私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
「彼女に――谷中さんに、告白しちゃったんだよな」
「……え?」
「言うつもりはなかったんだけど。友達としか思われてないのは分かってたし」
結の耳には、続く言葉は入ってこなかった。
動揺が脳内を駆け巡り、心臓の脈打つ音で視界が揺れる。
「……ある、主は、ゆんちゃんが、好きなのか?」
雪村は、結を見据えて微笑んだ。
口から零れ出た質問(もの)を、結は心底後悔する。雪村の表情が、彼の答えを示していたからだ。
雪村の唇が静かに開いた。
(待ってくれ。――言わないで)
「うん。好きだよ」
祈りは脆くも崩れ去り、目の前が真っ白になる。ショックで何も浮かばない。心が全てを否定したい。
雪村がゆりの事を好きかも知れないと、結はどこかで勘付いていた。でも、その警鐘を、結はずっと無視してきた。
結にとってゆりは、初めて出来た友達だったからだ。
だが、結の内情など露ほどにも知らない雪村は、愚痴を続けた。
「俺さ。ここんところずっと、風間に嫉妬してたんだ。風間も彼女が好きだって聞いてさ……。風間相手なんて、敵うわけねぇじゃん。ましてや、向こうは俺のこと、友達としか思ってくれてないわけだしさ。そんで、風間の心配してねぇわけじゃないのに、どうでもいいとか言っちゃってさ。……情けねぇよな。しかも、結局返事も聞けずに逃げてきちゃったしさ」
だけど――と、雪村は視線を遠くへ投げた。その瞳には、切なさと炎のような熱が映し出される。
「ぜってぇ、風間には渡したくないんだ」
結は無意識に何かを口走ろうとした。だが、口がパクパクと動くだけで、何も言葉にならない。
(息が、苦しい)
トン、トンと内から押し出すようにして鳴る心臓は、不思議と速くない。でも、苦しい。息苦しくて、哀しくて、結は肩で息をした。
「……結?」
雪村はびっくりした表情を結に向けた。結は一瞬、何故雪村が驚いているのか理解出来なかった。しかし、顎を伝ってマントにぽたりと広がった水滴を見たとき、自分の目頭が熱い事に気がついた。
結は泣いていた。自分でも気づかないほど、ひどく静かに泣いていた。
「いえ、これは。ちがうんです」
結は慌ててマントで強く涙を拭う。
雪村は、申し訳なさそうに結を見据えた。
「どっか具合悪いのか? それとも、もしかして俺に同情してくれたの? ごめんな。こんな話しちゃってさ。愚痴なんか零しちゃって。いや、ホント情けないよな、こんな主でさ」
雪村がヘらっと笑って、困ったように頭を掻くのを見て、結は思わず叫んだ。
「ちがいます! そうじゃない!」
「結?」
「ワタシ――」
同情したわけじゃない。『主』なんて言って欲しくない。途端に、一度乾いたはずの瞳から、どっと涙が押し寄せた。
「ワタシじゃ、ダメですか?」
「え?」
きょとんとした雪村を、結は真っ直ぐに見つめた。
涙で濡れた瞳が、雪村の乾いた青い瞳と重なる。胸の奥が、微かに高鳴った。
「ホントは、ずっと、主じゃなくて、雪村くんって呼びたかった」
結の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が流れ落ちる。
雪村は言葉を詰まらせた。脈打つ鼓動が速くなるのを感じる。
「それって――」
「好きです。ずっと、ずっと前から、好きでした」
雪村の言葉を遮るように結は身を乗り出し、無意識に雪村の腕を掴んだ。
「お願い。ワタシを好きになってくれ」
掴んだ手に力が篭る。結は微かに震えていた。振動は、腕を通して雪村にも届いた。雪村は掴まれている腕を一瞥して、再び結を見返した。
普段はムッとする以外顔色を変えない結が、緊張と不安からか、ひどく強張り、頬が紅潮している。放っておけば、また泣き出しそうだ。
雪村は、静かに瞳を伏せた。
「ごめん……ごめんな、結。それは、出来ないよ」
ずるっと、腕から手が滑り落ちた感覚がしたが、雪村はその方向を見れなかった。
「……そうか。そう、だよな」
ぽつりと呟いた寂しそうな声で、雪村は目線を上げた。
結は、微笑(わら)っていた。哀しさを堪えた表情を残しながら、微笑んでいた。
「すみませんでした。忘れてくれ」
結は小さく頭を下げて、踵を返した。雪村は何か言いたかったが、どんな言葉を送っても、結に対して失礼なような気がした。
一人残されたスラムで、雪村は力なくずるずると座り込んだ。見上げた空に浮かんでいた白い雲が、強風に煽られて消えていく。