私の中におっさん(魔王)がいる。~風間の章~
第七章・船旅・一日目
所陽の門は豪華な牌楼で、屋根の上に獅子っぽい像が乗っていた。石柱には雫や波の模様が浮き出るように彫刻されている。
町は塀で囲まれていて(正確には海があるので、半円という感じだけど)塀の高さは、通ってきたどこの町よりも高かった。
五メートルくらいの高さで、簡単によじ登れそうにない。
門の前には兵士が二人いて、門の両端に検問所が設置してある。検問をする憲兵も二人ずついた。
町に入る者は、並んで審査を受けている。私達もその列に並んだけど、私は少し不安が過ぎってきた。
(入国証の件はすっかり風間さんまかせっきりになっちゃってたけど、大丈夫かな?)
私は風間さんを見上げた。風間さんは平然とした顔つきで前を見据えている。
(大丈夫そうだけど……)
「次!」
憲兵がギロッと睨みつけた。身体が緊張と不安で震える。私達の番だ。風間さんが先を歩き、私がそれに続く。
ポケットから風間さんが、木の板のような物を取り出した。
それを一人の憲兵が見て、巻物に何か記していく。そして、もう一人の憲兵が質問をした。
「ここへはなにをしに?」
「瞑へ品物の買い付けに」
風間さんが微笑を浮かべながら端的に陳べて、質問をした憲兵は頷いた。もう一人の憲兵と顔を見合わせ、「通ってよし」と告げて、門の内側を指差す。
(やった!)
憲兵は木の板を風間さんに返して、次の人を義務的に呼んだ。
「それが入国証ですか?」
私がこそっと尋ねると、風間さんは一瞬硬い表情をした。でもすぐお得意の愛想笑いになって、入国証をしまおうとしていた内ポケットから手を引き抜く。
てっきり入国証を見せてくれるもんだと思ったのに、風間さんは空手だった。
「そうですよ」
風間さんは穏やかに言って、続けた。
「永国は長方形、瞑国は半月型など、国によって形が違います」
「へえ。功歩は?」
「功歩は――三日月形です」
一瞬変な間が空いたような気が?
「じゃあ、風間さんも本当は三日月形なんですね」
「……そうですね」
風間さんは、にこりと笑った。いつもの愛想笑いだ。これ以上は聞くなと言われているような気がする。笑顔で拒絶されるのって結構きついんだよね。
気分が沈む。けど、そんな感情はすぐに吹き飛んだ。
所陽の街は、とんでもなく賑やかで、忙しなく行きかう人の波に、肩を持っていかれないようにするのに必死だったから。
真っ直ぐに伸びた大通りを抜けると、港が広がっていた。船が幾つも停泊している。身体の奥から、わあっと何かが駆け上がってくる。
「海だ!」
思わず小さく叫んだ。
「海がお好きなんですか?」
「う~ん……なんていうか、好きってほどでもないけど、海見るとテンション上がりませんか?」
「そうですか?」
考え込むふうにして、風間さんは首をひねった。
「私の場合は仕事柄多くのところに行くので、あまり珍しくはないですね。谷中様は、海から離れたところにお住まいだったのですか?」
「そうですね……。近いといえば近かったし、遠いといわれれば遠かったかも。年に一回くらいしか行かなかったからよくわかんないですけど」
「へえ」
風間さんは相槌を打った。でも私は海の話題よりはるかに気になることがある。
久しぶりの〝谷中様〟発言だ。
最近はずっと〝貴女〟だったから、なんだか遠い距離に戻ったような気になった。元々そんなに近づいてはいないのかも知れないけど。
「あの、風間さん?」
「はい」
「谷中様って、止めませんか?」
おずおずと切り出すと、風間さんはちょっと真顔になった。
あ、ヤバ。やっちゃったかなコレ。また地雷踏んだかな。
「――では、なんとお呼びすれば宜しいですか?」
あれ?
