私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~
* * *
「ごめんなさい!」
その日の夜、両親を前に土下座をした私に、両親は一体何事かと息を呑んだ。
「どうしたの、ゆり?」
「何かあったのか?」
慌てた声に、顔を上げた。
二人を見据えると、両親は私のいつもと違う様子に気づいて、真剣な顔つきで座りなおした。
「私が家を出ていたのは、お母さんのせいでも、お父さんのせいでもないの」
「え?」
お母さんが呟いて、両親は顔を見合わせた。
「私は、お母さんが働くようになって、たしかに少しだけ寂しかった。でも、活き活きと働いてるお母さんはすごく素敵で、こんな風に私もなりたいなって思ったよ」
私が素直に告げると、お母さんは口元に手を当てて涙ぐんだ。
「お父さんも、休日いなくても、お仕事頑張ってるんだなって思ってたし、たまにゴルフに行くのも、息抜きでいいじゃんって思ってた」
そう告げると、お父さんは照れたように口をへの字に結んだ。
「私が、家を出てたのは……好きな人が出来たからなの!」
心臓がバクバクする。
ちらりとお父さんを見ると、頬が紅潮していくのがわかった。
今にも、その男を出せ! と怒鳴りそうだったから、私はそうなる前に続けた。
「その人は今、すごく遠くにいて、私のことを思って家に帰してくれたの。でも私は、一緒にいたいんです」
私の強い口調に、お父さんは今度は一気に血の気が引いた顔をした。お母さんも、すごく驚いている。
「お願いします。彼のところへ行かせて下さい!」
もう一度頭を下げる。
すると、咎めるような声音が聞こえた。
「ダメだ。まず、その男を紹介しなさい」
「そうよ。ゆり」
「それは、出来ません」
「何故?」
私がきっぱりと断ると、お母さんが怪訝に訊ねた。
「その人は、電話も通じないところにいるの」
「どこよ、そこは?」
「……すごく、遠いところ」
「それじゃ分からないでしょ?」
責めるように言うお母さんを、お父さんが黙って手を伸ばして止めた。
「もしも行くんだとしても、高校をちゃんと卒業してからにしなさい」
「そうよ。せめて、二十歳になるまではいてちょうだい」
諭すように言う両親に、私の決心は鈍りそうになった。
親としても、やっぱり大人になるまでは一緒にいて欲しいんだろうし、成人式だって見たいはずだ。それは、痛いほどわかる。でも、私は、
「今すぐに行きたいの」
「どうして?」
怪訝に声を荒げるお母さんを見据えた。
「高校を出ていても、あの世界では役に立たないし、一刻も早く逢いたいの。今行かなければ、もしかしたら、行けなくなるかも知れない。保証が無いの。この気持ちが一瞬でも解けてしまったら、もうあの世界には戻れないと思う」
これはただの勘で、思い過ごしかも知れない。
でも、私はなんとなく、アニキへの想いが、あの世界への想いが、一瞬でも冷めてしまったら戻れない気がしていた。
そして、時間が経てば経つほど、あの世界のことを忘れてしまう気がした。
両親は訝しがりながら顔を見合わせた。
私がなんのなんを言ってるのか、分からないんだと思う。でも、私の真剣な想いだけは伝わったようだった。だけど、
「今すぐにはダメだ。せめて高校を出なさい」
「そうね。その人の事も、お母さん達は知らないし」
苦い顔の両親に、私はもう一度頭を下げた。
「分かりました」
そう呟いて、部屋へと下がった。
私は机の引き出しから、便箋を取り出した。
お母さんと、お父さんに、今までの感謝の気持ちと、大好きだという想い。そして、さようならと、書いた手紙。
最後に、絶対にあなた達より先には死にません。一生逢えないかも知れないけど、元気で暮らします、お元気で、そう書き残した。
私は、ブレスレットを握り締めて、風呂敷包みを持った。
異世界から帰ったときの荷物がそのまま入った風呂敷包みだ。
私は、息を吐き出して、強く祈った。
(私を、あの世界へ戻して! アニキのところへ帰して!)
だけど、暫く祈って、願っても、なんの変化も起きない。
「どうして?」
真剣に祈ってるのに、どうして帰れないの?
やっぱりあの呪陣がないから?
「もっとよく見ておけば良かった……」
泣き出しそうになって、私は荷物を持って駆け出した。
バタバタと階段を下りる足音に、両親は驚いてリビングから顔を覗かせた。
「ゆり? ……どこに行くの!?」
私の異変に気づいて、お母さんが駆け寄ってこようとした。
「来ないで!」
そう叫んで玄関を飛び出した。
一人にして欲しかった。
でも、両親は私を追って駆けてきた。
私は、放っておいて欲しくて、前を見ずに敷地内から飛び出した。
「危ない!」
「ゆり!」
後ろから両親の叫び声が響いて、顔を上げると、眼の前にはトラックが迫ってきていた。
(ああ。ここで死ぬんだ)
愛しい人の、笑顔が浮かんだ。
「アニキ……」
最後に聞いたのは、お母さんの悲鳴だった。