私の中におっさん(魔王)がいる。~風間の章~
* * *
どれくらい経ったのか解らない。
不意に怒鳴り声が響いた。
「いいかげんにしな! どうすんだい!?」
「……申し訳ありません」
「謝ってどうすんのさ!」
「そうだよ。問題はあの子でしょ?」
三人の争うような声。いや、一人を責めるような声だ。
男女の諍いに薄ぼんやりとした意識が、ゆっくりと目覚めていく。
映った視界には、怒りの色を表しているおばさんと、心配そうな顔つきの女の人。そして、頭を下げている風間さんだった。
「あの子、もう何日物口にしてないのか分かってんのかい!? 五日だよ! 五日! 死んじまうよ! とっくにヨウゲンにだって着いたってのにあの子、一回も荷車から降りなかったじゃないか!」
「そうだよ。貴方ずっと彼女の隣に座って話しかけたりしてたけど、あの子一回も答えないし、どこ見てんのか分かんない目してさ。私達が話しかけてもずっとそうで……あの子、大丈夫なの?」
(あの子って、誰?)
ぼんやりとした意識の中で、ぼんやりとそんなことを思う。
「おい、いいかげんにしろよ。そいつ責めたってしょうがねえだろ」
「だけどさ、ローちゃん、放っといたらあの子死んじゃうよ!?」
カップルが、なにやら危機的ですな……。
「そもそも、なんであの子あんなに落ち込んでるんですか?」
「だよな。山賊が死んだくらいで。どうしてあそこまで落ち込むんだよ。足運屋の用心棒連中と知り合いってわけでもないんだろ? 俺達は皆あんたに感謝してんだぜ? 助けてもらったんだからよ」
商談組が参戦ですか。
……一体なんの話やら?
「お姉ちゃん!」
女の子が、突然私の視界に現れた。
(わっ。びっくりした)
女の子は、さらに私に近づいた。凄く近い。顔と顔がくっつきそう。
「これ、やめなさい!」
「きゃあ! あはは!」
あ、離れた。
お父さんに持ち上げられて、はしゃいでいる。
お父さん……逢いたいな。
「ねえ、なんでなにも食べないの?」
……今度は男の子か。
なんでも良いけど、どうしてそんなに近い距離で話すの。――ていうか、食べないってなに?
「はい。これあげる!」
「うぐっ!」
いきなり何かを口に突っ込まれた。慌てて起き上がる。奥で大人達がわたわたしている。私はつっこまれた物を吐き出そうとした。
でも、ふわりと甘い匂いが鼻をつく。
舌に当たった柔らかいもの。
(……甘い)
気づくと私は、口を動かしていた。
(美味しい……)
ぱたぱたと涙が流れ出る。
そこで、ふと私は思い出した。私はさっきまで、横に寝そべっていたことに。どうりで、子供の顔が近かったわけだ。
涙を拭う。
(私、なんで泣いてるんだろう?)
みんなが一斉に安心したように息をついた。
風間さんが、ゆっくりと私の前にやってきた。
無意識に体が緊張する。
突然強い力で腕を引かれた。
驚いて目を見開く暇もなく、ガンッと体がぶつかった。
風間さんの胸に、顔が埋まる。
抱きしめられたんだと気づいたのは、背中が痛かったからだ。後ろに回された腕に、強く、強く、抱きしめられた。
「良かった。本当に……」
安堵の息が耳元で聞こえる。
「私を、許さなくても良いです。嫌って下さい。だけど、貴女が自分を責める必要はないんですよ」
――責める?
背中に回された腕が一層強くなった。と思った瞬間、体を離された。
こつん。
おでこに何かが当たる。
風間さんのおでこだった。
「……良かった」
風間さんは、ほっとしたように頬を緩ませる。おでこが離れた。
ふと見ると、風間さんの頬に涙の跡が残っていた。
急に、気持ちが崩れた。何も浮かんでいなかった心が突然泣き叫んだ。
「……う、うわあああん!」
気がつくと、私は声を上げて泣いていた。
惨めったらしく、風間さんにすがりつく。
風間さんは一瞬だけ困惑したけど、ぎゅっと抱きしめてくれた。
惨めで、情けなくて、汚くて。
だけど、これで良いんだという気がした。
優しくしてくれた人が殺されても、ご飯を食べて、生きて行く。
優しくしてくれた人を殺した人が、好きな人でも、生きて行く。
そんな傲慢で、自分勝手で、だけど……それが人間なんだって気がした。
そうやって人は生きていくんだって。