愛染堂市
 
 風が構内を吹き抜ける音が心地よく耳を震わせる。

 木漏れ日のように、錆び落ちたトタン屋根から差し込む日差しが、俺の頬を撫でる。

 俺の鼻先に女の鼻から僅かに漏れる息が伝う。

 音と色の無い世界が目の前に広がり、心音だけが体の中を駆け抜ける、俺はまた視界を失う。

女はゆっくりと唇を離し、ゆっくりと目を開ける。

そして俺の後方に退かれた右手首を持ち、再びグロックを自分の左胸に突き付けた。


「―――撃ってペンキ屋、アタシをこの世界から連れ出して」


俺は無意識に二度首を横に振る。


「駄目・・・ペンキ屋、アタシはやっと出会えた王子様を愛しながら死にたいの」


『馬鹿かお前は?!』


「何度も言わせないでアタシは馬鹿なの。・・・そしてペンキ屋が好き」


 迅速な任務遂行の為に、スウェーデンの馬鹿が考えついた結果は、照準を損なう程の軽量化を施した樹脂素材を多用した銃。

そんな、銃の中でも最軽量の部類に入る「グロック18」が俺の右手には酷く重く感じる。

俺は重力に引かれるように、女の左胸に突き立てられた銃口を右手と共にぶらりと落とす。

女の真っ直ぐと見据えた目が、俺の脳裏に「京子」の映像をはっきりと蘇えらせ、そしてそれは女と重なる。

生温かい感覚が後頭部を包む。


「ペンキ屋?・・・撃たないの?」


『俺の前から消えろ』


「消える?」


『俺の目の前から失せろ・・・自分の住む世界に帰れ』


「嫌よ・・・ペンキ屋お願い」


『駄目だ!!』


俺は声を荒げ、女は一瞬ビクリと体を震わせる。


「・・・ペンキ屋?」


女の目線が僅かにズレた。

そして俺の頬に手を添え、その指先をすっと目の方へ引き上げる。

俺はこの時、水気を帯びた感覚を頬に感じた。

女はゆっくりと俺の頬に唇を寄せ、その液体を舐め上げるように頬に舌を這わす。










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