私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
結局、雪村は結に追い払われてすごすごと退散し、ゆりと結は、メインストリートに下りてぶらぶらと散策をしていた。
ゆりはてっきり、結の行きつけに連れて行ってくれるものだと思っていたのだが、結は元来ファッションに興味はないらしく、もう何年も買っていないのだと言う。
しかもどこで買ったのかも忘れたときた。
それなら雪村ときた方が良かったのではないだろうかと思いながらも、結局ゆりは結とのショッピングを楽しんだ。
やはりクラプションでも、中世のヨーロッパの服装に似ている物を着ている者が多かったが、中には貴族のようなドレスを着ている者もいた。
結が言うには、そういう格好をする者は、貴族や金持ちなのだそうだ。
そんな風なドレスを結は進めてきたが、ゆりはかたくなに拒んだ。
コルセットが苦しそうだし、ドレスもスカートの部分をふんわりさせるために、針金が入っていて、生地なども随分と重かった。
一時的に着るのなら是非着てみたいが、ずっと着るのは勘弁だった。
結局ゆりは、町村の女性と同じような服と、ポンチョ型のコートを選んだ。
結は不満そうだったが、可愛い服を買えたと、ゆりは満足し、買った服の一着をそのまま着て帰ることにした。
二人が城へ戻るとちょうど日が暮れて、夜がやってきていた。
城の廊下にはランプが灯されていたが、電球の明かりに慣れているゆりにしてみれば、心もとなく、しかも石壁が長く続く廊下は、昼間とは打って変わって不気味だ。
ゆりは結のマントの裾を引っ張った。
「なんだ?」
「ごめん。何か怖くって」
「そうか?」
怪訝に首を傾げて、結は続けた。
「そのうち慣れると思うぞ」
「そうかな?」
「うん。――あ、すまない。ゆんちゃん、ワタシ仕事あった」
「え?」
結は思い出したように振り返って、ゆりの手をマントから外した。
「じゃな! かえり方はわかるだろ?」
「え、ちょ、ちょっ――」
尋ねておいて結はゆりの返事を待たずに、軽く片手を振りながら走り去ってしまった。
「え~? ゆいぃ~!」
ゆりは情けない声を出しながら手を伸ばしたが、薄闇に消えた結に届くはずはなく、ビクビクしながら歩き出すしかなかった。
「もう~。ひどいよぉ……」
愚痴るゆりの背後から、雲が切れ、月の光が差し込んだ。月明かりがステンドグラスの模様を廊下に映し出させる。
緑や青が中心の蔓が流動的に描かれ、真っ赤な薔薇やアネモネなどの花に囲まれた中に、二匹の鳥が互いを慈しむようにして向かい合っていた。
「こんな絵だったんだ」
外から仰ぎ見たときは、なんとなく何が描かれているのかは分かったが、首が疲れるのでそれほど良くは見なかったのだ。
「すてきだなぁ」
ゆりはぽつりと呟いて、床に映った鳥を見つめた。
「こんなとこで何やってんの?」
「きゃあ!」
突然後ろから声をかけられて、ゆりは驚いて走り出した。
少し走ったところで、我に返って振り返ると、雪村が呆然とした表情で立っていた。
「ごめんな。そんなに驚かせちゃった?」
「……驚くよ~。もう、びっくりしたぁ!」
「ごめんな。――ところで、こんなとこで立ち止まって何してたの?」
「ああ、うん。これ」
ゆりが指を指した瞬間、ステンドグラスの色鮮やかな影は消えてしまった。
仰ぐと同時に、月が雲に隠れ、雲の中で淡い光を放ちながら、やがて完全に隠れてしまった。
暗くなった廊下は、また不気味さを取り戻し、ゆりは僅かに顔をこわばらせた。
「これって……ああ、ステンドグラスの絵のこと?」
「そう。きれいだったから」
「そっか」
雪村は短く言って、じろじろとゆりを見る。ゆりは怪訝に首を傾げた。
「……なに?」
「え!? あの、えっと、その――」
「なに?」
しどろもどろになった雪村に、若干ゆりが語気をきつくすると、雪村は頬を掻きながら言った。
「あの、似合ってるな。その、服」
「え?」
ゆりは自分が着替えたばかりだったということに気がついて、スカートの裾を広げた。
「これ、結構可愛いよね。功歩の服って、可愛いのが多くて迷っちゃったよ」
「え、あ、うん」
「なあに? 歯切れわる~い! あ、もしかしてセンスなかった?」
「いや、そんなことない! センスあるある! ありすぎ!」
「そんなに言われると、なんかうそ臭いな」
「嘘じゃないって! 可愛い!」
