私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
風間は余裕のある笑みを向けた。
緑礬油とは、吸湿性と強い脱水作用を合わせた液体の事だ。別名、硫酸という。
大気中の水分、水蒸気などを集め、液体状――水にし、更にそれに協力な脱水作用と吸湿性を与える。それにより、その液体がついた皮膚や物質を溶かす作用があるのだ。
ヤーセルは、大まかには水を操る能力に属しているが、能力的には水というよりは、大気を操る能力と言った方がしっくりくるかも知れない。
「確かに『緑礬雨(りょくばんう)』と『重力』では、雨の威力を倍増させてしまうかも知れませんね。しかし、重力操作能力が重くなるだけ、加速させるだけだと思っているなら、とんだ勘違いです」
風間が不敵に語った瞬間、無数の緑礬油の雨は風間目掛けて落下し始めた。結界を溶かし、突き抜ける。しかし、風間の脳天に直撃しそうになった雨は、突然軌道を変えた。
無数の雨が丸く形を変え、ふよっと浮いて、隣の雨粒とくっつき、大きな塊となって猛スピードでヤーセルへ襲い掛かった。
だが、ヤーセルは事態に動じることなく、手を翳した。
「いや? 勘違いしてるのは、オマエさんだぜ」
その瞬間、緑礬油の塊は、びしゃんと鋭く激しい音をたてて、地面へ叩きつけられた。
風間は仰天して、目を丸くする。
(重力で操っていたものを上から押し潰しただと……? 消失させるならともかく、まさか、こいつ――)
風間は顔を顰めた。
柔和な表情が崩れたのを見て、ヤーセルは微かに笑った。
「まあ、この能力を使ったのは人生で二度きりだからな。オマエさんが知らないのも無理はねぇよ」
言って、ヤーセルは見透かすような瞳を向けた。
「オマエさんさァ、ホントは重力操るの、そんなに得意じゃねぇんだろ?」
「……!」
不意に尻尾を掴まれて、風間は思わず息を呑んだ。
「ちゃんと操れてれば、結界でアンタを包んで重力から自身を守る必要はねぇもんな。そんなんじゃ、敵味方関係なく押し潰しちまうんじゃねぇの?」
嘲笑気味に軽く笑んだヤーセルを、風間は静かに睨み付けた。
人前で感情が表情に出ると言う事は、風間にしては珍しい。図星を当てられ、さぞかし不愉快だったのだろう。
風間は確かに、広範囲に亘って重力能力を使えたが、操る事は得意ではなかった。
特に、かける重力を調整する事が苦手だった。少しずつ過重して行こうとしても、一気に増えて相手が潰れてしまう。軽くかけるか、押し潰すほど重くなるかのどちらかだった。
風間はジャケットの内ポケットから、呪符を取り出した。
呪符を指の間に挟んで、静かに力を込める。
「穿(ゲキ)!」
呪符が鞭のように撓り、ヤーセルに向って放たれる。
しかし、穿はヤーセルを弾く前にゼアによって叩き落された。叩き落した穿を踏みつけて、ゼアはそのまま駆け出し、風間目掛けて殴りかかった。
風間は素早く結界を張る。風圧が結界を揺らし、重い音をたてて揺らいだ。風間は微かに安堵の表情を零したが、ヤーセルは蛇のように鋭い瞳で風間の結界を見た。
風間の結界は、キレイな丸でも、四角でもなく、歪な形をしていた。
ヤーセルは、密かに嘲弄の笑みを浮かべた。
ゼアの拳は更に猛攻を極めた。硬質な物がぶつかる激しい音が二度、三度と響き、ゼアが体重を乗せた一撃で、ついに結界を穿った。破裂音を響かせて、結界が弾け飛ぶ。
その刹那、風間はゼアの眼球目掛けて穿牙(ツイガ)を飛ばす。
呪符が撓り、鋭い刃物と化し、ゼアを襲う。
ゼアは拳を振りぬいた体勢から身をよじり、体を回転させた。穿牙は、ゼアの頬を切りつけて、その先のヤーセルへと向った。だが、穿牙はヤーセルに届く前に地面に沈んだ。穿牙と一緒に、草が何かに踏み潰されたように潰れる。
風間はそれを見て確信した。
喰鳥竜を操って後ろへ跳躍し、ゼアから距離をとり、結界を張りなおし、呪符を構える。そして、切り出した。