銀の姫はその双肩に運命をのせて
第1幕 三兄弟は運命の回転を告げる
ディアナは、窓枠に寄りかかってぼんやりと月を眺めた。
十三夜の月が空に輝いている。晴れやかで見事なまでにうつくしいのに、心はどん底をさすらっている。
……振られた。破談になった。まだ、相手の顔さえ見ていないのに。どうしよう。
国では、このたびの婚礼を派手に祝福されてやって来た。今さら、のこのこと帰れるはずがない。
肖像画を見る限り、この国の王太子はそれほど美形ではないものの、やさしくて誠実そうな人だった。ディアナは、ルフォン国で一生を終える覚悟を決めていた。会ったこともない王太子に好意は芽生えなくても、ふるさとの期待を裏切るわけにはいかない。
古くから『銀の国』と呼び習わされたディアナの生まれ故郷・プレイリーランドは、世界でも有数な銀の産出国として広く知られていた。国土は狭いけれど、銀に支えられた人々の暮らしは豊かで、独立をよく保っていた。だが、昔から続く古い銀脈はほとんどが掘り尽くされてしまい、近年の生産は激減。新たなる銀脈も発見できずにいる。
銀脈を見つける能力は、銀の国の王族だけに血で受け継がれる。ディアナはその家系だ。銀色の天馬が飛んだ場所に、銀脈は隠されていると伝えられてきた。
ディアナの母は、現在でも国随一の識者として健在だ。若いときは、何頭もの天馬に銀脈を教えてもらったらしい。けれど母の力をもってしても、ここ数年は国をじゅうぶん潤すような銀脈は発見できなかった。現場の技術者は、ついに銀が枯渇したらしいと報告してきた。
銀が取れなくなったことで、次第に国の財政は傾き、破綻の危機寸前に陥った。有史以来国交がなかった隣国・ルフォンからの婚礼の打診を、表面上は渋りながらも、内心安堵しながら、いそいそと受け入れた。
『結婚支度金と交換に、銀脈を知るディアナを王太子妃に』
とはいえディアナ、実はまだ、銀脈を探し当てたことがない。天馬を見たことさえない。男性よりも、女性に銀脈を探る力は継がれるらしいから、たぶん能力そのものは秘めているはずだ。
銀の国の隣に位置しているルフォンも、本格的に銀脈探しに乗り出したいようで、銀の血をひくディアナを欲した。隣国が銀で賑わっているのだ、自国で出てもおかしくはない。銀の国の姫は、王太子の、しかも正妃として迎え入れる、という破格の条件だった。周辺の小国から、ルフォンの妃が出るのはごく稀のことらしい。国々に動揺を与えないため、婚礼直前までディアナとの婚約は隠された。
「結局、それがアダになったのよね」
王太子は、密かに寵愛していた身分の低い侍女とある夜、神の前で契約をし、電撃的に結婚してしまった。王もいっさい知らなかったという。神との契約を絶対視しているルフォンでは、離婚が認められていない。配偶者と死別した場合に限り、再婚が許されている。
ただし、第二夫人になるという手は残されていたが、単なる侍女の下に甘んじるなど、ディアナのプライドが許さなかった。小国とはいえ、ディアナも一国の姫として躾けられてきた。姫としての誇りは捨てられない。
それに、ディアナは早く子どもが欲しいのだ。ディアナの……銀の血を享けた子を。生まれた子が成長した暁には、男の子ならばこの国の王に、女の子が生まれたら銀の国の後継者にすると約束を取りつけていた。両国のためにも、子を、早く生みたい。アネット、という名前の侍女ひとりだけを連れて乗り込んできたディアナが楽になるには、子を生んで育てるしかなかった。
「すでに、らぶらぶな正妃がいるのに、第二夫人なんて入り込む余地がないわ。そんな修羅場、入りたくもないし」
正直、姫の結婚相手は誰でもよかった。特別な血を背負った自分が、恋を選べないことも幼いころから知っていた。ディアナにとって恋は、夢物語でしかない。もし望めるならば、夫となる人はやさしい人がいい、その程度だった。お相手は隣国の王子だと聞いたときも、深い感慨はなかった。嬉しいとも思わなかった。大国の王太子なら、生まれた子どもがいっそう大切にしてもらえるだろうな、それならまあいいか、そんな感想しかないまま、ルフォンまでやって来てしまった。
月を見ては、溜め息をつく。
これから、どうしよう。
……いくら悩んでも答えは出ない。
ディアナは、懐にしまってある守り刀の上に手を置いた。銀の国から持ってきた、大切な刀。出立のときに、父王から渡されたものだ。
銀の装飾がちりばめられた、目にも綾な祭祀用の刀は、ディアナが生まれたとき特別に作られた品だという。婚礼を機に、神殿に保管されていたものを出し、花嫁道具のひとつとして持たせてくれた。嫁いだとき、婚礼の式で夫と交換するために。
「せっかく、持ってきたのに。交換する相手がいないなんてね」
国に出戻ったところで、ディアナの身の置き場はない。結婚支度金という臨時収入で、国の財政破綻をどうにか凌いだのだ。銀脈どころか、天馬を探す能力も開花していないディアナの帰国は、銀の国を苦しめるだけだろう。
「ルフォンで銀脈を当てるか、正妃を蹴落とすか。ああ、いや。どちらも、いや。考えただけでも、怖ろしい」
