私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
「……やはり、貴方も重力を使うんですね」
「ああ。俺もこっちは苦手でよ。滅多に使わねぇんだが、オマエさんよりは上手いぜ」
言って、ヤーセルは嘲るように付け足した。
「遥かにな」
「そうですか」
風間は、にこりと微笑(えみ)を返す。
「そういやァ、能力が二つ使える奴は、アッチも稀に見るほど上手いつーけど、アンタはどうだい?」
「さあ? 人に見せた事は無いので」
風間は愛想笑いに拍車をかけて笑った。
「オンナに感想くらい訊くだろ?」
「訊く必要はないと思いますが」
被せるように言った風間に、ヤーセルはわざと目を丸くして見せる。
「もしかして、童――」
「違います」
今度はきっぱりと遮った風間に、ヤーセルは心底おかしそうに笑った。
「冗談だ。冗談。アンタが下ネタ嫌いそうだったからよ。ついな」
風間は微笑を絶やさずに、僅かに眉を吊り上げた。
「さて。じゃ、やるか」
軽く言って、ヤーセルは風間に向けて手を翳した。
それに同調するように、空から雨粒が降り注いでくる。ゼアは後ろへ飛び退き、ヤーセルの遥か後ろに着地した。
緑礬油の雨が垂直の軌道を変え、スピードを上げ、叩きつける様にして風間の張った結界に張り付く。
瞬時に結界を溶かし、大きな穴が開いた。矢継ぎ早に迫り来る緑礬雨が風間に叩きつける間際、雨はその身を翻した。
しかし、緑礬雨はヤーセルへ向おうとはしない。
雫は、ヤーセルの方角へ伸びたり、また、風間の方向へ戻ろうと丸まったりしながら、その場に留まってしまっている。
「……くっ!」
風間は苦痛に顔を歪めた。
ヤーセルの方へ飛ばそうにも、向こうからの力が強すぎて押し留める事で精一杯だったのだ。
「ほらほらァ、もっと力入れねぇと、ぶち当たるぜェ? そのキレイな顔が火傷だらけで見れたもんじゃなくなるぜ?」
ヤーセルは殊更愉しそうに、のたまる。
また、悪い癖が出た――と、ゼアは顔を顰めた。
「ま、気持ちは分かるけどな」
呟いて、のそりと歩き出し、ヤーセルの隣へ並んだ。
窺い見たヤーセルは、心底愉快そうに、にやにやと顔を歪ませている。
「オイ、ほら、使えよ。お得意の結界をよォ! なんだっけ、穿牙だっけか? それでも良いぜ。ほら、来いよ!」
挑発しながら、ヤーセルは囃し立てる。
風間は舌打ちして俯き加減にヤーセルを睨んだ。
「そうだ! 俺さァ、アンタんとこの坊ちゃんに遇ったことあるんだぜ」
「!」
思わぬ発言に風間は跳ね上げるように顔を上げる。そこに一瞬隙が生まれ、雨粒はぐんっと風間に近寄った。
顔に届きそうな距離に、思わず僅かにのけぞる。
「なんだっけなァ。雪村っつったか? あの坊ちゃん、変わってんのなァ」
どことなく感心するように言って、ヤーセルは言葉を続けた。
「明るくて、素直で――つーか、甘いよなァ。俺達を殺さないなんて、ありえねぇだろ? ま、性格はともかくとして、そん時に見た結界は、キレーな四角でさァ。でも、アンタのは随分、歪なのな」
風間は密かに歯軋りをした。
それを感じ取って、ヤーセルは口の端を持ち上げた。酷薄な笑みが顔に張り付く。
風間は奥歯に力を入れて、翳している右手に渾身の力を注いだ。
ぐにゃりと空間に捩れが生じ、肉眼でくっきりと見て取れる程、黒く暗い空間が渦を巻いて現れた。
「ヤべッ!」
ヤーセルは咄嗟に重力を解いた。その瞬間、黒い空間は消失し、風間はその一瞬のタイミングを見計らい、支えていた左手で内ポケットを探る。風間が左手を引き抜いたと同時に、緑礬雨がヤーセルに向って、猛スピードで放たれた。
「チッ!」
ヤーセルが舌打ちをしたと同時に、ゼアがヤーセルを抱えて跳びはねた。
重力と緑礬雨が擦れ擦れで通過していく。そこから、結界に守られた小さな紙が、ひらりと地面へ落ちた。