慌てて言って雪村は、はにかんだように笑った。
ゆりは嬉しくなって、おどけてお辞儀をして見せた。
「ありがとうございます。雪村様」
「いやいや、やめて」
ゆりの冗談に、雪村は手を振って苦笑を返した。
「俺さぁ、様つけされるのとか嫌いなんだよなぁ」
「あっ、分かる! 私も谷中様とか言われると、そんなに偉くないのになとか、嫌だなとか思っちゃう。風間さんに言われると、特に思うよ」
「どうして?」
「え?」
きょとんとした視線に、ゆりは少し固まった。
どうしてかと問われれば、思い当たる理由は幾つかあった。
まず初めに、彼の方が年上だというのが上げられて、次に距離を感じる。そして、どうしてその距離が嫌だと思うのかと言えば、ゆりが風間に憧れを抱いていたからだと言える。
だが、彼が自分を騙していたことに憤り、その憧れも心の片隅に追いやった。が、改めて問われると、戸惑う自分がいることにゆりは動揺した。
雪村はゆりの動揺をなんとなく察した。それはゆりの顔に出ていたからだったが、嫌な予感がしたからでもあった。
「えっと、まあ、忘れて」
雪村がそう言って、その場を離れようとしたので、ゆりはとっさに引き止めた。
「待って!」
「え?」
ゆりは振り返った雪村の袖口をそっと掴んだ。
雪村は、一瞬だけ呆けた顔をして、ボッと顔に火が灯ったように赤くなった。
「あの、ごめん、一緒に部屋まで行ってくれない?」
「え?」
ドクドクと心拍数が上がる。
(もしかして、誘われてる!?)
「暗くて怖いんだ」
「ああ……そっか。うん、良いよ」
雪村は落胆した気持ちを持ち直して笑った。
「ありがとう」
ゆりはお礼を言って、二人は歩き始めた。
薄暗く、不気味な廊下を、二人は暫く無言のまま歩いた。
ゆりは不安でビクビクとしていたので話しかけなかったのだが、雪村は終始気まずそうにして、顔を赤らめていた。緊張していたのだ。
そんな風に歩くうちにゆりの部屋の前まで来てしまって、雪村は残念そうな表情を浮かべた。
「ありがとう」
「うん。あっ、そうだ、夕食だけど、食事は全部部屋に運ばれるらしいから」
「そうなんだ。みんなそうなの?」
「ううん。食堂で食べたり、各自持ってきてたりそれぞれだよ。一応ここ、仕事場でもあるからな」
「そっか。じゃあ、あんまり動き回らない方がいいよね」
「まあ、見て回るくらいなら良いんじゃない? ここ広いし。俺も部屋で一人で食べるのばっかだよ」
「そうなの?」
「うん。一応、三条家頭首だからな。食堂で皆と食べちゃいけないんだってさ。俺はわいわい言いながら皆と食べる方が好きだけど」
「……え!? 雪村くんって、頭首なの?」
ゆりは一瞬驚いたが、雪村が領主だということを思い出して、密かに納得した。
しかし、頼りないと思っていた雪村がそんなにすごい地位にいたとは――人は見かけによらないものだと、ゆりはどこか感慨深い思いがしたが、風間の存在がちらついて、やはり彼に頼りきりなのではないだろうかとも思った。
「じゃあ、俺はこれで」
雪村が名残惜しげに微笑したとき、彼を呼び止める声が聞こえてきた。
「頭首!」
声がした方向を振り返ると、廊下の先の突き当たりに人が立っているのがぼんやりと見えた。
その人物は駆け足で走ってくると、雪村の前に跪いた。
彼は赤いざんばらな髪に、藍色の眼をして、髑髏の刺繍がついた黒いストライプ柄のジャケットを着ていた。
「伝書です」
短く言って、彼は巻物を雪村に手渡した。
雪村はそれを開くと、ランプに近づいて読み出した。
暫くして読み終えたのか、雪村は目線を外して遠い目をした。
その表情はどこか、切なげな気がしてゆりは心配になった。
「どうしたの?」
思わず尋ねると、雪村は視線をゆりに移してにこっと笑い、ゆりに近づいて巻物を渡した。
「風間からだ」
「風間さんから?」
ゆりは巻物を黙読した。
そこには、雪村への心配事がつらつらと書き連ねてあって、永国に飛ばされ、現在瞑にいて、二週間以内には帰るという内容が記されていた。
「良かったね。無事だったみたいで」
明るく笑んで、ゆりは顔を上げたが、次の瞬間表情を曇らせた。
雪村がどこか沈んだ顔つきをしていたからだ。だが、彼はゆりの視線に気づいて、ぱっと明るく表情を変えた。
「うん。マジで無事で良かったよ」
「……そうだね」
雪村がそう言って嬉しそうに笑むので、ゆりはそれ以上は何も聞けなかった。