てっきり、やんわりと拒否されると思ったのに、風間さんは意外なことに受け入れてくれた。
でも、表情は愛想笑い。しかも、多分究極の部類。
これって、逆に案に拒否されてる? それとも言葉のまま?
ああ、分かんない。混乱する!
でも、これって好機じゃない?
人の呼び方で人って接し方が変わるってあると思うし。
もしかしたら、もうちょっとだけ親密になれるかも。
「じゃ、じゃあ……〝ゆり〟で」
「それは無理です」
即答。
って、それはないんじゃないですか。
しかも超さわやかな、愛想笑いで言わなくても……。
「そうですかぁ……。無理ですか」
ふふっ。
どうせ私はその程度さ。
「私が呼び捨てにする相手は、部下だけですので。谷中様にそうするのは失礼になります」
毅然とした態度でそう告げる風間さん。
別に良いんですよぉ? 部下扱いだって。
むしろ、その方が良い。むしろ、そっちのが良い!
「でも、上の人扱いされるのは、なんだか慣れなくって。だって、風間さんの方が年上なわけですし?」
ちょっと食い下がってみる。
「年が上だとか、下だとか、そんなものは関係ないと思うのですが……」
独り言のように言って、風間さんは何かを考える仕草をした。
「では、こうしましょう。ゆり様とお呼びいたします。それでどうでしょうか?」
ゆり様、ゆり様……ね。
いや、――逆に恥ずかしいわっ!
顔がボッと一気に赤くなるのを感じた。
それを見て、風間さんがおかしそうに、「ふふっ」と笑う。
これ、もしやわざとではあるまいな?
「じゃあ、えっと、それで良いです」
「ではゆり様とお呼びしますね」
風間さんがにこりと笑った。
今度は愛想笑いではなさそうだ。
私はなんだか、自分がどっかの国のお姫様にでもなったような、こそばゆい感覚がした。
他人行儀から一気に〝親密〟へ。
でも、私が欲しかった親密は、こんなんじゃな――いっ!
なんて心中で叫びつつ、この話題は終わったのだった。
町は塀で囲まれていて(正確には海があるので、半円という感じだけど)塀の高さは、通ってきたどこの町よりも高かった。
五メートルくらいの高さで、簡単によじ登れそうにない。
門の前には兵士が二人いて、門の両端に検問所が設置してある。検問をする憲兵も二人ずついた。
町に入る者は、並んで審査を受けている。私達もその列に並んだけど、私は少し不安が過ぎってきた。
(入国証の件はすっかり風間さんまかせっきりになっちゃってたけど、大丈夫かな?)
私は風間さんを見上げた。風間さんは平然とした顔つきで前を見据えている。
(大丈夫そうだけど……)
「次!」
憲兵がギロッと睨みつけた。身体が緊張と不安で震える。私達の番だ。風間さんが先を歩き、私がそれに続く。
ポケットから風間さんが、木の板のような物を取り出した。
それを一人の憲兵が見て、巻物に何か記していく。そして、もう一人の憲兵が質問をした。
「ここへはなにをしに?」
「瞑へ品物の買い付けに」
風間さんが微笑を浮かべながら端的に陳べて、質問をした憲兵は頷いた。もう一人の憲兵と顔を見合わせ、「通ってよし」と告げて、門の内側を指差す。
(やった!)
憲兵は木の板を風間さんに返して、次の人を義務的に呼んだ。
「それが入国証ですか?」
私がこそっと尋ねると、風間さんは一瞬硬い表情をした。でもすぐお得意の愛想笑いになって、入国証をしまおうとしていた内ポケットから手を引き抜く。
てっきり入国証を見せてくれるもんだと思ったのに、風間さんは空手だった。
「そうですよ」
風間さんは穏やかに言って、続けた。
「永国は長方形、瞑国は半月型など、国によって形が違います」
「へえ。功歩は?」
「功歩は――三日月形です」
一瞬変な間が空いたような気が?
