私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
ゆりは窺うようにちらりと仰ぎ見た。口元に笑みを浮かべて上機嫌な雪村を、なんとなく胡乱気に見やる。
「ねえ、どこに向ってるの?」
「秘密! もうすぐでつくから」
嬉しそうに雪村は言って、向き直った。鼻歌でも歌いだしそうだ。
ゆりは辺りを見回した。なだらかな坂が続き、マンションや大きなお屋敷が建ち並んでいる。
家並みから南地区の高級住宅街なのだろうという事は分かるが、こんなところに何の用があるのだろうと首を傾げてしまう。
メインストリートと違って、家の明かりだけでは夜の道は心もとないのか、街灯がぽつぽつと並んでいた。メインストリートにも街灯がなかったので、まず、北区にはないだろう。
漠然とそんな事を考えていると、雪村が振り返った。
「着いたよ」
「ここって……」
ゆりは思わず呟いた。
鉄柵に囲まれた広い庭の奥に屋敷の建物が見え、その屋敷に見覚えがあった。少し歩くと門の前に出て、右に首を向けると坂道があった。その坂道の途中には昼間見たおしゃれなマンションが見える。
(ここ、昼間に来たところだ)
そう思いながら、ゆりは門の前に仁王立ちしていた二人の門番に目を向けた。門番は昼間とは顔が違かったが鋭い眼光は変わらない。だが、彼らは雪村を見てぱっと頭を下げた。
「お疲れ~!」
軽く労いの言葉をかけて、雪村は屋敷の敷地内に足を踏み入れる。
「良いの?」
「ん?」
ゆりがこっそり尋ねると、雪村は振り返ってあっけらかんと言った。
「だって、ここ三条の別宅だもん」
「え!?」
「言ったろ? 百五十人いるんだから、センブルシュタインじゃ寝泊りできないんだよ。まあ、あの通り大きいし、城だから出来ない事はないんだけど、夜も場合によっちゃ人が行き来するからプライベートがないだろ。だから、三分の一の連中は夜とか、仕事がない時はここにいるんだ」
「そうなんだ……じゃあ、残りは全部お城に?」
「ううん。城にいるやつも何十人かいるけど、残りは殆ど外回りっていうか、旅してるっていうか、そんな感じ」
「そうなの?」
怪訝に眉を顰めて訊いたゆりに、雪村はこくんと頷き返した。
「うん。風間もああ見えて外回りが多いよ。一年の殆どは世界中飛び回ってるから」
「え!? そうなの? 私てっきり雪村くんにつきっきりなのかと思ってた」
「つきっきりなのは逆に廉抹だよ」
うんざりといった顔つきで雪村は言って、ぽつりと零した。
「でも、任務が言い渡される前は風間とずっと一緒だったな」
その表情がどこか郷愁の念に駆られたように切なげで、ゆりの胸は僅かに締め付けられた。
「結も基本、外を飛び回ってるよ」
「そうなんだ。あんまり会わないもんね」
「うん。色んなとこ行ってるけど、ミスが多くて風間によく怒られてんだよなぁ。俺と同じでさ。だから、結には結構親近感があるんだ」
「そっか」
ゆりはくすっと笑って、正面に佇む静かな屋敷を見据えた。
屋敷の窓からは明かりが漏れ、庭の芝生に光を与えていた。
屋敷の中に入ると、玄関ホールはただっ広く、奥に豪華な手すりがついた中折れ階段があった。
ゆりが見回していると、二階から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「何かやってんのかな?」
雪村が呟くと同時に階段を下りてくる脚が覗いた。
「主?」
「お! 結か!」
明るく笑んで結が駆けてきたので、ゆりは片手を挙げて挨拶をした。
「結。こんばんは」
「ゆんちゃん。どうしたんだ?」
「うん。雪村くんに案内されて」
「……へえ。どうしてまた?」
どこか険のある声音で言って、雪村は慌てて結に手を振った。
「まあ、ちょっとな! ところで騒がしいけど、何かやってんのか?」
「特に何もなかったのだが、飲み会になってしまったのだ」
「そうか。ノリでか」
「そうデス」
「良いなぁ。楽しそうじゃんか。俺達も混ぜてよ」
「……あっ、しかし」
羨ましそうに言って歩き出した雪村の背に向って、結は小さく手を伸ばした。
「良いだろ? ちょっとだけ!」
振り返った雪村はニカッと笑って行ってしまい、ゆりと結は互いに顔を見合わせて微苦笑した。
「ゆんちゃん、ちょっと良いか?」
あらたまった様子で結が問うので、ゆりは不思議に思いながら「うん」と頷いた。