私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
風間はゆりの部屋を出たあと、柔和な顔つきを険しさに変えた。
(まずいな……)
心の中で呟いて、風間は廊下を早足で歩いた。
そのスピードとは正反対に、心が重苦しく、焦燥に満ちる。
風間はふと、足を止めた。前方にある曲がり角を凝視する。
鋭く睨んだ視線の先から、すっと無骨な足が伸びた。
「よう。風間」
「親父(オヤジ)様」
片手を軽く挙げた間空に、風間は複雑な表情を向けた。
「ちょっと良いか?」
「……はい」
なんとなく嫌な予感が過ぎったが、風間は小さく頷いた。
間空は目配せで促して、歩き出した。その後を風間はついて行く。
間空の部屋に入ると、扉の近くにいた猫が驚いて奥へと走っていった。
風間は何気なくそれを見送って、間空に視線を移すと、彼はもう窓際に立っていた。
間空は窓から外を眺めるのが好きだった。しげしげと外を眺めて、ふと振り返って風間を見据え、したり顔で微笑(わら)う。
「彼女を好きだって言ったんだって?」
「……どこから聞いたんですか」
不愉快そうに眉根を寄せた風間を見やって、間空は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「廉抹だよ」
「……そうですか」
僅かに沈んだ声音で呟いた風間に、間空は柔らかい瞳を向けた。
「相変わらず、お前は雪村に甘いな。そんな嘘をつくとは」
呟くように言った間空は、一転して強い瞳を風間に向けた。
「誤算だったか? 二人の中が接近する事が……。あの子と雪村が友達以上になるという事は、正直予想してなかったんだろう? だから、雪村を倭和に連れて行った。聖女と出会っても、何もない。なんの関係性も生まれない。生まれたとしても、友人止まりだ。そう思っていたんだよな」
風間は、僅かに眉間にシワを寄せた。それは、間空が言った事が全て図星であったからだ。
風間は雪村が誰か一人を愛するということを考えた事はなかった。
誰にでも分け隔てなく接する雪村が、誰か一人に感情を傾ける様を、彼は一度も見た事がなかったからだ。
だからこそ、間空が言うように、風間は雪村を倭和の地へ連れて行ったのだ。そこに心配や不安は微塵もなかった。
倭和で雪村がゆりに一目惚れしたと確信したときですら、この二人の距離が縮まるなど、本心では思っていなかった。
主が初心すぎて見ていられず、なんとなく可哀想になり、後押しやアドバイスをしてしまったが、その時ですらダメだろうと思っていた。
「まあ、私も、同じ意見だったわけだが……」
間空はつるっぱげた頭を困ったように撫でた。そして、割り切るように切り出す。
「まあ、だが、そうなれば、当初の予定通り、第一の計画を決行すれば良い。あっちは『互いに愛す事』こそが条件の一つなのだから」
「……そうですが」
風間は表情を曇らせた。
「……ほら。だからお前は雪村に甘いと言ったんだ」
間空は咎めるように声音を尖らせた。
主の初めての恋、ダメだろうと内心同情していた恋が、もしかしたら実るかも知れない。しかし、いざそれが実現しそうになると、その後に待ち受ける出来事が風間の脳内をちらついた。
それを、間空は見抜いていた。だからこそ間空は、わざと突き放すような声音を出した。
「もしもそうなったとしても、それは雪村の自業自得だとは割り切れないのか、風間? 手記も読まない。政もサボる。そもそも何故彼女を呼んだのかすら知りたがらない、気にしない――そうだろう?」
「……仰るとおりですが、私が倭和(あちら)で事実を伏せた提案をした際に、嫌々ながらも彼女を恋に落とすという計画に乗っておいででした。一族のためと言ったらです」
「だが、それも詳しくは訊いて来なかっただろう? なんのために、何故力を必要とし、何故それが一族のためなのか――」
わざと突き放すように呆れた表情を作った間空を、風間は強い瞳で見据えた。
「ですが、彼だって、一族のことを何も考えてないわけではありません。私はそう思います」
その言葉を聞いて、間空は待ってましたと言わんばかりに、にっと口の端を持ち上げる。
「だったら少し雪村を突き放してみろ。そう信じているのならばこそだ。私だって、お前同様雪村を愛している。だからこそ、あいつ一人に委ねてみろ。それにな、風間。お前が何もかも背負う必要はない」
「……」
風間はどことなく嫌悪感のある表情を浮かべた。
心配性な性格故に猜疑心が強い風間は、人を心から信用し、信頼した事がない。それは、雪村に対しても同じだった。溺愛すると言う事は、信頼しないのと同義だ。
だが、独り立ちの覚悟を決めなければならない事は、風間にも分かっていた。だから、彼は頷く代わりに、静かに瞳を伏せる。
「その時が来たら、私が雪村に全てを告げる。判断は、雪村に任せる。それで良いな?」
「はい。ですが、問題がひとつ。それでは一族が――」
「そのための、もう第二の計画があるだろう?」
間空に強い瞳で遮られ、風間は出しかけた言葉を噤んだ。
「――はい。確かに、その通りでした。申し訳ございません」
風間は上辺だけで頭を下げる。が、傍から見れば、それは立派な心からの謝罪のように見えた。だが、さすが実父というところだろうか。間空はそれに気づいていた。だが、何も言わず、表情も変えずに話題を続ける。
「どれくらいで第二計画を実行出来そうだ?」
「早ければ、一ヶ月かと」
「そうか……そっちの方が早く決行出来そうだな」
「……我々の本懐は、遂げられそうにありませんが」
「そう言うな」
間空は哀しげに笑った。
「いつか功歩に解雇されても、また渡り歩けば良いだけだ。先代も、先々代も――遥か昔からそうしてきたことだ」
窓の外、そのまた遠くを見つめるように、間空は目を細めた。
その姿が涙を堪えるように見えて、風間は胸が痛んだ。風間の目にそう映ったのは、彼自身がまた、そのような気持ちだったからに他ならない。
「向こう方の様子を見つつ、どちらの選択肢が良いか、判断しようじゃないか」
間空は張り切るように言って、振向き様に豪快な笑みを浮かべる。
風間は優しげに笑んだ。
「はい」
その笑みは、心から出たものだった。