銀の姫はその双肩に運命をのせて
夜這いと姦計
夕餉を終えて、部屋に戻ったディアナはお風呂を使った。本来ならば、夕餉の前に済ませておきたかったが、時間がなかった。
ようやく、ひと息つけた。
寝衣に着替え、自分で髪を梳いて乾かしている。
一日中、アネットをおろおろさせてしまったので、ディアナは早くにアネットを下がらせた。きっと疲れているだろう。
ひとり、長椅子でくつろいでいると、バルコニーに面した窓がカタカタと音を立てて軋んだ。外は風が強いのだろうか、ディアナは一瞬だけ窓辺に視線を送ったが、強い関心を払わなかった。たとえ見に行っても、外は暗い。なにも分からないだろう。まさか、ディアナのしっかり侍女・アネットが施錠を忘れるわけがない。
さして気に留めないまま、ディアナは手紙の文面を考える作業に入った。そろそろ消息を、ついでに天馬のことを詳しく母に尋ねたいと思い、ディアナはペンを走らせようとした。
この国の王太子ご結婚については、あらかじめ銀の国には知らせはなかったのだろうか。銀の国から花嫁行列を出す前に結婚の事実が分かっていれば、こんなややこしいことにはならなかった。
今のディアナの立場は、表向きには賓客、内実はやっかいな婿探し。心にはさまざまなことが消えては浮かぶのに、紙にはちっともしるせない。
国王は親書を送ると言っていたが、その返事が届いたような気配もない。もしかして自分、体よくルフォンで軟禁されているのではないか。
再び、窓が鳴った。
カタカタ、カチャリ。
「……カタカタ、カチャリ?」
文に落としていた目線を窓に向けると、押し寄せてきた夜気がディアナの顔を襲った。急な強い風で、部屋の灯りが消し飛ばされ、卓の上の紙も部屋中に散ばった。
「うわっ……と、と」
ひらひらと舞い上がる紙を押さえようとしたが、ディアナの手には追えなかった。何度も、空を切る腕。
代わりに、ディアナの手を捕らえたのは、侵入者。キールの右腕だった。月明かりに照らされているせいか、いやに青白い。
「こんばんは、ディアナ」
「キ、キール? どうして私の部屋に? ま、魔術?」
宙を漂った紙は、キールの左手のひらの上に一枚ずつお行儀よく降りて来た。まるでキールに操られているかのように。
「恋の魔術、かな。はい、どうぞ。きれいな紙だね」
「ええ。私の国の紙なの。銀が漉き込まれていて。銀紙(ぎんし)というのですが、それよりキール、どうやってここに入ってきたの?」
キールは、自分の入ってきた窓をそっと丁寧に閉めた。もちろん、カギもしっかり鎖した。
「細かいことはいいじゃないか。今日のディアナは、第二王子とばっかり遊んでいたよね。夕餉の席でも上の空だったし、もう、妬けちゃって妬けちゃって。嫉妬で狂いそうだよ」
「遊んでいたのではありません、調査です調査。天馬の調査」
「ふーん。ほんとに?」
強い疑いの眼差しを向けられて、ディアナはうろたえた。書庫の薄闇と、グリフィンの唇の感触が蘇る。
しかも、自分は無防備な寝衣。こんな姿をキールに見られてしまうなんて、恥ずかしいのひとことでは説明ができない。泣きたい。
「……しゅ、収穫もありましたよ、ほんのちょっとは。あっ、明日にでも、キールの馬を見せてくれませんか。芦毛の馬に、大いなる手がかりが隠されているようです」
「アカツキのこと? また馬の話か、別にいいよ。まあでもそれは、明日の話で」
キールはディアナに近寄って、マントを脱いだ。マントだけかと思っていたら、キールはベストも脱ぎ、白シャツ一枚の姿になった。
「キール? あの、なぜそんな格好に」
戸惑いを隠せないディアナは、壁ぎわまで後退した。無意識に逃げ道を目で探す。窓は締められてしまったし、廊下への扉も錠が下りていて、すぐには飛び出せない。
「ねんねのディアナ。まだ状況が飲み込めないの? 夜這いだよ、夜這い。聞いたこと、あるでしょ。愛しい人のもとへ忍び込む、あれだよ」
「よ、夜這い? よく、私の部屋が分かりましたね」
「わたしは、この国の王子だよ。この前は直接聞き出そうとして失敗したけど、少し調べれば、すぐに明らかになることさ。隣の部屋のベランダからこちらに飛び移るのは、ちょっと大変だったけどね。窓の鍵を締め忘れてくれていて、助かったよ。手荒な真似はしたくなかったし」
おそらく、王子は鍵が締まっていたら窓を破ってでも侵入しただろう。恐ろしい。
「おいでよ。明日どこに行くか、抱き合いながら考えよう。ふたりの将来のことでもいいし」
