私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

 * * *

 城の廊下を歩いて自分の部屋へと向っていると、背後から声をかけられた。
「谷中さん!」
 振り返ると、雪村が手を大きく振りながら小走りで近寄ってきた。

「雪村くん。どうしたの?」
「あ、うん。今暇?」
「うん、まあ暇だけど」
「街にでも行かない?」

 ドキッと胸が高鳴り、同時に苦しさがやってきた。
 正直、嬉しさが胸を占めたが、ゆりはかぶりを振った。

「……ごめん。今日はちょっと。――あっ、結とか誘えば?」
「え……うん」

 雪村は言葉を濁した。
(わざとらしかったかな?)
 ゆりは一瞬不安になったが、口元に浮かべた笑みは消さないように努めた。

「そっか。じゃあ、また今度な」
「……うん」

 ゆりは行くはずのない返事を返した。
 雪村は、気まずそうにもう一度「じゃあ」と言って踵を返した。その背に、ゆりはぽつりと声をかけた。

「ねえ……」
「ん?」
 雪村は振り返って、きょとんとした瞳を向ける。
 ゆりは一瞬言おうかどうしようか迷った。だが、思い切って質問した。

「雪村くんはさ、風間さんのこと心配じゃないの?」
「え?」

 雪村は戸惑った表情を浮かべた。
 ゆりは、ここのところ雪村の様子が気になっていた。

 普段来るはずの書簡が殆ど届かないことを不審に思っていても良いはずなのに、雪村はまったくその素振りを見せない。というよりは、努めて気にしないようにしているように、ゆりには感じられていたのだ。

「毎日、遊びに誘いに来てくれるけど、ちょっとは気にかけたりしないの? だって、普段は手紙いっぱい届くんでしょ?」
「それって、俺の誘いは迷惑だってこと? 風間の方が大事ってこと?」
「そう言ってるわけじゃないよ」

 雪村は若干、怒ったように口調をきつくした。
 少し責めた言い方になってしまったのかも知れない。ゆりは少し反省しながら言葉を続けた。

「でも、もしかしたら手紙も送れない危険な場所に行ってるかも知れないんだよ? ちょっとは、心配しても良いんじゃないかな」
「そんなこと……どうでもいいだろ。俺が気にして、風間がどうにかなるのかよ」
「……どうしたの?」

 雪村らしくない発言に、ゆりは驚いて顔を強張らせる。
 雪村は俯いたまま何も言わない。その姿に、ゆりは憤った。

「風間さんは、雪村くんのために今までずっと手紙を送ってたんだよ。雪村くんが喜ぶだろうからって。自分を気にかけてくれてた人に何かあるかもって、気にする事はどうでもいいこと? 風間さんは、ずっと弟みたいに雪村くんのこと思ってたはずだよ。それなにに、そんな言い方ないじゃん」

 ゆりは、つい責めたてるように言葉をぶつけてしまった。
 すると、雪村は哀しげな表情を浮かべた後、瞳を微かに潤ませた。
(――泣くの?)

 ゆりは驚きと呆れから僅かに目を見開いたが、申し訳なさが浮かんできて言葉に詰まった。――少し言い過ぎただろうか。

「~~~っだ」
「え?」

 ぐっと涙が零れるのを堪えて、上を向いた雪村がぼそぼそと何かを口走った。ゆりが聞き耳を立てると、雪村は勢い良くゆりを見据えた。

「――だって、俺、谷中さんのこと好きなんだもん! しょうがないだろ!」
「……は?」

 ゆりは絶句した。途端に、カァ――と、頬が熱くなり、脈打つ鼓動が速くなる。
 雪村は、はっとして口に手を当てた。手のひらが頬を弾いて、バチンと激しい音が鳴る。

「うっ……!」
 羞恥から雪村は顔を歪ませて、駆け出した。
「あっ! 待っ――」
 ゆりは言いかけた言葉をつぐむ。伸ばしかけた手が、ためらいがちに空を掴んだ。

「なんなのよ……」
 バクバクとうるさい心臓に拳を押し当てる。
「……そんなの――」

 あとの言葉は続かなかった。
 ゆりは体の熱から逃れるように、その場にしゃがみ込んだ。
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