私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~
第十一章・春到来
「だぁかぁら! その物言いはなんとかならないんですかって言ってるんです!」
「貴様がいつまで経っても覚えぬからだろうが」
「覚えないんじゃないです! 出来ないんです!」
私は憤慨しながら、踵を返した。
自室から出る瞬間に、部屋の中から深いため息が聞こえた。
(あの、無言のため息が、いっちばん嫌い!)
泉での出来事から、一ヶ月が経った。
冬があけて、春が来ようとしているのに、私達の仲は相変わらずだ。
少しのことでケンカばかりしている。
「付き合うって、もっとラブラブなのかと思ってた」
(ラブラブとは、程遠いな……)
私はぶつくさと文句を言いながら、廊下を歩き出した。
毛利さんが課した能力を操る修行の話で、今日はもめていた。
修行を始めてかなり経つけど、全然魔王の能力を引き出せない。ラッキーで発動する時はあるけど、単発的で、一貫した能力じゃない。
毛利さんの話によると、魔王は魂で出来ているらしい。
私の中には幾人もの人の魂がいて、その人達の能力を引き出している――ということらしい。
私はその話を聞いたとき、ぞっとした。
だって、それって私、取り憑かれてるみたいなもんじゃない。
考えたら、おっさんだけだって嫌なのに、もっと多くの人間の魂が私の中にある。
それって、やっぱり不気味すぎる。
そりゃあ、その魂に助けてもらったことは何回かあるわけだけど……。
「もしかして、こんな考えだから上手く行かないのかも……」
だからって、割り切れるものじゃない。
私は小さくため息をついて、ぐっと胸の中心を握った。
「おい」
呼び止める声がして振り返ると、毛利さんが立っていた。
「なんですか?」
険のある声で返すと、毛利さんは小さく息を吐きながら歩いてきた。
私は睨みながら見据える。
「貴様の中に多くの力が眠っているから、上手く扱えないのは知っている。だが、それとは別に、貴様は真剣に向き合ってはいないだろう。俺はそれが気に食わない。恐れる気持ちもあるんだろうが、向き合わねばいつまで経ってもそのままだぞ」
「そのままじゃ、いけないんですか?」
何か支障があるようには思えないんだけど。
ケンカ腰に言うと、毛利さんは呆れ果てた表情をした。
「いつまで姫様気分でいるつもりだ。吹雪の日に雪碧竜に襲われた事を忘れたか? 倭和で強襲された事はなかった事か?」
「それは……。でも、他に危険はないし」
「外に出るんだろう? 帰る方法を探すんじゃなかったのか。もう春だぞ」
(そりゃ、そうなんだけど……)
毛利さんはまだ正論を続けた。
「ドラゴンだけじゃない。この町の外には山賊も出るし、盗賊もいる。護衛をつけていたとして、護衛がやられたらどうする? どうやって己の身を守ると言うんだ」
ううっ……。確かに、その通りだけど。そうなんだけど、こんな風に正論を捲くし立てられると、素直に頷く気になれないのっ!
「まあまあ、二人とも落ち着きなって!」
突如、聞こえてきた明るい声音に振り返る。すると、そこには厚手のコートを着た夜壱さんが立っていた。
「貴様が何故ここにいる」
「そろそろお別れの時期だからよ。先に挨拶でもしておこうかなってな」
「お別れって?」
私が尋ねると、夜壱さんは私に視線を移した。
「ほら、前に言ったろ? 春になって雪解けが始まれば、俺は次の国へ行くって」
「あ、そうでしたね。でも、まだ雪はあんなに積もってますよ?」
私は廊下の先の小さな窓を指差した。
冬があけたと言っても、まだまだ寒いし、雪解け間近という感じは微塵もない。
「それが、そうでもないんだな。千葉の春は突然やってくるんだ。春が来ると、雪解けも速いぞ。一気になくなっていくからな。あっという間だ」
「へえ……そうなんですか」
どんな感じなんだろう。ちょっと楽しみだな。
「ま、俺の事は置いといて。あれだ。ようは心配だって事なんだよ。ゆりちゃん」
「え?」
突然話題を変えられて、疑問符が頭に浮かぶ。
夜壱さんは毛利さんの肩に手を置いた。
「コイツ。素直じゃねえし、他人にも自分にも厳しいからさぁ」
そう言って、にやにやと私達を見比べる。
「好きな子にも、厳しいんだよ。な?」
(好きな子……)
私は、照れくさくて俯いた。
「うるさい」
毛利さんは迷惑そうな声を出して、夜壱さんの手を振り解いた。
「ほらほら、表情が出るようになったじゃねーの」
「その面、真っ二つにされたいか?」
からかう夜壱さんに、毛利さんが抑揚なく、容赦なく告げた。
「あらま、冷たい。なあ、ゆりちゃん」
夜壱さんはにやつきながら、私の肩に手を回した。
毛利さんの眉根が僅かに寄る。
「こんな冷たいの放っておいてどこかに遊びに行こうか?」
「え? でも、バイトがありますよ」
「良いの、良いの! そんなの後回し!」
社長がそんなこと言って良いのかな。
苦笑した、次の瞬間。パシンと小さな音がして、夜壱さんの手が弾かれた。
一瞬、驚いた夜壱さんが視界に映り、次の瞬間、唇にやわらかな感触が……。
「んっ」
ちゅっと音を立てて唇が離れた。
「毛利さん!」
(夜壱さんの前でキスするなんて! 恥ずかしいじゃない!)
全身が熱くなって、喚いた私に、毛利さんは金色の瞳を細めて笑んだ。
悪戯っぽい笑みに、思わず胸が高鳴る。
「いやはや、見せ付けてくれるねぇ」
苦笑した夜壱さんは、おどけてみせた。
「やっぱり付き合ってんじゃんかよ~! 教えてくれよ、影也!」
「何故、貴様に報告する義務がある」
毛利さんは、冷たく告げて歩き出した。
そのすぐ後を夜壱さんが追いかける。
「じゃ、ゆりちゃん。またね!」
振り返った夜壱さんには悪いけど、私は彼が視界に入らなかった。
同じタイミングで振り返った毛利さんが、柔らかく笑んで、口ぱくで、
「今日は早く帰る」
と、言ったから。
(毛利さんには、敵わないな)
私は幸せな気分で、二人の背中を見送った。
毛利さんは、泉でスケートをした日から驚くほど変わった。
物言いは相変わらずだし、無表情も多いけど、私に対しては表情を見せることが格段に多くなった。
以前では考えられないほど、表情がある。
どこに隠してたんだろうってくらい。
私はその表情を見れるだけで、どんなことでも許せちゃうんだ。
「でも、毛利さんは、私が帰っても平気なのかな」
私が修行に身が入らないのは、そこにも理由だったりする。
帰りたい気持ちはあるけど、毛利さんと離れることを想像しただけで哀しくなる。
(でも、毛利さんは、そうじゃないのかな?)
私は痛む胸を押さえて、誰もいなくなった廊下を眺めた。