私の中におっさん(魔王)がいる。~毛利の章~
* * *
アジダハーカが静まり返るのと同時に、電光石火の如く鋭い斬撃が走った。
甲高い音を立ててアジダハーカがよろめく。
アジダハーカは操られたままで、意識を取り戻した様子はなかったが、それでも剣戟をふるった相手を見返した。
彼は重力に戻されるように、重い音を立てて地面に足を着いた。
「おいおい。へこみすらしねえのかよ」
白髪の髪をかきあげながら、花野井は先程攻撃を食らわせた相手を見据えた。
「ま、久しぶりに本気でやれるだけよしとするか」
花野井はにやりと笑みながら言って、構えた。
そこに、月鵬が騎乗翼竜――白矢を連れてやってきた。
「白矢は……いりませんよね」
「ああ」
月鵬は尋ねかけてやめた。
花野井の余裕のある返事を聞くと、月鵬は自分で白矢に跨った。
そこに、翼竜の飛び立つ影が射した。
「ちょっと! 二人だけで盛り上がらないでくれる? あの魔竜を手に入れるのはぼくなんだからさ!」
シンディに跨り、上空から意気込んだ黒田を、月鵬は不快に眉を顰めて見上げた。
そこへ、ひょうきんな声が届いた。
「まぁた、そんな事言って! とりあえずあの竜を倒す事を考えましょうよ。ね、隊長」
「はあ? バカ言ってんなよ! あの坊ちゃんから呪符を手に入れれば、史上最強の生物兵器が手に入るでしょ。見過ごすバカがどこにいんの?」
ラングルに乗って、横にならんだ翼に黒田は呆れた眼差しを向けた。
「それはどうだかな」
静かな声音に振り返ると、地上から毛利が雪村を見据えていた。
雪村は何も言わずに、毛利を見つめ返す。
「お前たちの企ては、こういう事だったのだろう? 愛に餓え、力を欲する者を選び、話を持ちかける。その中の誰かが、魔王の器と恋仲になった時、器を殺す。そして、恋人に魔王の中に呪符を入れさせ、魔竜を目覚めさせ操る。その為の、此度の計画だったわけだ。器を殺す必要があったのは、器の魂が邪魔だったからであろう?」
毛利の冷静な問いに、雪村は顔色一つ変えずに答えた。
「……そうだよ。器の魂が表層にあると、深部の魔王に届かないから。彼女には死んで、魔王とひとつになってもらわないといけなかったんだ」
毛利は波立つ感情を押さえ込んだ。
硬く拳を握り締める。
「でもそれだったら最初から、魔王に呪符を入れれば良かったんじゃないんすか?」
翼の問いに、毛利は振り返った。
「忘れたか? アジダハーカと共鳴していない魔王は人を殺すのだぞ」
「あ!」
声を上げた翼から目線を外し、毛利は雪村を見上げる。
「おそらく、こやつらが魔王を発見した時にはもう、聖女とやらの器としての寿命が尽きていたか、施された結界とやらが持たなかったかしたのだろう。それで、小娘を呼んだ。そうだな?」
毛利は殺気立ち、雪村をにらみつけた。
その気迫に、その場の誰もが息を呑む思いがしたが、雪村は涼しい顔を向けた。
何も答えない雪村に、毛利は殺気を押さえ込んで続けた。
「だが、アジダハーカを操る事が出来るのは三条一族だけ……そうであろう?」
「はあ!?」
黒田は勢いよく雪村を見上げた。
雪村は、黒田に一瞥もくれずに、そのまま毛利を見据えていた。
「その通りだよ。本当の意味で呪符を操れるのは、三条一族の中でも『呪術師』だけだ。毛利さん。あなた本当に頭が良いんだね。きっと色んな考えが浮かぶんだろう? 風間と一緒だ」
表情のなかった雪村が、ここにきて初めて薄っすらと笑んだ。
「貴様の目的はなんだ? 黒田のように世界を滅ぼす気か?」
「それは違うよ。毛利さん」
毛利のただすような問いを、雪村は冷静に否定した。
その表情は、どこか澄んだようにも見えた。
「俺は、三条の本懐を遂げなくちゃいけないんだ」
「本懐?」
毛利が怪訝に聞き返したが、雪村はゆっくりと瞬きをして、掌を地上へ向けた。
「……ごめん。もうキミ達に話す事はないんだ。アジダハーカ。手始めに、この安土を焼こう。彼らと共に」
「ウォオオ!」
アジダハーカが唸り、ガポンと開いた口から渦巻く炎が立ち上がった。
「ゲッ!」
花野井が呟き終える前に、炎は眼下に下された。
花野井は足に力を込めて飛び上がり、月鵬は白矢を羽ばたかせた。毛利は猛スピードでその場から姿を消す。
炎は地を這うように燃えて行き、建物を半壊させた。そこから燃え移り、炎はなおも広がる。
そこに、駆けてくる人影が見えた。
「毛利様!」
「ウラアア!」
一人が名を叫び、もう一人は雄叫びを上げながら地を蹴った。
