デジタル×フェアリー
 テーブルの上に、夕食は並んでいない。沈黙だけが、重たくよどんでいる。
 あたしの真向かいに母、その隣に父が座っている。あたしは二人と視線を合わせない。壁のカレンダーをにらんでいる。カレンダーには、病院勤務の母の不規則なシフトが、几帳面な字で書き込まれている。

 時刻は二十一時を回っていた。
 本当は、父も母も帰ってくるこの時間帯に合わせて、あたしが夕食を準備しておかなきゃいけなかった。だけど、あたしは時間を忘れて、計算室でアイトとしゃべっていた。

 盛大なため息が聞こえた。母だ。
 あたしは身構えた。想像したとおりのきついお小言が、正面から飛んできた。
「ちょっと、マドカ、何か言ったらどうなの?」

 母は、どんな言葉を口にするときも、口調が強い。
 小さいころ、ちょっとでも母の機嫌がよくない日には、どうしても怖かった。お皿をそこに出してとか、何でもない言葉さえ、あたしを叱っているように聞こえて。

 母は短い髪で背が高くて、いつも隙のないメイクとスーツ姿だ。たまに母の職場の関係者と会うことがあると、必ず「おかあさんはカッコいいね」と言われる。
 だったら何? 職場ではカッコいいくらいの女性がちょうどいいとしても、家でまで同じ態度って、あたしは疲れる。子どものころほど怖くはなくなったけれど、それでも威圧される。苦手な気持ちが膨らんでいく。

 あたしは、赤くちらつくニーナを手の中につかまえて、テーブルの下に押し込んでいる。あからさまに反抗したら面倒だよ、ニーナ。少しおとなしくしていて。

 父が、テーブルに軽く身を乗り出した。
「マドカの口からも話を聞きたいんだ。計算室のAITOについて、いつごろから関心を持っていたのかな?」

 父は三百六十五日いつでも、ポロシャツとジーンズだ。半年に一回しか髪を切らなくて、今は確か、結べるくらい長かったと思う。
 あんな長髪、本当に変人だよね、あの人。赤の他人がそう言っているのをたまたま聞いて、ああそうだよね、と思った。

 恥ずかしくないのって、父に訊こうとして、やめた。訊こうとした瞬間にはもう、父をうとましく思う気持ちが、あまりにも膨れ上がっていた。言葉を交わしたくなかった。あたしよりも長い父の髪の毛がお風呂場に落ちていたら、本気でうんざりする。

 そうだ、お風呂だ。お風呂を沸かすのも忘れていた。あたしの仕事なのに。
 仕事といっても、スマホでアイコンをタップするだけだ。ご飯を炊くのも、冷蔵庫の中身をチェックするのも、エアコンも掃除も洗濯も何もかも、我が家はスマホでできる。システムは父のお手製。なんて便利な生活。
 たぶん、全部、我が家の家事のデータは記録されている。父たちの研究に役立てるためだ。この家は丸ごと全部、情報工学の研究材料として設計されて、隅々にまで通信システムが行き届いている。
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