私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

 * * *

 ゆりはその日、部屋のソファで横になっていた。
 本日は残念ながら曇り空で、暖かい光に包まれることはなかったが、日光がない分、眠くなる。

「ふあ~」
 長々とあくびをすると、それと重なってドアがノックされた。
「はい?」
 誰だろう? と怪訝に思いながら、ゆりは立ち上がってドアを見やった。

「失礼致します」
「風間さん。どうしたんですか?」
 風間は部屋へ入るとドアの前で立ち止まった。

「明日、サキョウへ発つ事になりました。八日か十日は戻りません」
「そうなんですか」
 どことなく残念な気持ちで相槌を打つと、先日の出来事を思い出した。
(そういえば、どっか行くとか言ってたっけ)

「帰ってきたばかりなのに大変ですね」
「いいえ。よくある事なので。お心遣い、ありがとうございます」

 風間は軽く会釈すると、ゆりを見つめた。何か秘めたような瞳に、ゆりの心音はドキッと高鳴る。

 風間はゆりを見つめたまま、確かめるように足を踏み出した。
足を止めた距離は、ゆりに触れようと思えば触れられる距離だった。

「谷中様、私が帰ってきたらデートしていただけませんか?」
「……え!?」

 ゆりが絶句すると、不意に風間の右手が伸び、ゆりの髪に触れた。左頬は、風間の手のひらの熱をほのかに感じて、そこだけが熱く熱を帯びたようだ。

 ゆりの心臓は早鐘のように鳴り響き、口から飛び出るのではないかと錯覚するほどだった。だが、ゆりから飛び出したのは意外な言葉だった。

「ごめんなさい」
 風間は一瞬、猫のように目を丸くして、どことなく哀しげに笑んだ。

「そうですか……失礼な事を致しました」
「いえ……そんな」

 風間は柔和な笑みを浮かべたまま踵を返した。
 去って行く風間を見つめながら、ゆりは動揺していた。
(なんで、私断っちゃったんだろう?)

 初めて目にした時から憧れていた存在だった。
 王子様のような、アイドルのような、手が届かない存在。
 そんな人からデートの誘いを受けたというのに、何故断ってしまったのか、ゆりは自分自身を理解出来なかった。
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