私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~
第十章・黒田の過去・前編
ぼくは、燕秋に居を置いている少数民族の許に生まれた。
民族の名は、覚えていない。
ぼくはそこで、姉と共に暮らしていた。
両親はぼくが生まれてすぐに流行り病で死んだらしい。ぼくは顔も見た事がない。
姉は穏やかな人で、茶色の瞳に紅い髪をしていた。
十一歳年が離れていた姉は、ぼくと暮らすために青流酒(せいりゅうしゅ)という薬を作っては外部に売りに出かけていた。
なんでも青流酒は民族秘蔵の物で、高く売れるらしい。そんなに本数が作れないのが欠点と言ったところだろうか。
ぼくも手伝いがしたかったけど、村の外には出てはいけないと言われていた。
村の人達は、親のいないぼくらを可愛がってくれた。何かと目をかけて、世話をしてくれていた。
村は一つの家族のようだった。
だけど、ぼくだけが違っていた。
村のみんなは、その殆どが姉と同じように、茶色の瞳に紅い髪だった。
ある日どうしてなのか気になって、姉に訊いたら困った顔をされてしまった。それでも聞きたくて、ぼくはせがんだけど、姉は本当は知らないのだと言った。
それでぼくは村長に尋ねてみた。
村長は、快く教えてくれた。
なんでも、ぼくの父方の祖父が功歩の人間で、村に婿にやってきてそれは良く働いたのだそうだ。温厚で真面目な人物だったと語った。
ぼくは祖父に似たのだろう。
功歩の人間はその殆どがぼくと同じ容姿なのだそうだ。
ぼくは、祖父の故郷に想いを馳せた。
いつか行ってみたい。
そんな馬鹿げた夢まで見た。
六歳のある日――ぼくのそんな愚かしい夢は砕け散った。
夜、ぼくは悲鳴の中で目覚めた。
誰かが遠くで叫んでいる。
朦朧とする意識の中で、ぼんやりとした光を捉えた。
目を開けると、それは煌々と輝く赤い光だった。
闇の中で縦に伸びたその光は、ぼくがクローゼットの中に押し込められていたことを教えた。
(なんでぼく、こんなところにいるんだろう?)
ぼくはぼんやりとそんな事を思って、その光を覗いた。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
開け放たれた玄関の向こうでは、悲鳴にまみれた村人の逃げ惑う姿。家という家が煌々と燃えている。
ぼくには何がなんだか分からなかった。
「……うう!」
ふと、すぐ近くでうめき声が聞こえた。
視線を下に移すと、姉が裸で床に転がっていた。
(何をしてるんだろう?)
そう思ったぼくの視界は、もう一人の人物を捕らえた。
そいつは、その男は、ぼくと同じ金色の髪に、白い肌に、緑の目をして、姉の股に自分の股間を押し付けて、腰を振っていた。
今のぼくなら、何をしてるのかなんてすぐに分かるけど、その時のぼくには、ちんぷんかんぷんだった。
ただ、姉のあの目だけは鮮明に覚えている。
空虚で、絶望しかないような、暗い瞳。
涙を流した跡だけが頬に残り、もう泣く事も諦めたような、そんな眼だった。
(お姉ちゃんを助けなくちゃ!)