踏みつけられた地は凄まじい爆音を立てて爆発し、その爆風を利用して、男が天高く飛び上がり、アジダハーカの横っ腹を蹴りつけた。
蹴りつけた脚から爆発が起き、アジダハーカは悲鳴をあげた。
「ヴォオ!」
アジダハーカの横っ腹から黙々と煙が上がる。
「シャ!」
拳を掲げそうになった男――原は、目を見開いた。
立ち上った煙の中から尾が物凄い勢いで振り出され、彼は鈍い音と共に地面へ叩きつけられた。
「原!」
原が地面へ叩きつけられる瞬間、コウはバリアを張った。
原はバリアの上に落ち、跳ね上がって地面に無事に着地した。
「サンキュ。コウ。それにしても、あいつ硬いな」
腕を振りながら、原はアジダハーカを睨み付けた。
モクモクと立ち上がる煙が晴れる。アジダハーカの横っ腹には、傷跡一つついていなかった。
まったくの無傷だ。
「チッ!」
舌打ちをした原の前に、毛利が現れた。
「避難は?」
「あ、はい。王はもうすでに避難させました。住民の避難は順調です」
「今、地下通路を使って避難させています。各将軍へ伝書は飛ばしておきました」
言って、コウはアジダハーカを見上げた。
「あれは、一体なんなのです?」
「アジダハーカ。伝説の魔竜だ」
「……魔王ではなく?」
「ああ。説明は後だ。あの魔竜と、小僧を止めねば」
三人が意思を確認しあったところに、飄々とした声が届いた。
「あのさぁ。ぼく達が千葉を守る必要ってないよね?」
シンディに乗った黒田が、上空から毛利を見据えていた。
その表情には薄い笑みが浮かんでいる。
赤いラングルの羽が陽光に透け、更に赤く輝いていた。
「お前、まだんな事言ってんのか。ホント、協調性のないやつだな」
心底呆れた声を出しながら、花野井が上空から落下してきた。
今の今まで空中を滞空していたのだ。恐るべき跳躍力だ。
しかし、それに驚いた様子もなく、黒田は涼やかな目線を送った。
「おっさんは黙っててよ」
そうぴしゃりと告げて、黒田は毛利に向き直った。
「協力してやっても良いけど。魔王はぼくに頂戴よ。彼女(うつわ)の中にあれば一応は使えるんでしょ?」
「……貴様に協力など請わなくても事足りる」
毛利は鋭い瞳で黒田を睨み付けた。
「あっそ。じゃ、ぼく帰るね。でも知らせに来てやったんだから、その分の謝礼期待してるから。じゃ、毛利さんがんばって」
「ちょ、ちょっと隊長!」
慌てふためく翼に構わず、シンディを旋回させた時だ。
黒田目掛けて、炎が吐かれた。
黒田はシンディの手綱を下げ、下降した後、真っ直ぐに地面擦れ擦れを駆け抜けた。
炎を回避した黒田は、一瞥して翼の無事を確認した後、雪村を睨みつけた。
「ごめんね。黒田くん。逃がしてあげたい気はするけど、キミのその肩書きは外すわけにはいかないんだ」
「ぼくも、標的ってわけね」
黒田はにやりと笑んだ。
「良いじゃん。面白い」
そう呟いて、毛利に向って声を張り上げた。
「毛利さん! 協力してやるよ!」
そこで、いったん区切って、黒田は声のトーンを落とした。
「でも、ぼくあの坊ちゃん殺すよ? 止めるとか言ってたけど良いんだね?」
確認するような声音に、毛利は静かに頷いた。
「致し方あるまいな」
その調子は抑揚がない中にあって、どことなく残念そうに黒田には聞こえた。
だから、黒田は思わず「ハッ!」と、鼻で笑い、嘲笑の笑みを浮かべた。
「毛利さん。アンタ、変わったね。前だったら有無を言わさず叩き殺してたんじゃない?その方が合理的だし、アンタの愛する千葉のためだろ」
毛利は僅かに眉を上げた。
確かに、自分は変わった。
ゆりに会って、変わってしまった。
「良いんじゃねぇのか。ガキには分かんねぇかも知ねぇけどよ。丸くなるのも必要だぜ? なあ、毛利」
花野井は庇うように言って、剣を肩へかけた。
優しい笑みを向けた花野井に、毛利は自然と笑みを返した。
毛利の笑顔を初めて見た面々は大いに驚いた。
他国の人間だけでなく、コウや原も口をあんぐりと開けて仰天した。
目を丸くする周囲を余所に、毛利は視線を雪村へ向けた。
自分は確かに変わった。だが、それを哀しいとも悔しいとも思わない。
喜ばしく、誇りさえする――ゆりが死んでしまった今でも、それは変わらない。
ゆりに会わなければ良かったなんて、もう思わない。
彼女の微笑みが、自分の中に在るから……。毛利は切なく、また暖かい気持ちに包まれた。
そして、雪村をもう一度見据えた。
「ゆりを、帰してもらうぞ。その手の中からな!」