私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~

 * * *

 門の前で何やら呪文めいた暗号をコウさんが告げて、門は内側から開かれた。広い廊下が続いている。
 地下特有の暗さや陰気さがあるにはあるけど、どの家の地下よりも格段に明るい。
 それは多分、地下街の照明と同じ物が取り付けられていたからだと思う。

 廊下を通って、階段を上がり、一階へ抜けた私達は、そのまま上の階へと上がった。それから階段を四階分上がったから、五階だったんだと思う。
 多分、一番上の階だろう。
 私達は階段から離れて、廊下を進んだ。すると突然、耳を劈くような、甲高い悲鳴が上がった。

「ぎゃあああ!」
「え、なに!」

 私は驚いて思わずびくっと肩を竦めたけど、コウさんと原さんは呆れ果てたような顔をしていた。
(なにごと?)
 私は訳が分からず、きょとんとしながらコウさんを見ると、コウさんは視線に気づいて苦笑した。

「毛利! 毛利ぃ!」
 さっきの悲鳴が聞こえた同じ部屋から、今度は泣き叫ぶような声音で毛利さんを呼ぶ声が上がる。
毛利さんも中にいるの?

「一体、なにが?」
 不安から頬を引きつらせた私を見て、コウさんと原さんが私の肩をぽんと叩いた。
「大丈夫。ぜ~んぜん不安がることないですから」
「いいえ。私はむしろ不安だわ」
 二人とも呆れ果てた顔をして、部屋を見据えていた。
「?」

 私は疑問符を浮かべたまま、コウさん達に続いた。
 コウさん達は、開け放たれた金の障子の部屋の前に両膝をついた。
 私もそのすぐ後ろで同じように正座をして、伏礼をした。

「失礼致します。毛利様より仰せつかりました書物を持参いたしました」
「うわああんっ! それ、それどころではないわあ! ソレを速く下げてたもれ! 毛利、毛利、速くぅ!」
(なに? この、なっさけない声)

 どこからどう聞いても、おじさんの声なのに、どこからどう聞いても半泣きの声音だ。
 私は顔を上げて確認したい気持ちを必死に抑えた。

「下げよ」
 毛利さんの感情のない声が聞こえて、その声に応えるように誰かが「ハッ!」と答えた。
 そして、その誰かは私達のすぐそばを通って駆けていった。
 薄目を開けて見てみると、その誰かは兵士のようで、三人で木の板に乗った何かを運んでいた。

(どこかで見たことがあるような?)
 そう思ったとき、木の板からだらんと何かが顔を出した。
「あっ」
 私は思わず小さく呟く。
 あれは、大雪の日、私を襲ったあのドラゴンと同じ種類のドラゴンの死体だった。

「雪碧竜(セツヘキリュウ)の討伐、ご苦労であった。王からのちに褒美を賜る。下がれ」
「ハッ!」

 毛利さんの抑揚のない声が聞こえて、また誰かが返事を返して、私達の横を通っていった。
 ちらりと覗き見ると、精悍な顔立ちの青年が見えた。
 もしかして、この人がさっきの大名行列の小関なのかも知れない。

「コウ。ご苦労だった。書類をこちらへ」
「ハッ!」
 コウさんが凛々しく返事をし、立ち上がった。
「他の者も面を上げよ」

 素っ気無い声音に、私と原さんは顔を上げた。すると、部屋の奥に立っていた毛利さんと目が合った。

 毛利さんは神主さんみたいな狩衣(かりぎぬ)を着ていた。薄緑色で、川の流れのような模様が厳かに品よく入っている。髪をひっつめて、烏帽子の中に入れていた。
 
 仕事着を見たことが無かったから、なんだか新鮮で、ちょっとときめいてしまった。
 毛利さんは私に一瞥だけくれて、コウさんから巻物を受け取った。

 無表情だったけど、毛利さんの心情を勝手に推測して、私は密かに苦笑した。多分、心情的には『何をしに来た!』ってとこなんだろうな。
(ところで、さっきの声の主はどこだろう?)
 私は目立たないようにキョロキョロと目線を動かした。

「あ~! 怖かった。ドラゴンの死体なぞ、見せんで欲しいわ!」
あ。いた。
 
 その情けない声音の人物は、上段の間に胡坐をかいて座っていた。
 ぶよぶよの脂肪がついた体に、黒の狩衣を纏っている。狩衣は、よく見ると家紋のような模様が入っていた。
 ちょび髭を生やした、ヘタレで我が儘そうな四十代の男性だ。
 男性はこちらをチラリと見ると、突然甲高い悲鳴をあげた。

「ぎゃああああ!」
(なに! なんなの?)
 思わず慌てふためきそうになると、彼は、
「くーも! 蜘蛛がおるぅ!」
 半狂乱で叫び、背後の屏風にでかい図体を揺らしながら無様に隠れた。

(蜘蛛くらいで……)
 呆れて頬が引きつりそう。
「え?」
 手の甲にわさわさとした触感が走った。
(まさか……!)
 ぱっと手の甲を見ると、私の手の甲を三センチもある大きな蜘蛛が這い上ってきていた。

「きゃあああ! いやあ!」
 振りほどこうと腕をブンブンと振り回す。
 でも、蜘蛛は落下せず、しぶとく私の腕を駆け上がってきた。
(どうしよう。いやあ! 気持ち悪い!)

 肩まで這い上がってきた蜘蛛は、私を見てにやりと笑う。そんなはずはない! 蜘蛛が笑うわけない! でも、笑っ……わらわら……。
「――っ」
 悲鳴をあげる寸前で、蜘蛛は私の視界から突然消えた。……ように見えた。誰かの手が、蜘蛛を持ち上げたんだ。

 蜘蛛を眼で追うと、手の持ち主と目が合った。
 逆光の中で光る金色の瞳は、どこか優しげに蜘蛛を見ていた。
 彼は蜘蛛を廊下の壁沿いに這わせて逃がした。

「あ、ありがとう。毛利さん」
 ぽつりと言葉が口をついた。
 毛利さんは振り返って、無表情なまま部屋の奥へと戻った。

「なぁんで、逃がしたのじゃ、毛利! 怖いではないか、あんなに大きな蜘蛛!」
 ぶよぶよの男性は、毛利さんに文句を言いながら、半べそになった。
「たかだか蜘蛛です。悪さは致しませぬ」
「……そうじゃな。それもそうじゃ! うむ。その通りじゃ! 怖くないわ!」

 男性は毛利さんの言葉を聞いた途端、胸を張り出した。
(単純……)
 こんなに単純な人、見たことない。
 私はなんだか、微笑ましいような、おかしいような気がして、頬がにんまりと緩みそうになった。
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