そう思うものの、ぼくは動き出す事が出来なかった。
なんだかとても、恐ろしかった。
やがて男の動きが終わって、
「俺で終わりだから、安心しなよ」
男は確かにそう言った。
その時のぼくにはやっぱりなんの事なのか分からなかったけど、姉はこの男の前に、幾人かに犯されていたのだ。
姉は何も言わなかった。
何か言える状態でもなかった。
そんな傷つき果てた姉に、男は冷笑を浴びせた。
そして……剣を振り翳した。
鈍く、何か重いものが転がる音。
飛び散る赤い液体。
姉の、首と胴が切り離された。
その瞬間、姉はぼくを見た。
空虚な闇を映す目に、一瞬の懇願が映った。
『……助けて』
姉が本当は何を思ったのかなんて、分からない。
でも、ぼくに何かを訴えたのは事実だ。
ぼくは、その時頭の中で何かが弾けたのを感じた。
気がついたら、ぼくは獣のように叫び、意味のなさない声を上げていた。
クローゼットから響いた雄叫びに、男は驚いてクローゼットを開けた。
その時だ。
ぼくが自分の能力に気がついたのは――。
男が踏んだ姉の血液が、突如として針の筵のように突き上がって男を串刺しにした。
何本も、何本も、男の体に深々と刺さり、男は刹那の悲鳴を上げて地面に伏した。ビクビクと体が痙攣し、すぐに動かなくなった。
ぼくは、呆然とした。
頭がまったく働かなかった。
だけど、その内感情だけが動き出し、喚きだしたくて仕方なくなり、獣のように吠えて、駆け出した。
姉の血を踏んづけて、床を血の足跡まみれにして、ぼくは外に出た。
するとそこは、地獄だった。
そこかしこに転がる、ぼくの〝家族〟
悲鳴と、笑い声の渦。
建物を焼き尽くす炎は、地獄を映し出すためだけに夜に輝いている。
ぼくは、片っ端から、出遭う、ぼくと同じ姿の鬼を殺して回った。
そのうちに、鬼の輝く金色の髪が血に染まるのを見る度に、ぼくがぼくを殺しているような気になった。
ぼくがこんな酷い事をして、ぼくが自分で裁いている。
ぼくが会いたいと思った自分と同じ容姿の人間は、こんなにも酷い人達だった。
だけど、そんな人間を殺していく自分も、同類なのだ。
――違う!
ぼくは、こんな奴らとは違う。
これは正義だ。
ぼくはこの村の人間だ。
ぼくは、功歩の人間じゃない。
ぼくは、美章の民だ!
「うわあああああ!」
ぼくは雄叫びを上げた。
気が狂ったような叫びに気がついて、鬼は群がってきた。
「なんだこのガキ、能力者か?」
鬼の一人が唸った。
そこへ、矢が飛んだ。
その矢は鬼の一人の眼に当たり、鬼は悶絶して倒れた。
慌てふためく鬼に、矢が次々に注がれる。
鬼どもは小さく悲鳴を上げながら逃げ出した。
「大丈夫かい? 坊主」
振り返ると、そこには大柄な男が立っていた。
立派な鎧を身につけ、無精ひげを生やした初老の男。
「うるせえ! 邪魔すんな! ぼくは、あの鬼どもをやっつけるんだ! これは正義だ!! 皆殺しにしてやるっ!」
――皆殺しだ!
そう叫んだぼくに、男は落ち着いた表情で肩に手を置いた。
「でもね、キミ。血だらけじゃないか」
そう言われて、ぼくはハッと気がついた。
腕はぱっくりと切られ、脚にも幾つも切り傷がついていた。
「平気だ、こんなの! ぼくは血が操れるんだ、さっき気づいたんだ! だから、こんなのすぐに止められる!」
「ほう……そうかい。ならば、やってみなさい」
「言われなくてもやってやるよ!」
ぼくはふんぞり返って、力を込めた。
でも、血は止まるどころか、どんどんとあふれ出ていく。
「さっき気づいたと言ったね? 能力は発動したばかりだと、操りきれないことが多いんだよ」
男はぼくにそう告げた。
ぼくはこの時、血を操れるから、切れた血管もくっつけられると思っていたけど、そんな事は出来なかった。
ぼくが操れるのは血液だけで、修復能力があるわけじゃない。
切られて流れ出た血を操れても、止める術はない。
男は振り返って、後ろで待機していた部下達に声を張り上げた。
「さ、この子の手当てをしてあげて!」
「ですが、三関……この子は白星じゃ……?」
部下の一人から、戸惑った声が聞こえた。
「この子は国民ですよ。見たでしょ? 勇ましく敵国と戦っていた姿を」
男は平然とそう言ってのけ、ぼくを部下達の許へ押し出した。
「さあ、私達は殲滅作戦と行きますよ!」
男が声を張り上げると、部下達は「おお!」とそれに続いた。
ぼくは部下の一人から陣営で手当てを受けた。
ここに留まるようにと言われたけど、ぼくの感情は治まる気配を見せず、ぼくは監視の目をすり抜けて村へと戻った。
――鬼どもを殺してやる!
だけど、村に戻ると全てが終わっていた。
鬼どもの死骸も村人の死骸も、同じように横たわり、あの男が勝利したのだと報せていた。
後から知った話だが、ぼくの村は功歩軍の通り道だった。
村に残ったやつらはその残党で、本隊はすでに北上していたのだ。
男の隊もそれを追ってすぐに消えた。
残されたのは、ぼく一人。
そう――廃墟となった村には、ぼくだけが立っていた。