私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
四ヵ月ほど前になる。
風間はサキョウの領地にいた。
サキョウの町を出て、程なく行ったところ、岩がゴロゴロと転がり、双方を低い崖に囲まれた谷間で、不意に喰鳥竜の足を止めた。
「いる……」
風間はぽつりと呟いた。その瞬間、何かが左側の崖から飛んで来て、素早く喰鳥竜の手綱を引いた。喰鳥竜の足があった場所に、鉄製の投げ輪が鋭い音をたてて突き刺さった。チャクラムだ。
剥き出しの鋭利な刃物が、ギラリと陽光に光る。
「ま、やっぱり避けるわなァ、こんくらい」
陽気な声がして、それを合図にしたかのように、双方の崖の上に、合わせて三十人ほどの人影が現れた。
喰鳥竜に跨った彼らは、獣やドラゴンの皮を纏っている。
(盗賊団か)
風間は内心で呟いた。
格好だけ見れば盗賊か山賊か見分けがつかないところだが、風間は盗賊団に当たりをつけた。
自分がここで襲われると言う事は、そうなのだろうと。
不意に、崖の上から太陽を背にした大柄な男が片手を挙げる。ヤーセルだ。
すると、両サイドから滑るように、喰鳥竜に跨った頑強な男達が崖を駆け下ってくる。
崖の上に残っているのは、ヤーセルと、その反対側の崖にいたゼアのみだったが、風間は他に伏兵がいないか視線を四方に投げた。
その刹那に、盗賊団は風間を取り囲んだ。
風間はゼアとヤーセルを一瞥した。号令を出していた事から、おそらくヤーセルが盗賊団の頭だと当たりをつけて、風間は微笑を湛えたまま、ヤーセルに投げかけた。
「あなた方は、或屡様と懇意の仲であるセバス様の従僕ですね。確か、月夜(つくよ)盗賊団でしたか」
「あららァ、御存知かよ。でも、従僕ってのは間違いだぜ。厄歩の旦那。俺達は手を組んでるだけでね。アイツらに付き従ってるわけじゃねんだぜ」
「そうですか」
風間はにこりと笑みを返した。内心で若干の不快さを感じる。
従僕と言ったのはわざとだった。荒くれ者で、考えなしのごり押しタイプであれば、今の発言に激怒し、部下をけしかけるか、自らも崖を駆け下ってくるだろう。
だが、ヤーセルの反応は至って冷静で、取り止めが無い。怒りを含んでいるわけでもなければ、心底から楽しんでいる風でもない。
声音は明るく、愉快そうではあるが、どことなく静謐(せいひつ)な態度が見て取れた。
(噂は真実だろうか?)
月夜盗賊団は決して有名な盗賊団ではなかった。風間自身、或屡の身辺調査を行うまで聞いた事もない名だった。
しかし、調べるうちにある噂を聞くようになる。
『月夜盗賊団の首領は強い』
ただの噂か、それとも本当に強いのか、強いとなれば、どの程度なのか――。風間は事実をはっきりとさせたくて色々と調べていたが、人となりを知る事は出来なかった。
風間は薄っすらと作り笑いを浮かべる。
どうやら、それなりに手強いかも知れない。
風間は密かに臨戦態勢に入った。
ヤーセルはすっと片手を挙げた。その腕を軽く振り下ろす。
「やれ」
冷淡な声音で発せられた号令は、不思議なほど静かに響いた。
「ウォオオ!」
激しい雄叫びが空気を震わす。
盗賊団は一斉に喰鳥竜を走らせ、風間に襲い掛かった。
四方八方から、凶刃が風間の喉もとに迫る。
だがその刹那、盗賊団がその目に捉えたのは、恐怖に歪んだ風間の表情でも、気迫溢れる雄叫びでもなかった。
穏やかな笑み――。まるで天の使いのような優しい微笑(え)み。
その瞳に、その微笑みを焼き付けた瞬間、
「ウギャッ!」
短い悲鳴を残して、風間を囲んだ盗賊団全てが地面に突っ伏した。風間の周囲を見事な円形状に、人とドラゴンとが這い蹲る。
彼らは何かに押しつぶされていた。目に見えない力――重力だ。
呻く屈強な男達、なんとか這いだそうと悶える喰鳥竜。
風間はそれらに一瞥くれた。その瞳は、先程の優しさの欠片も無く、冷淡で、なおかつ昏い。風間がその瞳をゆっくりと閉じた瞬間、激しい地響きが轟き、地面が割れた。
盗賊団も、喰鳥竜も、声さえ出せずに潰れて死んだ。
潰れたトマトのように、叩かれた羽虫のように、車に轢かれた蛙のように。
ひび割れた大地に嵌まり込んで、三十人と三十匹は、一瞬で鮮血を撒いて死に絶えた。
「……」
そんな光景を見た後で、ヤーセルは不敵な笑みを浮かべていた。内心では煮えたぎる思いがあったが、努めて冷静に振舞う。ここで激昂に身を任せれば、不利になる事を知っていた。
慄き、パニックになりそうな喰鳥竜の手綱を引いて宥めている風間を見下ろす。
「よくもやってくれたなァ、厄歩」
「正当防衛ですが」
軽く言ったヤーセルに、風間は苦笑を返した。
「ま、確かにそうだわな」
ヤーセルは呟いて、喰鳥竜のわき腹を蹴った。喰鳥竜は囃し立てられて崖を下る。それを確認して、ゼアは喰鳥竜から飛び降りて崖を下った。
降り立ったヤーセルとゼアを交差して見て、風間は尋ねる。
「良いんですか?」
「何が?」
風間の質問にヤーセルはにやりと笑んで訊き返す。風間が何を指しているのか気づいていながら、わざとそう答えた。
風間は柔和な表情を崩さなかったが、内心では不愉快であった。ヤーセルがわざとそうしたのもわかったし、怪訝でもあったからだ。
ゼアはともかくとしても、何故ヤーセルが下りてきたのか、それが解せなかった。