私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~
エピローグ~報い。
功歩軍の侵攻は、猿(エン)に届かずに終わった。
黒田軍が襲撃されたすぐ後に、赤井三関の機転により功歩軍は陣から追われ、そのまま退却したのである。
それから数日後に、功歩国は『侵攻は一部の機関が独立、独断して行ったもの』として、これらを刑を処し、美章国に謝罪。
再戦の火蓋は落とされなかった。
一方で、美章国でもひと波乱があった。
功歩撤退から一週間後、豪華な概観の屋敷が慌しく揺れていた。
「これは、一体どういうことだ!?」
歯痒さと慄きの間で叫ぶ男がいる。――赤井セイだ。
その隣には、妻だろうか。女がいる。彼女は赤井セイにしがみついていた。その少し後ろには、驚きを隠せない表情をした赤井シュウが立っていた。
幾人もの召使が唖然とした表情で状況を窺う。
彼らの目線の先には、黒田ろく、双陀翼、空、千時、丹菜の姿があった。
彼らは軍隊を引き連れ、赤井宅に押しかけたのだ。
背後に出口をとった黒田は、にやりと笑みを浮かべ、一枚の紙をかざした。
「これ、令状。女王陛下直々のね。赤井セイ、お前を罷免する。赤井分家は、王に返上する――お前らはもうただの庶民ってことだね」
「なにを馬鹿な! 何故私が!?」
「先の戦いの折、赤井セイ、お前は敵方と通じ情報を漏らした」
赤井セイの悲鳴に応えたのは、翼であった。
翼は冷たい表情のまま続ける。
「これにより、黒田軍を襲撃させ、自分で討伐せしめるという自演を行った。お前の罪は重い。追って沙汰があるだろうが……死罪の覚悟はしておけよ」
「馬鹿な! 濡れ衣だ!」
「こーれ!」
叫ぶ赤井セイに、黒田は書簡をかざした。
そこには、赤井セイの花押が押されていた。裏書である。
赤井セイの表情は見る見るうちに青ざめていく。
「……それは、どこで!?」
「どこでぇ!? ってことは、見たことはあるんだね?」
「いや……! 違う、今のは言葉の綾だ!」
「言葉の綾ね。この花押って正式な物だよね?」
書簡をひっくり返して裏書を確かめながら、黒田は不適に笑んだ。
そして、もう一度書簡をかざした。
「偽装でない限り、これを扱えるのは分家当主である、赤井セイ――アンタだけだ」
赤井セイは押し黙り、黒田は蔑むように口元に笑みをたたえる。
「どういう事なのですか? 父上!」
「あなた!」
「……」
息子と妻から糾弾されて、赤井セイは眉を顰めた。
唇を噛み千切りそうなほどに噛んで、黒田を睨みつける。
「この、白星が!」
苦々しく吠えた赤井セイに、黒田は涼しい顔を向けた。
代わりに、不快をあらわにしたのは翼だった。
一瞬だったが眉根を寄せた。そして、
「数年前の功歩軍の女にした仕打ちについても、言及がありますからね」
「翼?」
怪訝に眉根を寄せた黒田を、翼は軽く手を挙げて制止した。
「数年前、功歩陣に女の首五つが投げ込まれ、そこに黒田、当時はろく関の名が刻まれていた件で、新たに証拠が出ている」
「……なに?」
「……それって……」
不安の色を強くした赤井セイと違って、息子である赤井シュウは閃いたように黒田を見た。
黒田はシュウに一瞥だけくれて、表情を崩すことなく前を見据える。
「あの事件の真犯人は、赤井セイ――お前であるとする証拠だ。黒田ろくに罪を着せたお前を陛下はお許しにならない!」
翼は力強く叫んだ。
その声音と瞳からは、激昂が読み取れた。
「う、嘘だ!」
「連れて行け!」
狼狽する赤井セイの叫びに聞く耳を持たず、翼は兵に強く命じた。
叫びながら連れ去られる父を、シュウは黙って見届ける。
どうすれば良いのか、分からなかったのだ。
「……翼、お前……」
呆れた目つきでジロリと睨みつける黒田に、翼はにやりとした笑みを返す。
「すんません」
へらっと、軽く笑う翼に、黒田はため息をついた。
だが、呆れ果てた中にも、嬉しさの色がある。
「今までずっと調べてたわけ?」
「はい。俺、隠密得意なんで」
「……バッカじゃないの?」
鼻で笑うが、黒田は心底嬉しかった。だが、決してそんなことは口にしない。しない代わりに、黒田はフードを目深に引っ張るのだ。
それを見て、翼は優しく目を細めた。
もちろん、黒田が赤井セイに受けた暴力も、露見しないように翼は情報を押さえていた。
そしてそれを、黒田は感じていた。
彼らの間には、言葉はもはや要らないのだ。
「黒田、どういうことなんだ?」
事態にすっかり戸惑ったシュウは、黒田に細い声で尋ねた。
半ば呆然とするシュウを、黒田は見据えた。
「どうもなにも、さっき言ったとおりの事しかないよ」
「……だって、あの時お前、自分がやったって言ったよな? それで、俺は……」
黒田はシュウの詰問には答えずに、踵を返す。
シュウは引き止めようと手を伸ばしかけたが、その手を止めた。
何をどうしたら良いのか、どう質問し、何が返って来たら満足なのか、自分でも分からなかったからだ。
父が罪を犯し、それを友人だと思っていた相手に着せた事が事実なら良いのか。
それとも、かつて友人だと思っていた人間が非道で、そしてそれが事実であるように、父を無実の罪で捕まえた――。
どちらにしても、シュウにとっては傷心である。
シュウは暫く、何も考えられずにいた。