私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
ゆりは、雪村がいなくなった真っ暗闇な部屋の中で、薄っすらと涙を浮かべた。目を擦って、小さく息を吐く。
「行こう……言わなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟いて、部屋を出る。
地上へ上がると、半月が眩しいほどに輝いていた。銀色の光を放ちながら、荒野を照らす。サボテンに似た植物が、月の光を獲て生き生きと輝いているように見えた。
そのすぐ近くに、雪村はいた。岩の上に腰掛けて、茫然と月を眺めている。
近づくと、雪村は振り返ってばつが悪そうな表情を浮かべた。
「あのね。雪村くん」
「なに?」
雪村は無意識に瞳を伏せた。
ゆりは、小刻みに震える唇を抑えるために、口を固く結ぶ。大きく息を吸った。
(私が、言わなきゃいけないんだ。雪村くんに、言わせたらダメだ)
ゆりは息を吐き出し、無理矢理笑った。
「私を、殺して良いよ」
衝撃的な発言に、雪村は逸らした視線を上げた。
「何言ってんだよ!?」
怒鳴るように言って、雪村は岩から飛び降り、ゆりの肩を強く掴んだ。
「他に絶対方法があるから! だから、諦めないでくれよ!」
「諦めるんじゃないよ。だって、このままじゃ、みんな風間さんみたいに殺されちゃうかもしれないんだよ? 結だって、オヤジさんだって、留火さんだって、廉抹さ……だって、死ん、じゃ……」
最後まで言い切れず、泣き崩れたゆりを、雪村は強く抱きしめた。
「大丈夫だって。絶対俺が、みんなを守るから。だから、二度とそんな事言わないでくれ。お願いだから。俺には……俺には君しかいないんだから」
ゆりを抱きしめた腕に、更に力がこもって、雪村の頬に一滴の涙が零れる。
離さないように、すり抜けていかないように、雪村はゆりを抱きしめる。
(――風間)
雪村の胸は、哀しみで満ちた。
「お願いだ。もう、大切な人を失いたくないんだよ」
「……」
誰の事を指しているのか、ゆりには分かった。彼の後悔を、ゆりは感じ取っていた。
つまらない嫉妬心から、喧嘩別れのようになってしまった事。
本当はずっと、守られていた事。そして、それに薄々気がついていながら、それに甘えきっていた事。それが、風間を処刑台に追いやった事。――戯王への、或屡への、功歩国への、怒り。憎しみ。そして、はらわたが煮えくり返りそうなほどの自身への憎悪。
だったらなおさら、私を殺すべきなのではないか。ゆりは、そう思った。だが、熱い腕に擁かれて、そう言い出す事が出来ない。うんと、頷いてしまいたくなる。それに、ゆりを殺してしまったら、雪村は永遠に自分を許せないだろう。自分自身を憎悪したまま、生きなければならない。
だが、自分の命は自分だけのものではない事をゆりは理解していた。
ゆりの命一つで、百五十人の命が助かるかも知れない。刑を待つ身の、捕らえられた一族を解放してあげられるかも知れない。
未来を紡いで行く事が出来るかも知れない。――夢見た国で。迫害のない、世界で。
ゆりは、揺れた。
自分の命で、三条一族を救うか。愛する人を憎悪の波に放り込んだとしても、それを採るのか。それとも、勝算の見込みのない彼の口車に乗るのか。
「……分かった。雪村くんを、信じる」
「本当に?」
「本当」
「もう、二度と死ぬなんて言わないよな?」
「……言わないよ。言わない」
ゆりは微笑(わら)った。震える胸を押さえて。
それは、大罪のように思えた。だが、ゆりには自分を殺す事も、彼の心を殺す事も出来なかった。例え、百五十人を殺す事になろうとも。
「……言わない」
もう一度呟いてゆりは顔を歪め、泣き崩れた。
頭首として、何を採るべきなのか、雪村は理解している。ゆりを殺す事だ。
だが、自分とさして関係のない百五十人の命を想って泣き崩れる心優しい少女を、どうして殺せるというのだろう。
ましてや、自分が初めて愛した女性だというのに。
「俺が、絶対何とかする。――ゆりちゃんも、一族も、守ってみせるから」
考えも、勝算も、何一つない。
でも、雪村は心底腹を決めたのだ。その思いは、揺らぐことはない。
「守ってみせる。必ず」