私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~
* * *
屋敷で毛利さんが帰宅するのを待っている間、気まずい沈黙が流れていた。
私達に向かい合うように、女性達が座っている。私の少し後ろに原さんがいて、コウさんはこの場にいなかった。
誰も喋らない中で、少年だけが母親の膝の上ですやすやと寝ていた。
私は、沈黙に耐えられなくなって女性に話しかけた。
「あの、どうして毛利さんに会いたいんですか?」
私がそう尋ねると、周りが少しざわついて、女性が微妙に戸惑いながら口を開いた。
「私は、稟(りん)と申します。私共の置かれている状況をご存知でしょうか?」
「氷結竜が病気になったって……大変ですね」
「ええ。ですが、私共の巣穴では被害が出ておりません。農商務省大臣に輸出を再開していただければ、被害があった第一門、第二門、第五門にも、支援金が送れます」
稟さんは、憂い気な表情を少しだけ和らげた。
輸出再開、農商務省大臣――って、野次馬の先で誰かが叫んでた言葉だ。
じゃあ、あれはこの人達が叫んでたんだ。
「このままずっと再開されなければ、被害に遭った巣穴だけでなく、私共も生活が出来なくなってしまいます」
「そっか。それは、大変ですよね。それで毛利さんに再開を?」
「ええ。頼んでみるつもりです。国外に輸出される前は、少ない売り上げでもやって行けていましたが、今は違います。増やした氷結竜の維持費も掛かりますし、部族も大分増えましたから……」
輸出をこのまま止められると死活問題だよな――と、稟さん側の誰かが呟いた。
(そうか……大変なんだな。毛利さんが許可してくれると良いけど……)
私もお願いしてみよう。そう思ったとき、客間の襖が開いた。
栗毛が襖から覗いて、毛利さんが顔を出した。その後ろには、出迎えに行ったコウさんがいる。
コウさんが事情を説明してきたのか、毛利さんは客人を見ても何も言わずに上座に座った。
「毛利様、まず、ご自宅まで押しかけた事、お詫び申し上げます。失礼を承知で、お願いがございます」
稟さんが、三つ指をついて頭を下げた。それを見て、他の客人達も頭を下げる。毛利さんは、私の少し後ろに控えていた原さんに目配せを送った。
「発言を許可する」
原さんが言って、稟さんは顔を上げた。
真剣な表情で毛利さんを見据える。
「こちらは、第四門の族長で宗言(しゅうげん)と言います」
稟さんは、自分の右横にいた、体格の良い中年男性を紹介した。
宗言さんは、深く頭を下げた。
「私は、第五門代表として伺いました」
稟さんは強い瞳で言って、勢いよく頭を下げた。
「私共の氷結竜は、病の兆候なく、良体でございます。輸出を再開していただきたく、恐れながら進言いたします! どうか、農商務省大臣にそのように指示を願えませんか?」
「ならぬ」
「何故!?」
毛利さんの無慈悲な声音に、稟さんは悲鳴めいた声を上げて、勢いよく顔を上げた。
一族の人達がざわつく。
「農商務省大臣に輸出を止めさせているのは、俺だ」
「何故ですか?」
疑心に満ちた声音で言って、稟さんは瞬きもせずに毛利さんを見据えた。
毛利さんは無表情なまま、抑揚なく言って立ち上がった。
「夏まで、再開は出来ぬ。以上だ」
稟さんはすがるような目をして、歩き出した毛利さんを追うように手を伸ばした。その手が袴の裾を捉えようとしたとき、稟さんの手は地面に伏した。
コウさんがその手を地面に押さえつけ、凛さんを取り押さえるように羽交い絞めにする。
「無礼な!」
コウさんの、今まで聞いたことのない怒声に、私はびっくりして心臓が跳ねた。
それでも稟さんは、毛利さんに追いすがろうとした。
「お待ち下さい! これから半年も、どうやって暮らせと仰るのですか!? 毛利様! 毛利さまぁ!」
稟さんの叫びを受けながら、毛利さんは振り返ることもなく客間を出て行った。毛利さんが出て行ったのを確認してから、コウさんは手を離す。
侮蔑するような目つきで稟さんを睨んで、コウさんも部屋を出る。
私は、呆然としてしまった。私からもお願いをと思ってたのに、あまりの急展開に、一言も言葉が出なかった。
稟さんはその場で泣き崩れた。
稟さんだけでなく、一族の中からすすり泣く声が聞こえる。
悔しそうに泣き崩れるみんなを見てたら、ふつふつと怒りが込み上げてきた。
(なんか、違くない!? こんなの!)
私は、そのまま駆け出した。
後を原さんが追ってくる気配を感じながら、廊下を走り抜ける。
「いた!」
毛利さんとコウさんの姿を捉えて、叫んだ。
「ちょっと待ってください!」
二人は振り返って、コウさんは怪訝に、毛利さんは若干眉を顰めて私を見た。
私はそれには構わずに、喚いた。
「今のは、あんまりじゃないですか!」
「何がだ」
「何がって、だって、第四門と第三門には被害は出てないんでしょ? 再開させてあげてください!」
私の進言に、毛利さんは無表情で、「ダメだ」と、一言告げた。
「何でですか? 再開してくれれば、被害に遭った巣穴にもお金が送れるんだって言ってました。お金が送れなければ、その巣穴はもう閉鎖されてしまうんでしょ?」
「そうなるだろうな」
「そうなるだろうなって……可哀想じゃないですか!」
「感情で動かされるな。政治に情はいらん」
毛利さんは冷たく言って、踵を返した。
「ひどい! この、冷酷魔人!」
浴びせた罵声に、毛利さんは振り返った。
「言っていろ」
その瞳は、明らかに怒気を孕んでいた。
(なんで、毛利さんが怒るのよ!)
私は、おさまりが利かなくて、
「あんたなんか、大嫌い!」
思わず叫んで踵を返す。振り返った私とぶつかりそうになった原さんが、驚いた声を上げたけど、私は振り返る気になれず走り去った。