私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

「……さようなら」
 呟いた瞬間、激しく燃えていた炎が、爆ぜるように掻き消えた。
「な――!?」
 振向くと宙に浮くように、ヤーセルが爆ぜた炎の残りを纏って現れた。
「あ~、危っねぇ! 死ぬとこだったぜ」
(違う)
 風間は内心で呟いた。

 今の呪火の消え方は、重力操作ではない。重力で呪火を薙ごうとすれば、押し潰すか、横方向に重力を加え、自身の身を守るかしかない。無重力状態にしたとしても、酸素があれば、炎が丸く、青くなるだけだ。

 しかも、呪火は普通の炎と違って、一定時間燃え続ける。重力で押し潰しても燃え続ける事に代わりは無い。掻き消える事は無いのだ。

(……これは、呪火の呪符を破ったのか)
 風間は疑いたくなる一方で、そう確信した。
 そうか――と、風間は不意に腑に落ちた。

「もう一つの方に、切り替えたんですね?」
「言ったろ? 俺、そっちのが得意なんだってよ」

 風間の確信をついた問いに、ヤーセルはしてやったりという表情で、にやりと笑いながら降り立った。

「いやァ。熱かったぜ、ホント。死ぬかと思うくらい熱いんだぜ。オマエさんも一回入ってみれば?」
「遠慮しておきます」
 風間は愛想笑いを送ったが、その表情は僅かながらに苦笑になった。
(この男……本当にやり辛い)

 風間は内心で苦虫を潰すように、ヤーセルを睨みつける。
 ヤーセルは、炎に飲まれそうになった刹那、得意な緑礬油に切り替えた。とは言っても、緑礬油にはせずに、大気中の水分を吸い取るだけに留め、自身に分厚い膜を張ったのだ。

 余裕綽々に見せているヤーセルだったが、実は本当に死に掛けていた。
 膜を張ったものの、熱により蒸発して行き、一分も経たないうちに一メートルもの厚さの水の膜が半分に減った。
 あと数秒、呪火を発生させている呪符を見つけるのが遅れたら、ヤーセルは確実に死んでいた。
 ヤーセルは大量の汗を腕で拭う。

「でもよ。オマエさん。気をつけな」
「は?」
「相手してんの、俺だけじゃねえんだぜ」
 ヤーセルが不敵に笑んだ瞬間、風間の左足が捕まれた。
(しまった――!)

 風間は咄嗟に手を振り払おうと、足を浮かせようとした。だが、掴んでいるゼアはぴくりともせず、
「ガルルルッ!」
 低い、獣のような唸り声が僅かに響く。
(マズイ!)
 風間はナイフでゼアを突き殺そうと、勢い良く振り下ろした。その瞬間、
「ガアアア!」
「――!」
 言葉を失くした獣の牙が、風間の喉下に噛み付いた。
 赤い鮮血が飛ぶ。

「あ~あ。獣化しちまった。めんどくせーなァ」
 ヤーセルはぼやいて、重力をゼアに向けて放った。
「ギャッ!」
 ゼアは悲鳴を上げて、突っ伏する。

「手加減しねーぞ。オマエ相手にそりゃ、無理って話だかんな」
「ガルルルッ!」

 ゼアは重力に逆らって半身を起こした。獣と化したゼアは、長く、鋭く変化した牙を剥き出し、鋭く尖ってしまった爪をヤーセルに向けて伸ばす。
「ガッ!」
 咆哮した瞬間、ゼアは立ち上がり、重力に逆らって駆け出したが、ヤーセルが重力を倍増させ、ゼアは鈍い音をたてて地面へ沈んだ。
 そのまま、ゼアは気を失った。

「ったく。このバカ。生け捕りって契約だったろーが。――死んでねぇよなァ?」
 ヤーセルは心配そうに風間を覗き込んだ。
 風間は首から血を流し、息も絶え絶えに肩で息をしていた。目玉が痙攣するように、忙しなく小刻みに揺れる。

「あ~。こりゃ、ヤバイな。早く手当てしねーと、マジで死ぬわ」
 ヤーセルは引きつった表情で苦笑し、風間を抱えた。
「死ぬんじゃねーぞ。俺の報奨金!」

 ヤーセルの軽口を聞きながら、風間は悔しさで胸がいっぱいだった。
 噛み締めた唇から、赤い雫が零れ落ちた。
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