我が物顔で、キールはディアナの寝台にごろりと寝そべった。
ようやく、ひと息つけた。
寝衣に着替え、自分で髪を梳いて乾かしている。
一日中、アネットをおろおろさせてしまったので、ディアナは早くにアネットを下がらせた。きっと疲れているだろう。
ひとり、長椅子でくつろいでいると、バルコニーに面した窓がカタカタと音を立てて軋んだ。外は風が強いのだろうか、ディアナは一瞬だけ窓辺に視線を送ったが、強い関心を払わなかった。たとえ見に行っても、外は暗い。なにも分からないだろう。まさか、ディアナのしっかり侍女・アネットが施錠を忘れるわけがない。
さして気に留めないまま、ディアナは手紙の文面を考える作業に入った。そろそろ消息を、ついでに天馬のことを詳しく母に尋ねたいと思い、ディアナはペンを走らせようとした。
この国の王太子ご結婚については、あらかじめ銀の国には知らせはなかったのだろうか。銀の国から花嫁行列を出す前に結婚の事実が分かっていれば、こんなややこしいことにはならなかった。
今のディアナの立場は、表向きには賓客、内実はやっかいな婿探し。心にはさまざまなことが消えては浮かぶのに、紙にはちっともしるせない。
国王は親書を送ると言っていたが、その返事が届いたような気配もない。もしかして自分、体よくルフォンで軟禁されているのではないか。
再び、窓が鳴った。
カタカタ、カチャリ。
「……カタカタ、カチャリ?」
文に落としていた目線を窓に向けると、押し寄せてきた夜気がディアナの顔を襲った。急な強い風で、部屋の灯りが消し飛ばされ、卓の上の紙も部屋中に散ばった。
「うわっ……と、と」
ひらひらと舞い上がる紙を押さえようとしたが、ディアナの手には追えなかった。何度も、空を切る腕。
代わりに、ディアナの手を捕らえたのは、侵入者。キールの右腕だった。月明かりに照らされているせいか、いやに青白い。
「こんばんは、ディアナ」
「キ、キール? どうして私の部屋に? ま、魔術?」
宙を漂った紙は、キールの左手のひらの上に一枚ずつお行儀よく降りて来た。まるでキールに操られているかのように。
「恋の魔術、かな。はい、どうぞ。きれいな紙だね」
「ええ。私の国の紙なの。銀が漉き込まれていて。銀紙(ぎんし)というのですが、それよりキール、どうやってここに入ってきたの?」
キールは、自分の入ってきた窓をそっと丁寧に閉めた。もちろん、カギもしっかり鎖した。
「細かいことはいいじゃないか。今日のディアナは、第二王子とばっかり遊んでいたよね。夕餉の席でも上の空だったし、もう、妬けちゃって妬けちゃって。嫉妬で狂いそうだよ」
「遊んでいたのではありません、調査です調査。天馬の調査」
「ふーん。ほんとに?」
強い疑いの眼差しを向けられて、ディアナはうろたえた。書庫の薄闇と、グリフィンの唇の感触が蘇る。
しかも、自分は無防備な寝衣。こんな姿をキールに見られてしまうなんて、恥ずかしいのひとことでは説明ができない。泣きたい。
「……しゅ、収穫もありましたよ、ほんのちょっとは。あっ、明日にでも、キールの馬を見せてくれませんか。芦毛の馬に、大いなる手がかりが隠されているようです」
「アカツキのこと? また馬の話か、別にいいよ。まあでもそれは、明日の話で」
キールはディアナに近寄って、マントを脱いだ。マントだけかと思っていたら、キールはベストも脱ぎ、白シャツ一枚の姿になった。
「キール? あの、なぜそんな格好に」
戸惑いを隠せないディアナは、壁ぎわまで後退した。無意識に逃げ道を目で探す。窓は締められてしまったし、廊下への扉も錠が下りていて、すぐには飛び出せない。
「ねんねのディアナ。まだ状況が飲み込めないの? 夜這いだよ、夜這い。聞いたこと、あるでしょ。愛しい人のもとへ忍び込む、あれだよ」
「よ、夜這い? よく、私の部屋が分かりましたね」
「わたしは、この国の王子だよ。この前は直接聞き出そうとして失敗したけど、少し調べれば、すぐに明らかになることさ。隣の部屋のベランダからこちらに飛び移るのは、ちょっと大変だったけどね。窓の鍵を締め忘れてくれていて、助かったよ。手荒な真似はしたくなかったし」
おそらく、王子は鍵が締まっていたら窓を破ってでも侵入しただろう。恐ろしい。
「おいでよ。明日どこに行くか、抱き合いながら考えよう。ふたりの将来のことでもいいし」
我が物顔で、キールはディアナの寝台にごろりと寝そべった。