよ~」
私はボンヤリしたジーク先輩を起こすと軍服を着せ、洗面所まで連れて行った。
「生憎と男性用の髭剃りは無いのですが…」
「ここにそんなの置いてるの見たら俺が発狂するわ…」
起き抜けから何を言っているのか分からないわ…。
先輩が朝の準備をしている間にお弁当を作っている何故かと言うと…
ジーク先輩は身支度を終えてキリッとした顔でダイニングに入って来た。
「おはよう、昨夜は侵入者はなかったんだな?」
「はい、おはようございます。はい、明け方まで様子を見ましたが大丈夫でした」
ジーク先輩は怪訝な顔をした。
「おい、お前まさか徹夜か?」
「当然です、護衛ですから」
先輩は怖い顔をして私に近づいて来て、ほぼ抱き締めているような体勢で私の顔を両手で挟んで上を向かせた。
先輩の綺麗な顔がドアップだ。
「無理はするな」
「でも…」
「お前は護衛の前に、俺の嫁だ」
すごい魔力の圧を出しながら強い口調で断言されてしまった。
「分かりました…では嫁として一つ言わせて下さいね。執務室に寝泊まりしている理由は何故ですか?」
ジーク先輩は明らかにギクンと体を強張らせた。