「じゃあ、風間さんも本当は三日月形なんですね」
「……そうですね」
風間さんは、にこりと笑った。いつもの愛想笑いだ。これ以上は聞くなと言われているような気がする。笑顔で拒絶されるのって結構きついんだよね。
気分が沈む。けど、そんな感情はすぐに吹き飛んだ。
所陽の街は、とんでもなく賑やかで、忙しなく行きかう人の波に、肩を持っていかれないようにするのに必死だったから。
真っ直ぐに伸びた大通りを抜けると、港が広がっていた。船が幾つも停泊している。身体の奥から、わあっと何かが駆け上がってくる。
「海だ!」
思わず小さく叫んだ。
「海がお好きなんですか?」
「う~ん……なんていうか、好きってほどでもないけど、海見るとテンション上がりませんか?」
「そうですか?」
考え込むふうにして、風間さんは首をひねった。
「私の場合は仕事柄多くのところに行くので、あまり珍しくはないですね。谷中様は、海から離れたところにお住まいだったのですか?」
「そうですね……。近いといえば近かったし、遠いといわれれば遠かったかも。年に一回くらいしか行かなかったからよくわかんないですけど」
「へえ」
風間さんは相槌を打った。でも私は海の話題よりはるかに気になることがある。
久しぶりの〝谷中様〟発言だ。
最近はずっと〝貴女〟だったから、なんだか遠い距離に戻ったような気になった。元々そんなに近づいてはいないのかも知れないけど。
「あの、風間さん?」
「はい」
「谷中様って、止めませんか?」
おずおずと切り出すと、風間さんはちょっと真顔になった。
あ、ヤバ。やっちゃったかなコレ。また地雷踏んだかな。
「――では、なんとお呼びすれば宜しいですか?」
あれ?
てっきり、やんわりと拒否されると思ったのに、風間さんは意外なことに受け入れてくれた。
でも、表情は愛想笑い。しかも、多分究極の部類。
これって、逆に案に拒否されてる? それとも言葉のまま?
ああ、分かんない。混乱する!
でも、これって好機じゃない?
人の呼び方で人って接し方が変わるってあると思うし。
もしかしたら、もうちょっとだけ親密になれるかも。
「じゃ、じゃあ……〝ゆり〟で」
「それは無理です」
即答。
って、それはないんじゃないですか。
しかも超さわやかな、愛想笑いで言わなくても……。
「そうですかぁ……。無理ですか」
ふふっ。
どうせ私はその程度さ。
「私が呼び捨てにする相手は、部下だけですので。谷中様にそうするのは失礼になります」
毅然とした態度でそう告げる風間さん。
別に良いんですよぉ? 部下扱いだって。
むしろ、その方が良い。むしろ、そっちのが良い!
「でも、上の人扱いされるのは、なんだか慣れなくって。だって、風間さんの方が年上なわけですし?」
ちょっと食い下がってみる。
「年が上だとか、下だとか、そんなものは関係ないと思うのですが……」
独り言のように言って、風間さんは何かを考える仕草をした。
「では、こうしましょう。ゆり様とお呼びいたします。それでどうでしょうか?」
ゆり様、ゆり様……ね。
いや、――逆に恥ずかしいわっ!
顔がボッと一気に赤くなるのを感じた。
それを見て、風間さんがおかしそうに、「ふふっ」と笑う。
これ、もしやわざとではあるまいな?
「じゃあ、えっと、それで良いです」
「ではゆり様とお呼びしますね」
風間さんがにこりと笑った。
今度は愛想笑いではなさそうだ。
私はなんだか、自分がどっかの国のお姫様にでもなったような、こそばゆい感覚がした。
他人行儀から一気に〝親密〟へ。
でも、私が欲しかった親密は、こんなんじゃな――いっ!
なんて心中で叫びつつ、この話題は終わったのだった。