愛染堂市
『何で勃たなくなったの?』

 ペンキ屋の告白にアタシの心は完全に上気し、自分の欲求を抑えられなくなり始めた。

ペンキ屋はまた少し表情を曇らせ、アタシを睨む様に見つめた。

そして空になったアイスコーヒーのグラスに目を落とし「そこまで話すつもりはねえ」と言い、グラスを肩の辺りまで上げて「おい!!ウェイター」とキッチンの方に居るウェイターを呼んだ。

 あくびでもしていたのか、口に手をあてながら、キッチンの奥の方から慌ててウェイターが現れて、ペンキ屋の掲げたグラスを見て、愛想笑いを浮かべお辞儀にも似た合図をして、またキッチンの方へ下がった。


「・・・早く食え」


 ペンキ屋はすっかり食べ終わっていて、グラスをテーブルの端に寄せながら、煙草を一本取り出した。


『・・・その煙草珍しいよね?』


 アタシは、また話題を失い藁にも縋る思いで言葉を吐いた。


「JPSがか?・・・そうでもねえだろ」


 ペンキ屋は目をコチラに向ける事無く、煙草に火を点けながら溜息のように言葉を吐く。

 ウェイターがペンキ屋に、アイスコーヒーを持ってきて、空のグラスと食べ終わった食器を下げ、アタシが蟹ピラフの最後の一口を口に入れて、何と無く「最後の晩餐」と言う言葉を想像した頃、何人かのグループが店を訪れて、にわかに店が活気付いたように感じた。


『これからどうするの?』


「・・・どうしたい?」


『ペンキ屋はどうしたいの?・・・アタシ死ぬの?』


「・・・聞きたいか?」


『聞かなくてもいいんだけど・・・』


「・・・だけど?」


『もう少しだけ・・・アナタと話したい』


「何を?」


『わかんない・・・アタシ馬鹿だから』


 訪れたグループ客の楽しそうな声が、少し離れたココまで聞こえる。

賑わいを見せたお昼時の海辺のレストランは、とても爽やかに健康的に感じた。

アタシは正午の日差しを受けるペンキ屋の顔を眺める。

 何故か酷く哀しげに感じた。
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