私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

「アンリ」
 自身を呼ぶ声に聞き覚えがあったアンリは、ほっと胸を撫で下ろした。アンリはカンテラの灯を強め、その人物を照らし出した。
 金色の髪が光に映え、キラキラと輝き、その人物は人懐っこい笑みを浮かべていた。

「リンゼさん。どうしたんですか、こんな時間に。明かりもつけないで」
「うん。ちょっとな」
 アンリが安堵の表情を浮かべると、リンゼは傍へ寄って来た。

「僕に書状来てないか?」
「ああ。今さっき届いて、今入れたところです」
 アンリは振り返って保管庫を指差した。

「じゃあ、取り出してくれるか」
「分かりました」
 アンリは鍵を取り出し、保管庫を空けた。

 片手で書簡である巻物を取り出し、カンテラを地面へ置く。保管庫の扉を閉めて、鍵をかけた。鍵を腰の束に戻し、カンテラを拾い上げようと腰をかがめた。

 その瞬間、片手に持った書簡がするりと滑り落ち、落下した拍子に紐が解け、本文が露になった。

 アンリは思わず息を呑んだ。本文に書かれていた文字に釘付けになる。
 だが、すぐに書簡はアンリの視界から離れた。するりと上へ、滑るように上がって行き、丁寧に巻き取られた。

「リ、リンゼさん」
 頬を引きつらせながら上げたアンリの目は、リンゼと共に書簡を映し出した。
 リンゼの瞳は、下から受けるカンテラの光で妖しげに光る。

「見たね?」
「……どういう、事なんですか?」

 いいえ。見ていません。暗くて見えませんでした――そう嘘をつくのが、ベストな選択肢だとアンリには分かっていたが、そんな事をしても無駄だともどこかで思う。
 だから、アンリは尋ねる。

「その書簡の計画って……もしかして関係あるんですか? 風――」
 言葉を遮るように、耳の傍で激しい音が響いた。
「――っ!」

 リンゼの腕がアンリの耳、擦れ擦れに打ちつけられ、アンリは保管庫に背を押し付けられた。

「アンリ。もう一つ、お願いがあるんだけど」
「……」
 ギラリと光るリンゼの瞳が、人懐っこく細められた。
 アンリは初めて、リンゼの笑みが怖いと思えた。

「風間宛の書簡、倭和から届いてるだろう? 鍵、開けてくれないか」
 アンリは直感した。ちらりと保管庫の端を見る。そして、恐怖から喉を鳴らし、リンゼを見据える。

「……出来ません」
「どうして? 厄歩に義理も何もないだろ?」
 リンゼは訳が分からないと言うように、アンリを見返す。

「義理ではありません。それが、私の仕事です」
 震える瞳できっぱりと言い切ったアンリを、リンゼは驚いたように見返した。
 そして、ふと笑みを零す。

「それでこそ。アンリだなぁ……」
 ぽつりと呟いて、リンゼは切ない瞳でアンリを見つめた。
「じゃあさ、仲間にならない? 黙っててくれるだけで良い。な? そうしようぜ?」
「……」

 アンリは揺れた。
 ここで断れば、どんな目に遭うか分からない。こくりと頷きかけて、その瞬間ゆりの姿が過ぎった。
 アンリは、はっとして、口を結ぶ。

「それは、出来ません」
「……そう。それは、残念だ。本当に、残念だよ」

 リンゼは伏目がちに呟いて、すっと手を離した。
 アンリがほっと息をついた、瞬間。リンゼは両手で、アンリの首を思い切り締め上げた。
「ぐっ! ううっ!」
 
 バタバタと足を動かすが、リンゼに圧し掛かられて蹴り出す事が出来ない。
 喉が圧迫され、頭に血が上り、苦しくてリンゼの手の甲を引っ掻いた。だが、リンゼは力を緩めることはない。

「うっ! あっ……!」
(もうダメだ……私、死ぬんだ)
 意識が遠のく、その瞬間、僅かに空気が喉を通っていく。
(え?)

 ぼやけた視界に、おぼろげなリンゼの姿が映った。その姿は、どこか苦しそうに見えた。
 その直後だった。

「うわっ!」
 リンゼの悲鳴で、アンリは我に帰った。はっと目を見開くと、リンゼが複数の伝使竜に囲まれ、前脚や嘴で攻撃を受けていた。

「――ゲホッ! ゴホッ!」
 急に肺に空気が送り込まれ、アンリの肺は空気を拒絶して吐き出す。二、三度咳込んで、肺はようやく酸素を受け入れ出した。
 だが、息を整える暇ない。アンリは走り出した。

「待て!」
 リンゼは叫んで、立ち上がった。伝使竜はリンゼを追い討ちしようと群がる。リンゼは懸命に腕をふって、伝使竜を払う。

 階段の前でアンリは後ろを振り返って、リンゼが見えなくなったのを確認すると、腰の鍵束から二つの鍵を引きちぎり、並走してついて来ていた伝使竜の一匹を引き寄せて、背のホルダーに投げ入れた。

「良い? これを届けるの。――分かるわね?」
 伝使竜はこくりと頷き、翼を羽ばたかせて旋回し、一番近い窓を目指して飛んで行った。
 それを見届けて、アンリは一息つく。

 次の瞬間、アンリは手首を捕られ、強引に引っ張られて身を翻した。
 リンゼに抱かれるように押さえつけられる。力いっぱい腕でリンゼの胸板を押した。

「大人しくしろ!」
「放して!」
「危ないだろ!」
「いや! 放して!」

 バタバタと身をよじり、リンゼから逃れようとした瞬間、ずるっと視界が落ちた。
「バカ!」
 階段から足を踏み外して、倒れ込みそうになるアンリの体を、リンゼは咄嗟に包んだ。

 その拍子に持っていた書簡が投げ出され、背後へ飛んでいく。
 同時に二人の姿は回廊から消えた。鈍い、連続した音が階段から響き渡り、宙を舞った書簡は夜陰広がる窓の外へと消えた。
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