私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

 * * *

 センブルシュタイン城につき、廊下を歩いていると、風間が急に思いついたように振り返った。

「そういえば、親父様にはお会いになられましたか?」
「あ、はい。一度御挨拶をさせていただきました」
「そうですか」

 風間は含むように言い、口元に微笑みを浮かべていたが、どことなく冷たいような印象を受け、ゆりはなんとなく瞳を伏せた。

「風間様! お帰りなさい」
 背後から呼び止める声に振り返ると、そこにいたのは出かけに扉の前で鉢合わせした青年だった。
 青年は駆けてきて、ほっと息をついたように安堵した笑みを浮かべ、風間を見やった。

「良かった。お話ししたいことがあったんですよ」
「どうしたんですか。リンゼ殿」
「実は、山道で崖崩れが起きまして。とりあえず封鎖していたのですが、猟師から封鎖を解いてくれと願い出がありまして」
「それで?」
「その山が、アシティオ山なんですよ」
 困ったように眉根を寄せたリンゼに、風間は軽く頷き返した。

「分かりました。それでは、サキョウの領主である或屡(アル)様に伝書を飛ばしてみます」
「ありがとうございます」
「猟師には、もう少し待ってもらって下さい」
「はい。では、そのように伝えます」

 リンゼは了承し、視線をゆりに移してにこりと愛想良く笑んだ。
 その笑みは、どことなく人懐っこい犬のように、人の心を打ち解すような笑みで、ゆりは自然と笑みを返した。

「先程は失礼致しました。僕はリンゼ・ハーネルと申します」
「あ、いえ、こちらこそ。私は谷中ゆりです。あの、今のって?」
「今のですか?」
 リンゼは怪訝に首を傾げた。代わりに合点がいった声音を出したのは風間だった。

「ああ、アシティオ山という山があるのですが、その山はサキョウという隣町の領土と、クラプションの領土のちょうど真ん中にある山なのです。クラプション側の山肌を我々が管理していて、その反対側をサキョウが管理しているのです」

「ああ、それで話し合いの手紙を送るんですね」
「そういう事になりますね」
「風間さんが外交を取り仕切っていらっしゃるんですよ」
「へえ……」
 ゆりが尊敬の眼差しで見ると、風間は気まずそうに笑う。

「いえ、私は仕事で外に出る事も多いですから、殆どは廉抹がやってくれていますよ」
「へえ。そうなんですね」

 廉抹といえば、髑髏の派手なレーザージャケットを着ていることから、ゆりの中では近寄りがたいバンドマンという印象だったが、仕事の出来る男という意外なギャップに内心度肝を抜かれていた。
 それが見事に表情に表れていて、リンゼはゆりの顔を見てくすっと笑った。

「谷中様って、ご頭首が選ばれただけあって、とても素直で純粋なお人なのですね」
「え?」

 目を丸くしたゆりに合わせるように、リンゼもきょとんとした瞳を向けた。
「ご頭首の、恋人なのですよね?」
「……は!?」
「えっと……なんでもご頭首殿に見初められて、センブルシュタインに来たとか――?」
 窺うように尋ねたリンゼに、ゆりは全力で手を振った。

「いやいや、違いますよ!」
「へ? 違うのですか?」
「はい! 雪村くんとはただの友達です!」
「そうなのですか……失礼を致しました」
 リンゼが頭を下げると、風間がそっと尋ねた。
「失礼ですが、どうしてそのような話が?」
「いえ、実はですね、頭首殿がその……」

 リンゼは言い辛そうにゆりをちらりと見たが、ゆりはリンゼが何を言いたいのか分からなかった。しかし、風間はリンゼの言葉を察して、呆れたように言った。

「あからさまですからね。雪村様は」
「あはは……」
 リンゼは苦笑を返して、弁解するように言う。
「なので、てっきりそうなのではないかと、皆が噂しておりまして」
「なるほど」

 風間が頷くと、リンゼは会釈をして、そそくさとその場を去っていった。
 相変わらずきょとんとした顔をしていたゆりに視線を向けて、風間は愛想よく笑った。

「では、私はこれで失礼致します」
「あ、はい」
 ゆりが頷いたとき、咎めるような声音が廊下の先から届いた。
「風間」
 声のした方向を振り返ると、そこには雪村がムッとした態度で立っていた。

「おかえり」
「只今帰りました」

 棘のある声で言った雪村に静かに返して、風間はゆりに会釈して歩き出した。
 そのまま雪村を通り過ぎたとき、雪村は風間を呼びとめた。

「風間、ちょっと待て」
 振り返った風間に雪村は向き直って、咎め立てる。
「どうして、呪火を使った?」
「……必要だったからですが」

 一瞬呆れた表情をして、風間は感情のない冷たい声音で言い、雪村は驚きと怒りのない混ぜになった表情を返した。
 何か言たかったが、感情が詰まって言葉が出ない。
 それを見た風間は、あからさまに呆れた様子でため息をつき、くるりと踵を返した。

「雪村様、まだ話があるようでしたらついて来て下さい」
 雪村は無言のまま風間の後をついていった。

 残されたゆりは、ぽかんとしていたが、やがてふと記憶がよみがえってきて、思い出してしまった。

 雪村が言った『呪火』と言う言葉を自分は聞いた事があること――そしてそれは、陰惨な惨状を作り出したことを――。

「あれを、風間さんが……」
 もしかしたら、風間は自分が思うよりも怖い人間なのかも知れない……。ゆりは不安を抱えながら、誰もいなくなった廊下を見つめた。
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