もう寝よう、考えてもはじまらない。ディアナは窓を閉めて寝台に入った。
十三夜の月が空に輝いている。晴れやかで見事なまでにうつくしいのに、心はどん底をさすらっている。
……振られた。破談になった。まだ、相手の顔さえ見ていないのに。どうしよう。
国では、このたびの婚礼を派手に祝福されてやって来た。今さら、のこのこと帰れるはずがない。
肖像画を見る限り、この国の王太子はそれほど美形ではないものの、やさしくて誠実そうな人だった。ディアナは、ルフォン国で一生を終える覚悟を決めていた。会ったこともない王太子に好意は芽生えなくても、ふるさとの期待を裏切るわけにはいかない。
古くから『銀の国』と呼び習わされたディアナの生まれ故郷・プレイリーランドは、世界でも有数な銀の産出国として広く知られていた。国土は狭いけれど、銀に支えられた人々の暮らしは豊かで、独立をよく保っていた。だが、昔から続く古い銀脈はほとんどが掘り尽くされてしまい、近年の生産は激減。新たなる銀脈も発見できずにいる。
銀脈を見つける能力は、銀の国の王族だけに血で受け継がれる。ディアナはその家系だ。銀色の天馬が飛んだ場所に、銀脈は隠されていると伝えられてきた。
ディアナの母は、現在でも国随一の識者として健在だ。若いときは、何頭もの天馬に銀脈を教えてもらったらしい。けれど母の力をもってしても、ここ数年は国をじゅうぶん潤すような銀脈は発見できなかった。現場の技術者は、ついに銀が枯渇したらしいと報告してきた。
銀が取れなくなったことで、次第に国の財政は傾き、破綻の危機寸前に陥った。有史以来国交がなかった隣国・ルフォンからの婚礼の打診を、表面上は渋りながらも、内心安堵しながら、いそいそと受け入れた。
『結婚支度金と交換に、銀脈を知るディアナを王太子妃に』
とはいえディアナ、実はまだ、銀脈を探し当てたことがない。天馬を見たことさえない。男性よりも、女性に銀脈を探る力は継がれるらしいから、たぶん能力そのものは秘めているはずだ。
銀の国の隣に位置しているルフォンも、本格的に銀脈探しに乗り出したいようで、銀の血をひくディアナを欲した。隣国が銀で賑わっているのだ、自国で出てもおかしくはない。銀の国の姫は、王太子の、しかも正妃として迎え入れる、という破格の条件だった。周辺の小国から、ルフォンの妃が出るのはごく稀のことらしい。国々に動揺を与えないため、婚礼直前までディアナとの婚約は隠された。
「結局、それがアダになったのよね」
王太子は、密かに寵愛していた身分の低い侍女とある夜、神の前で契約をし、電撃的に結婚してしまった。王もいっさい知らなかったという。神との契約を絶対視しているルフォンでは、離婚が認められていない。配偶者と死別した場合に限り、再婚が許されている。
ただし、第二夫人になるという手は残されていたが、単なる侍女の下に甘んじるなど、ディアナのプライドが許さなかった。小国とはいえ、ディアナも一国の姫として躾けられてきた。姫としての誇りは捨てられない。
それに、ディアナは早く子どもが欲しいのだ。ディアナの……銀の血を享けた子を。生まれた子が成長した暁には、男の子ならばこの国の王に、女の子が生まれたら銀の国の後継者にすると約束を取りつけていた。両国のためにも、子を、早く生みたい。アネット、という名前の侍女ひとりだけを連れて乗り込んできたディアナが楽になるには、子を生んで育てるしかなかった。
「すでに、らぶらぶな正妃がいるのに、第二夫人なんて入り込む余地がないわ。そんな修羅場、入りたくもないし」
正直、姫の結婚相手は誰でもよかった。特別な血を背負った自分が、恋を選べないことも幼いころから知っていた。ディアナにとって恋は、夢物語でしかない。もし望めるならば、夫となる人はやさしい人がいい、その程度だった。お相手は隣国の王子だと聞いたときも、深い感慨はなかった。嬉しいとも思わなかった。大国の王太子なら、生まれた子どもがいっそう大切にしてもらえるだろうな、それならまあいいか、そんな感想しかないまま、ルフォンまでやって来てしまった。
月を見ては、溜め息をつく。
これから、どうしよう。
……いくら悩んでも答えは出ない。
ディアナは、懐にしまってある守り刀の上に手を置いた。銀の国から持ってきた、大切な刀。出立のときに、父王から渡されたものだ。
銀の装飾がちりばめられた、目にも綾な祭祀用の刀は、ディアナが生まれたとき特別に作られた品だという。婚礼を機に、神殿に保管されていたものを出し、花嫁道具のひとつとして持たせてくれた。嫁いだとき、婚礼の式で夫と交換するために。
「せっかく、持ってきたのに。交換する相手がいないなんてね」
国に出戻ったところで、ディアナの身の置き場はない。結婚支度金という臨時収入で、国の財政破綻をどうにか凌いだのだ。銀脈どころか、天馬を探す能力も開花していないディアナの帰国は、銀の国を苦しめるだけだろう。
「ルフォンで銀脈を当てるか、正妃を蹴落とすか。ああ、いや。どちらも、いや。考えただけでも、怖ろしい」
もう寝よう、考えてもはじまらない。ディアナは窓を閉めて寝台に入った。