ポンコツ女子、異世界でのんびり仕立屋はじめます
「その匂いを嗅ぐと、見惚れてしまって頭がぼうっとしたり、逆らう気がなくなったりするそうだ。さっきもそうならなかったか?」

「ぼうっとは、しましたけれど……」

 つまり、さっきのキスで私が抵抗できなかったのは、私のせいではない、とアッシュは言いたいのか?

「セピアやクラレットはそんな性質も嫌ではないらしく、うまくコントロールして自分のものにしていたな。俺は……、自分が努力したこと意外で自分の価値が決められてしまうのが嫌だった。俺ではなく、俺の描いたデザイン画や、ドレスそのものを見て欲しかった。自分の意思ではないのに、人に勝手に好かれてしまうことも怖かった」

 私だったらどうだろう……。人に好かれるような力なら、嫌ではないと思う。人に嫌われないように顔色を伺ったり、噂話を怖がったりするよりはずっとマシだ。

 でも、アッシュはそうではなかった。この人は強くて、潔癖で、まっすぐだから。私にないものを持っている人だから。

「俺の場合、気を抜いたときに匂いが漏れてしまうとわかってからは、酒に酔わないようにしたし、常に神経を張って気が緩まないようにしていた。誰にも隙を見せないよう、自分にも他人にも厳しい態度でいるよう心掛けていた」

 本当は優しい人なのにそれを隠しているような違和感があったのは、そのせいだったのか。冷たい態度は、アッシュが自分の身を守るための氷の檻だった。

「ただ、ケイトだけは……。出会ったときから予想外の、突拍子もない行動をしたりするから、時々気が緩んでしまうことがあった。そのあとすぐ、気持ちを立て直そうとしたが、漏れていたこともあるだろう」

 今まで何回か感じたことのある、アッシュの甘い匂い。役場まで案内してもらってお礼を言ったときも、『アッシュさんって、本当は優しいですよね』と告げたときも。そして、新年の人混みで手を握ったときも。

 それを嗅いだときはいつも、アッシュが私の言葉や行動に慌てていた場面だった。

 驚いたあとは必ず、冷たい態度を取られたことを思い出し、「そういうことだったのか」とやっと納得がいった。
< 171 / 218 >

この作品をシェア

pagetop