銀の姫はその双肩に運命をのせて
識者に天馬と銀脈を
日々、王太子回復の知らせは耳に届くけれど、正式な許可が下りるまでは厩舎暮らしを続けていようと、ディアナは心に誓っている。
皆、反対した。姫が住むような場所ではない、と。
それでもディアナは動かなかった。
「ここが気に入ったの」
厩舎の人々はおおらかだ。場違いな珍客にも、平然としていた。
というか、ディアナの手が空いていようものならば、藁を運べだの、馬の飲み水を替えておけだの、慢性的に人手不足なのでどんどん仕事を押しつけてくる。
どこかの客人ということは知っているらしいが、特別扱いは一切ない起居を共にする仲間として受け入れてくれた。グリフィンが固く口止めしているようで、隣国の銀の国の姫、ということも現場には伝わっていないようだった。
そのひとり、厩の下働きが声をかけてくる。
「姫さん、藁を干しておいてくれ」
「はい」
嬉しそうに、ディアナは返事をする。
「手早くな。今はゆっくりでもいいが、向こうの宮殿に移ったら、人が少なくてあんたはもっと苦労するだろうよ。よくもまあ、あの偏屈な第二王子と懇ろになれたね」
「ね、懇ろ？」
「あれ、違うのか。第二王子とあんたが割りない仲になったから城を出ると、ここではもっぱらの噂だよ」
「わ、割りない、仲……？ 城を出る？」
「部屋は、向かいどうしだろ。いつでも通じ合えるように。客室から厩舎に移ってくるなんて、よっぽど王子に惚れているんだねって」
「違います！ 私、グリフィンとは親密な仲ではなくて、揉め事に巻き込まれてしまって、ここで謹慎しているんです」
「いーんだよ、そうムキになって否定しなくても。第二王子は顔もいいし、頭もいいし、若い娘は憧れるだろうね。分かるよ。ただ、血筋がほんの少し劣るだけで、とても難しい立場の御方なんだ」
知っている。ディアナは頷いた。
「王太子さまの病を機に、いろいろと憶測が飛んでいる。次期王太子はどちらなのか、と。第二王子か、第三王子か。我々としたら、もちろん第二王子派だが、そういう支援を王子が嫌がっている。王位に関心を持っていないことを表明するために、宮殿に退くんだ。てっきり、次の王太子の座は第三王子にくれてやる代わりに、愛しい女をとったと思ったのに……おっと、噂のご本人さまだ」
振り返ると、グリフィンがディアナたちの後ろに立っていた。
「怠けていたのか」
「いいえ、仕事の指示を」
「こいつは、客人だ。働かせるなと言っただろう！」
「でも私、じっとしているのは性に合いません。動きたいの」
「だめだ。指をこんなにして」
グリフィンが、ディアナの手を荒っぽく握った。
「ほら、乾燥してがさがさじゃないか。あちこちささくれ立っているし、切り傷までついている。若い女の手とは思えない」
「すぐに治ります」
「無茶するな。お前が傷ついて叱り飛ばされるのは、俺なんだ。キールから厭味を聞かされるのは、勘弁してくれ。それはそうと、王太子の噂は町でどれぐらい広まっている？」
姫には否定されたが、いかにも親しげなふたりの姿に当てられて棒立ちしていた下働きの者に、グリフィンは訊ねた。
「一時は自粛ムードでしたが、無事に快方に向かっているとのことで、市も活気を取り戻しています。ですが、どんな病だったのかと。まさか、流行り病だったら王太子の身がいっそう心配だ、と」
「だいじょうぶだ。さっき、目が覚めて、食事をはじめたそうだ」
「よかった！」
「近日中に、声も快復するだろう。お前には必ず呼び出しがかかる。せいぜい、綺麗にしておけ」
そんな言い方をしたら、いつもはキタナイみたいじゃないかとディアナは拗ねたが、グリフィンは笑っている。
何者かに、王太子が毒を盛られた事実は秘密にされている。グリフィンは『急な病』だと情報を操作し、厩の者を使って巧みに流した。
ディアナは勘づいていた。
グリフィンが厩舎に身を引いている理由は、王位継承問題だけではない。下の者と生活を共にし、裏で城を支えているのだ。そして、キールに姫を娶らせてふたりの立場が固まったところで、グリフィンは宮殿に移るつもりだろう。
「私も、連れて行ってください」
グリフィンの腕に縋り、ディアナは懇願した。
「はあ？ 連れて行く？ どこへ」
「決まっています、コンフォルダ宮殿です。とぼけないで。私、ルフォン城よりあちらのほうが好きです。のんびりしていて空気もいいし」
