私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~

「最初から、貴方を簡単に殺せるとは思ってないの。だから、近づき、色香で篭絡し、油断したところを殺ろうと思ってたのに、この子のせいで計画が丸潰れだわ。私がなんのために、アンタなんかに抱かれてきたと思ってんのよ」

 鈴音さんは悔しそうに歯軋りを響かせて、アニキを睨んだ。

「ハッ」

 アニキが自嘲気味に鼻で笑うと同時に、

「――!」

 また、あの痛みが私を襲ってきた。
 息が出来ない。声が出ない。体中が引き攣れる。

「嬢ちゃん!」
「近寄らないで!」

 アニキへの制止と同時に、私は痛みから解放された。
 ぜえぜえと肩で息をし、よだれが口から零れ出た。
 痙攣が治まらずに、全身が小刻みに揺れる。
 苦しい。

「何をした?」

 アニキの怒りを含んだ声音を受けて、鈴音さんは嬉しそうに嘲りの笑みを浮かべた。
 両手を合わせるように近づけると、そこから激しい光が放たれた。
 紫色のバチバチとした光り。

「雷よ。私、電気を操れるの。今のは地面を通して感電させたわけ。すごいでしょ?」
「能力者か」
「そう。貴方と同じ」

 にやっと不適に笑んで、鈴音さんは自分のナイフをアニキに向かって放り投げた。
 カシャンと軽い音を立て、ナイフはアニキの足元へ転がった。

「この子を助けたかったら、それで自殺しなさい。さもないと、この子を殺すわ」

 そんなの、そんなの、ダメ!

「ううっ! うううっ!」

 私は声を発しようともがく。
 そんな私を、アニキは優しい目をして見据えた。
 足元のナイフを拾い上げる。

「俺が死んだら、本当に嬢ちゃんを解放するんだな?」
「もちろん。暗殺者は嘘はつかないの。潜入はするけどね」

 茶目っ気たっぷりに言って、鈴音さんは冷たい目をした。
 さあ早く――そんな風に促す目つきだ。

(――ダメ、やめてえ!)

 祈るような刹那だった。
 私には何が起きたのか、理解が出来なかった。
 アニキの首筋から、鮮血があふれ出し、アニキは首を押さえて跪いた。
 ガシャン! と、ナイフが音を立てて転げ落ちた。
 アニキは俯いたままだった。
 浅い呼吸だけが静かに耳に届く。
 愕然とする私の耳が、次に捉えた音は、嘲笑だった。

「ふん!」

 鈴音さんが鼻で嘲り、次の瞬間、私の視界は吹き飛んだ。
 鈍い衝撃が、頬に走った。
 眼の前がくらくらと歪む。
 鈴音さんに蹴り飛ばされたのだと気づいたのは、鈴音さんにもう一撃、お腹に蹴りを入れられた時だった。

「ゲホッ! ゴホッ!」

 息が詰まって、激しく咳き込んだ。
 のどが擦り切れそうに痛み、眼の前が霞む。
 私はゆっくりと、懇願を込めた目で、鈴音さんを見上げた。

『もう、やめて。アニキを助けて。私を解放して。どうしてこんなことするの?』

 呟く声は、のどが引き攣れて上手く言えなかった。
 その上、猿轡をされていては、なんて聞こえたのかすらも分からない。
 だけど、私は、私の祈りが通じることを願った。
 鈴音さんが、許してくれることを、助けてくれることを願った。
 だけど、現実は甘くない。
 人間は良心的な生き物だと、潜在的に思っていた。
 心から、悪い人なんていないって。
 そんな私の常識は、この人には通じなかった。
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