私の中におっさん(魔王)がいる。~風間の章~

 * * *


 目印の大木からなるべく目を離さないようにして、私は森を進んだ。

「キュウ、キュウ」

 鳴き声は近くなっている気がする。
 私は声を頼りに、もう少し先へ進んだ。

 しばらく辺りを見回したりしながら歩いていくと、だんだん鳴き声が近くなってきた。目印の大木を確認しようと振り返って、ぎょっとした。

「あれ? うそ」

 大木が見当たらない。

「っていうか……」

 私は辺りを見回す。

「ここどこ?」

 見渡してみても同じような木々しかない。
 不安が胸を襲う。
真っ直ぐに進んできたはずだから、真っ直ぐに戻れば良いはず。私は自分をそう宥めて、とりあえず一回戻ろうと踵を返した。

 でも、数分歩いたところで、さあっと血の気が引く。
 確かに真っ直ぐ進んできたはずなのに、そこにあるはずの街道が見えない。乱立する木々の少し先はすとんと地面がなくなっている。多分、あそこは崖だ。

「うそでしょ。まさか、迷った?」

 どうしよう。

「キュウ、キュウ」

 あの鳴き声……。すぐ近くから聴こえる。
 私は、幹の陰からそっと覗いてみた。幹の向こうには、白いドラゴンがいた。一メートルくらいの大きさの身体のわりには、尻尾がやけに長い。身体の倍以上ある。カンガルーに似てる。つぶらな瞳が青く輝いていた。

 ドラゴンは苦しそうにまた鳴いた。
 どうしたんだろう? 私はドラゴンをまじまじと見つめる。

 すると、白い身体に赤く染まっているところがあった。後ろ足の付け根、お尻に近い部分から血が出ている。
 かわいそう。何かに噛まれたんだ。

「キュ!」

 不意にドラゴンが顔を上げて勢い良くこっちを見た。びっくりして顔を引っ込めようとして気づいた。

(私、いつの間にか幹から出てる)

 ドラゴンが心配で、無意識に木の陰から出ちゃってたんだ……。ドラゴンがこっちを見たのは私が出てきたから……。
 ドラゴンは低く唸って、私を睨み付けた。

「ヤバ……」

 慌てて隠れようとして、後ろから誰かに肩を掴まれた。ぎくっと心臓が跳ねる。振向こうとした瞬間、

「動かないで下さい」

 冷静でやわらかい声がした。ほっと息をつく。風間さんの声だ。

「そのまま、ゆっくり後退りして下さい」

 こくんと頷いて、右足を後ろへ出した。軽く風間さんの胸に背が触れる。心臓が一気に高鳴った。ドラゴンを前にした緊張から? それとも……。

 ドラゴンはさらに低く鳴り声を上げる。
 やだ、怖い。

 震える肩に置かれた手にそっと力が篭る。

「大丈夫。落ち着いて下さい」

 なんでだろう。
 風間さんの声を聞くと、ほっとする。なのに、胸の奥が苦しい。

 私達はそのまま、二メートルくらい下がって素早く木陰に身を寄せた。目の前に崖がある。そんなに高さはないみたい。しばらくじっとしていると、ドラゴンは警戒しながらその場を去っていった。

「まったく……」

 風間さんは呆れた声を出した。
 私に視線を向けると、少し責めるような目つきで、

「どうしてこんなところにいるんです? 待っていて下さいと言いましたよね?」

 言い方に少し棘がある。やっぱ、怒ってるよね。

「ごめんなさい。鳴き声が聴こえて、気になっちゃって」

 風間さんは小さくため息を漏らした。

「手負いの動物ほど凶暴なものはいないんですよ。たまたま、あのドラゴンは大人しいといわれているものだったから良かったものの。獰猛なやつだったらどうするつもりです?」
「……ごめんなさい」

 でも、ケガしてたら助けてあげたいじゃん。

「本当に反省してるんですか?」

 風間さんが珍しく厳しい目線を投げた。
 ううっ……。

「ごめんなさい」

 私はぺこりと頭を下げた。ちょっと危険な状態だったし、風間さんにも心配かけちゃったし……結局あのドラゴンの傷も処置できなかったし、ダメだなぁ。

 反省しつつ、ドラゴンが去った方向を眺めた。

「あのドラゴン、大丈夫かな」

 ぽつりと呟いた独り言を、風間さんが拾った。

「貴女という人は……」

 呆れた声音だ。
(嫌われちゃったかなぁ)
 不安な気分で風間さんを振り仰ぐ。その瞬間、どきっとした。

 声音とは裏腹に、すごくやわらかく笑んでたから。いつもの笑みとは、比べ物にならないくらい、優しい瞳だった。
 でも、それは一瞬で次に瞬いたときにはいつもの微笑みだった。

「では、行きましょうか」
「あ、は、はい」

 歩き出そうとした瞬間、湿った地面に足をとられた。ずるっと視界が落ちる。

「谷中様!」

 風間さんが声高に叫んで、腕に硬い感触がした。風間さんが私の腕を掴んだんだと直感したときには足が宙を蹴っていた。大きく身体が揺れた途端、内蔵が浮く感覚に襲われた。落ちる! 叫んだときにはもう、地面に足を打ちつけていた。
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