私の中におっさん(魔王)がいる。~風間の章~

 * * *


 弦韻の町は、静かだった。
 もっと賑やかなのかと思っていたから拍子抜けだった。

 おばさんが言うには、この町には皮を加工する工場が幾つもあり、商業でやって来る者が殆どなのだそうだ。

 みんなとは弦韻に着いてすぐに別れた。
 子供達は元気に手を振って、私は手を振り替えして笑顔を送った。自然に笑えるようになっていた自分に、少しだけ驚いて、少しだけ嬉しかった。

 商人コンビは、「じゃあな。ありがとう」と告げて足早に去って行った。
 おばさんとカップルは別れる間際まで心配してくれていた。
 心がほっと温かくなった。

 風間さんは、あれからあまり口を聞いてくれない。
 話しかければ答えてくれるけど、以前のように微笑みかけてはくれなかった。
 機嫌が悪いわけじゃない。
 どことなく、気分が落ち込んでいるみたいだった。

 風間さんも自分のしたことを後悔しているのかも知れない。
 そして、私に対して、どこか遠慮のような、罪悪感のようなものを抱いているような気がした。

「ゆり様」
「はい?」

 風間さんから話しかけられるなんて、どれくらいぶりだろう。

「……帰りたいですか?」
「え?」

 風間さんが哀しげに笑った。
 帰りたいか? そう、訊かれるなら〝帰りたい〟と答える。それは当然だと、そう思ってた。
 でも、実際に訊かれた今、即答できない自分に戸惑う。

「元の世界に、帰れますよ」

 風間さんがやわらかく告げた。

「……帰れるんですか? 本当に?」
「はい。あなたが望むなら、今日中にも帰れます」

 今日中……にも。

 以前、風間さんは帰り方は分からないと言った。帰り方を探していてくれたのはうそだった。でも密かに探していてくれたの? それとも最初から知っていたの? 
 混乱が心を占めようとしたけど、私はそれを振り切った。
 そんなのは、この際どうでも良い。

 帰れる……帰れるんだ。
 お母さんに逢える。
 お父さんにも逢える。
 かなこにも……嬉しい!
 だけど、風間さんは?
 きっとこのまま帰ったら、二度と風間さんには逢えない。

「私……私、帰りたくない」

 思わず口をつく。

「だって、私、私」

 風間さんと離れたくない!

「私、風間さんが!」
「それ以上は、言わないで下さい」

 風間さんはやわらかく笑った。

「私は、貴女の気持ちに答えることができない」

 どうして?

「……好きな人が、いるんですか?」

 風間さんはかぶりを振った。

「私は、貴女に振られたかったんです。嫌いになって欲しかった。だから、貞衣さん達を殺した。もちろん、貞衣さん達を殺したことは、いずればらすつもりでしたよ」

 どういうこと?

「……入国証のためじゃ?」
「違います」

 風間さんは哀しげに眉尻を下げる。

「入国証のためでもありました。どこかで調達するつもりではありましたから。貞衣さん達は一石二鳥の相手だったんです」
「どうして、そんなことを?」

 視界が揺れる。
 意味が分からない。

「魔王の力を手に入れるには、貴女に愛され、貴女を真に愛する者が必要だったからです」
「それって、つまり……風間さんは、私が好きではないということですか?」

 自分じゃ私を愛せないから、だから私に未練が残らないように嫌われて、さっさと誰かとくっつけたかったってこと?
 そんなの、ひどい。

 風間さんの顔が滲んだ。
 優しい笑みが、歪んでしまう。
 不意に、風間さんが手を伸ばした。私の目尻を優しく拭う。しずくが、ぽとりと地面に落ちた。

「そのつもりでした」
「え?」

 風間さんは、今までで一番やわらかい顔をした。
 何度か見た、愛おしさがこもったような瞳。

 それを見た瞬間、突然、首に衝撃が走って、大きくしなった。
 ぐらっと、視界が回る。
 足に力が入らない。滑るように身体が地面に跳ねて、見えてしまった。泣き出しそうな、彼の姿。

(どうして?)

 私の疑問は声にならず、視界が黒く染まった。

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