私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
第六章・風間帰還
クラプションについてから一週間が過ぎた頃、ゆりは部屋のソファの上でうとうとと転寝をしていた。
二人掛けサイズのソファは窓の正面に置いてあって、昼過ぎ辺りからちょうど日が当たる。
その陽だまりの中で、ゆりは体勢を崩して横になり、猫のように丸くなった。
瞼の裏に暗闇が落ち、ああ、いよいよ幸せがやってくるという恍惚の瞬間に――トントン、とドアを叩く音で心臓が跳ね上がり、ゆりはぱっと目を見開いた。
「……なに」
惜しむ声音を出しながら、ゆりは上半身を起こした。
「はい?」
声の調子を戻しながらドアの向こうの人物に問いかけると、返事が返ってきた。
「俺、雪村だけど」
「ああ、はい。どうぞ」
(――雪村くんて、なんかタイミング悪いよな)
毒の混じった感情を心の中で呟いてドアに目を向けると、静かに開かれたドアから、緊張した様子の雪村が顔を出した。
「あのさ、今暇?」
「うん、えっと、まあ、暇って言えば暇だけど――」
でも寝たい――。そう言う前に、雪村は安堵の表情を浮かべた。
「そっか! じゃあさ、街に下りてみない?」
「え?」
「ほら、いつも一人で出かけるか、結と出かけるかだろ? だから、たまには俺と遊びに行かない? と、友達じゃん?」
功歩の町では、人攫いや強盗などが起きやすく、治安が悪いと言われていたが、クラプションでは比較的治安が安定しているため、遭ってもスリ程度だと言う事で、ゆりが一人で出かける事も多かった。
むろん夜は危険なため、日が暮れる前には帰っていたが。
結は何かと忙しい身らしく、一緒に出かけたのは二度ほどだったが、雪村と出かけたことは一度もなかった。
というのも、出かけようと誘いに来るたびに結が間に入って雪村を追い払い、結が来ない日は誰かしらが雪村を仕事場へと引き摺って行ったからだ。
「そんなことしてて良いの? 仕事あるんでしょ?」
「そうは言ってもさ、俺の仕事なんて書類に目を通して判子押すだけだぜ。あとは風間とか、代理執事の廉抹(かどまつ)とかの仕事だもん。あとは、月一で会議するだけだし。まあ、会議って言っても、オヤジと二人だけだし、殆どオヤジの説教聞きに行くって感じだけどな」
「ふ~ん」
(なんかやっぱり頼りないなぁ)
ゆりは無意識に白けた瞳を雪村に向けてしまったが、雪村が気づいた様子はなかった。
「まあ、そういう事なら出かけても良いのかも知れないけど、本当に良いの?」
「良いんだよ」
「なら、どっか行こうか」
「マジか!?」
「え、うん」
ひくくらい喜んだ雪村に、軽く頷いたときだった。
ドアを軽くたたく音が聞こえ、赤い髪の人物が顔を覗かせた。
「廉抹(かどまつ)!」
ゲッ! という擬音が飛び出しそうなほど苦い顔をした雪村に、廉抹は呆れ果てた様子でため息をついた。
ゆりは彼――廉抹に、三度程会ったことがあった。
初見は風間の伝書を持ってきたときだったが、あとの二回はいずれも雪村に仕事の催促をしにきたときだった。――どうやら今回もそのようだ。
「やっぱりここにいましたね」
咎めるように言って廉抹は腕を組み、跪いた。
「おいで下さいませ」
「……でも、これから彼女と出かけるところで」
「頭首」
語調を強くして、廉抹は諫める目つきで雪村を見た。雪村は渋い顔をして頬を掻きながら、ゆりをすがるような目で見たが、ゆりはそれをバッサリと切った。
「どうぞ。私は一人で出かけますので、連れて行って下さい」
「え~!?」
「え~じゃないよ。仕事あるのならそっちを優先しなよ」
「そんなぁ……俺、いつになったら君と出かけられるんだよ」
ぼそぼそと口の中で呟いた雪村に、ゆりはわざと冗談っぽく聞き返した。
「え?」
「なんでもない……」
落胆して肩を落とした雪村に、ゆりは笑いかけた。
「まあ、まあ、友達と遊びに行きたい気持ちも分かるけどさ。仕事終わったらどっか行こうよ。それで良くない?」
「え? 良いの!? でもそれだと夕方以降になっちゃうけど……」
「別にかまわないんじゃない? 一人じゃなきゃ大丈夫なんでしょ?」
遠慮がちに言った雪村に、きょとんと返してゆりは手を振った。
雪村はキラキラと瞳を輝かせる。
「じゃあ、またね」
「う、うん!」
嬉しそうに手を振り返して、雪村は部屋を出ていき、続こうとした廉抹が振り返ってどこか呆れた調子でゆりを見た。
そして何か言いたげに口を開きかけて、向き直り、部屋を後にした。
ゆりは訝しがって首を傾げたが、すぐに、まあ良いか、と疑問をどこかにやって、出かけるつもりもなかった支度を始めた。