私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~
* * *
「先日の進軍の話か?」
席に着くや否や、毛利はそう尋ねた。
雪村は緊張した面持ちで、胡坐を掻いていた足を正座に戻した。
抑揚のない毛利の声音に緊張したわけではない事は明白だった。
「うん。ウチが今功歩にいる事は?」
「当然知っている」
「だよな。それでさ、その、今ヤバイんだ」
何がだ? と発しそうなった声を抑えて、毛利は雪村を見据えた。
「実はさ、進軍したの……風間なんだよ」
毛利は、僅かに片眉を跳ね上げた。
訝る気持ちで耳を傾ける。
「風間は結と一部の一族を連れて美章に進軍したんだ。それで、沙汰が下たんだけど、結と一緒に行方をくらましたんだ。もしかしたら、谷中さんの中の魔王目当てでこっちにくるんじゃないかと思ってさ」
雪村は、そこでいったん言葉を区切った。
「それで、忠告にきたわけ」
真剣な顔つきで雪村は告げた。
毛利は僅かに片眉を上げた。
「何故、風間は進軍をした?」
「それは……ごめん。分からない」
「……何?」
情けない表情をした雪村を見据えながら、毛利は不信に満ちた声音を出した。
風間は主を利用こそすれ、裏切るような真似をするだろうか?
あれでいて、風間は主を敬愛しているように見えたが――と、毛利は疑惑の眼差しを雪村に向けた。
雪村は今にも泣き出しそうな表情を崩さず、悔しそうに告げた。
「もしかしたらだけど、風間は何か、脅されていたのかも知れない。もしかしたら、一族に何かあって、それでなのかも……」
毛利は僅かに頬の筋肉を動かした。
それは、イラつきからだった。
「何故、貴様がそれを把握していない」
「俺は、風間にまかせっきりだったし」
「それは倭和の屋敷での振る舞いで分かっていたが、こうも頼りない主だとはな」
軽蔑の眼差しを送った毛利に、雪村は泣き出しそうになるのを堪えていた。
毛利は強くため息をついた。
「分かった。注意しよう」
「うん。ありがとう」
雪村は深々と頭を下げた。
そして、深刻な眼差しをしながら頭を上げた。
一瞬の沈黙に、毛利は緊迫感を感じた。
「実は、もう一つあるんだ」
「……なんだ?」
「功歩の戯王が身罷られた――って、数日後に伝書が届くと思うから、先に言っておくよ」
雪村の真剣な瞳の中に、揺らぎが生じたのが見て取れて、毛利は先に言葉を発した。
「風間か?」
「うん。逃げるさいに戯王を殺したんだ。でも、他国には詳細は告げられないと思う」
「なるほどな……それもあって、お前は風間を追っているわけか」
暗殺者が誰なのか知っていながら指名手配にしないのは、もう手を打っているからということだ。
雪村が、いや三条一族が、風間を追っている――そういう事だろうと、毛利は納得した。
決心したような顔つきの雪村に、毛利は小さく息をついた。
「今晩は泊まって行くが良い」
「……ホント?」
目をぱちくりとさせた雪村に、毛利は怪訝に眉を顰めた。
「なんだ?」
「いや、そう言われるとは思わなかったからさ。もう帰れって追い出されるものかと思ってたから……何か、毛利さん変わったな」
雪村は意外そうに言うと、明るく笑んだ。
毛利はそう言われた事が、意外であると同時に何故か附に落ちた。
自分自身でも少し、丸くなったような気がしていたのだ。
ゆりの顔が浮かんで、毛利の中で暖かさが広がった。
「部屋に案内させる。しばし待て」
抑揚なく言って、毛利は部屋を出た。
雪村条はその背を笑みながら見送った。
そして、襖が閉ざされた瞬間、途端に真顔になる。
曇りきったような空ろな瞳を隠すように、雪村はテーブルに突っ伏した。
「……嘘つくのって嫌なもんだな。なあ、風間」