私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~
* * *
ぼくはそれから、二年余りをそこで過ごした。
別宅は、小高い丘の上にあり、丘のふもとには小さな集落があった。
ぼくはその二年、集落に下りることはなかった。
降りる必要性を感じなかったし、人と会いたいとも思わなかったからだ。
ぼくの世話をしていたのは、あの二人の女達だった。
ぼくは最初女達が好きになれず、懐きもしなかったし、女達も深入りしようとはしなかった。
でもその内、口汚くない方の女――蓮(レン)は口喧しくあれをやりなさいだの、これをしなさいだの言うようになり、口汚い女――梓(あずさ)とは、自然と戦いの稽古をするようになった。
梓は剣がそこそこ使えて能力者でもあった。
だから、能力のうんぬんは彼女から教わった。
功歩軍はすでに岐附に侵攻し、美章から背後をとられないようにするためか美章の町や村を占拠したり、支配しようと攻撃を仕掛けたりしてきている。
東條は戦いが終わるたびにたずねてきては、ぼくに兵法を叩き込んだ。
東條は正攻法を好んだが、ぼくは奇襲の方が好きだった。
ぼくは最初のほうこそ、鬼どもの進行状況を訊いたが、その内段々と訊ねなくなった。
鬼どもの話を聞くたびに、憎しみがどっと沸いて、苦しくて仕方がなくなったからだ。
苦しいのはもう嫌だった。
ぼくは、それなりの幸せに浸っていた。
姉代わりの蓮と梓と言い合いながら日々をすごし、父親の知らないぼくは、たまに訪ねて来る東條に父の姿を重ねた。
――でも、それも二年で終わりだ。
* * *
二年後のある日、功歩軍の侵略があった。
あの集落にだ。
食べ物を奪うために襲ったらしく、蓮と梓は村人の救助に向った。
お前は来るなと言われ、部屋に鍵をかけられて閉じ込められた。
ぼくはその意味を深くは考えなかった。
だから、窓からこっそりと逃げ出し、二人の後について行った。
ぼくだって能力者だし、二年修行した。自信があったのだ。
二人の役に立ちたかった。
梓と蓮は集落に入り、残党がいないかを慎重に確認しては、出会った人々へ別宅へ非難するように促した。
ぼくも手伝おうと一歩踏み出した時だった。
一軒の家からうめき声が聞こえた。
慎重に辺りを確認しながら、家の中へ足を踏み入れた。
するとすぐに、人影を発見した。
玄関で、女がうつ伏せで倒れていた。
頭から血を流し、苦しそうに呻いている。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、女は顔を上げた。
「ああ……ありが――」
――え?
ぼくは、急に不安に駆られた。
今覚えば、本能からの警告のようなものだったのかもしれない。
女の顔が急速に歪む。
恐怖と嫌悪で、今にも泣き出しそうだ。
「キャアアアアア! 白星、白星よぉお!」
女はあらん限りの悲鳴を上げた。
ぼくは呆気にとられてしまった。
この女が、何に対して怯えているのか、分からなかった。
白星という意味も知らなかった。
だって今まで美章の人間で、ぼくを憎悪する者も恐れる者もいなかったのだ。
ぼくはすっかり意味が分からなくて、ただただ狼狽した。
そこへ、別宅に向う集落の者達が駆け付けて来た。
皆一様に、手に武器を持っていた。
鍬や包丁や、棍棒や、鎌。
ぼくはそれでも戸惑うばかりで、何がなんだか分からなかった。
だけど、ぼくに降り注がれる村民の目は明らかに憎しみと軽蔑に満ちていた。
やつらは、口々にぼくを罵倒し、恫喝の声を浴びせた。
正直、ぼくはその時何を言われたのかよく覚えていない。
ただ、口々に「白星」と投げ捨てられるように言われた事だけは鮮明に覚えている。
「やめて! やめて下さい!」
気がついたら、ぼくは蓮の背の影にいた。
蓮の隣には、むすっとした梓が立っている。
「この子は、白星ではありません! 誤解です!」
「誤解なもんか! その容姿、どう見たって白星じゃねえか!」
「違うって言ってんだろ! よく見ろ! 本物はもっと、白っちいし、髪ももっとドハデな色だっつーんだよ!」
「功歩のやつらなんかまじまじと見たことなんかねんだ! そんなこと誰が分かるもんか! 白星を庇うなんてどうかしとる!」
「こいつらも同罪だ!」
「ああ、そうかよ!」
梓が吠えて、ぼくの腕を掴んだ。
「逃げるぞ!」
梓はぼくを強く引いて立たせ、走り出した。
その後を蓮が追う。
「逃がすな!」
という誰かの怒号が聞こえたが、追ってくる気配はなかった。
残党狩りよりも、非難と救助を優先させたのだろう。
ぼくらは近くの森へ入った。
もう別宅へは帰れなかったから……。
警戒して目を鋭く光らせている梓に、白星とはなんなのか聞き出そうとして向き直った。
その時だ。
物凄い突風が吹き、ぼくは吹き飛んだ。
一メートルくらい飛ばされ、着地しようとして力を入れた足を地面が拒絶した。土が崩れ、バランスを崩して、そのまま、崖下に転げ落ちて行った。
最後に見たのは、梓のよろける姿と、蓮がぼくに手を差し伸べる姿、そして、二人の向こうで風にはためく紅い旗だった。