「なにを言っている。お前は、キールと婚礼を挙げるんだ。あいつにはお前が必要だ。身をわきまえろ」
「いやです。キールは、私がほしいわけじゃない。私の守り刀がほしいだけ。コンフォルダで、馬の世話をしながら天馬を探したいの」
「そんなことはない。キールについていけば、天馬も銀脈も要らない」
「天馬は、銀の姫の使命です」
「ならば国に帰って、銀の国で銀脈を探せばいい。経済危機なんだろう。わざわざ他国で余計な苦労をすることはない」
話を切り上げると、グリフィンはディアナの荒れている手指一本一本に、丁寧に薬油を塗りはじめた。くすぐったいけれど、文句は言わなかった。
ディアナはグリフィンの目を見た。ディアナの手指だけにじっと視線を注いでいる。爪の際や指の間にも油を塗り終えると、仕上げにポケットから白い手袋を出し、ディアナの手に被せた。
「作業は、もうするな。明日もあさっても。身の回りのことは、侍女に任せるんだ。王太子に呼ばれたら、キールとの結婚を乞え」
もう、ディアナの話を聞く姿勢ではなかった。グリフィンは姫の頭をとんとんと二度ほど叩くと、仕事に戻っていった。
「……告白、したつもりだったのに……通じなかったの？」
ディアナの本心に気がついたのか、気がつかなかったのか。
『ルフォンより、コンフォルダがいい』。
キールのそばより、グリフィンと共にありたいのに。
皆、反対した。姫が住むような場所ではない、と。
それでもディアナは動かなかった。
「ここが気に入ったの」
厩舎の人々はおおらかだ。場違いな珍客にも、平然としていた。
というか、ディアナの手が空いていようものならば、藁を運べだの、馬の飲み水を替えておけだの、慢性的に人手不足なのでどんどん仕事を押しつけてくる。
どこかの客人ということは知っているらしいが、特別扱いは一切ない起居を共にする仲間として受け入れてくれた。グリフィンが固く口止めしているようで、隣国の銀の国の姫、ということも現場には伝わっていないようだった。
そのひとり、厩の下働きが声をかけてくる。
「姫さん、藁を干しておいてくれ」
「はい」
嬉しそうに、ディアナは返事をする。
「手早くな。今はゆっくりでもいいが、向こうの宮殿に移ったら、人が少なくてあんたはもっと苦労するだろうよ。よくもまあ、あの偏屈な第二王子と懇ろになれたね」
「ね、懇ろ？」
「あれ、違うのか。第二王子とあんたが割りない仲になったから城を出ると、ここではもっぱらの噂だよ」
「わ、割りない、仲……？ 城を出る？」
「部屋は、向かいどうしだろ。いつでも通じ合えるように。客室から厩舎に移ってくるなんて、よっぽど王子に惚れているんだねって」
「違います！ 私、グリフィンとは親密な仲ではなくて、揉め事に巻き込まれてしまって、ここで謹慎しているんです」
「いーんだよ、そうムキになって否定しなくても。第二王子は顔もいいし、頭もいいし、若い娘は憧れるだろうね。分かるよ。ただ、血筋がほんの少し劣るだけで、とても難しい立場の御方なんだ」
知っている。ディアナは頷いた。
「王太子さまの病を機に、いろいろと憶測が飛んでいる。次期王太子はどちらなのか、と。第二王子か、第三王子か。我々としたら、もちろん第二王子派だが、そういう支援を王子が嫌がっている。王位に関心を持っていないことを表明するために、宮殿に退くんだ。てっきり、次の王太子の座は第三王子にくれてやる代わりに、愛しい女をとったと思ったのに……おっと、噂のご本人さまだ」
振り返ると、グリフィンがディアナたちの後ろに立っていた。
「怠けていたのか」
「いいえ、仕事の指示を」
「こいつは、客人だ。働かせるなと言っただろう！」
「でも私、じっとしているのは性に合いません。動きたいの」
「だめだ。指をこんなにして」
グリフィンが、ディアナの手を荒っぽく握った。
「ほら、乾燥してがさがさじゃないか。あちこちささくれ立っているし、切り傷までついている。若い女の手とは思えない」
「すぐに治ります」
「無茶するな。お前が傷ついて叱り飛ばされるのは、俺なんだ。キールから厭味を聞かされるのは、勘弁してくれ。それはそうと、王太子の噂は町でどれぐらい広まっている？」
姫には否定されたが、いかにも親しげなふたりの姿に当てられて棒立ちしていた下働きの者に、グリフィンは訊ねた。
「一時は自粛ムードでしたが、無事に快方に向かっているとのことで、市も活気を取り戻しています。ですが、どんな病だったのかと。まさか、流行り病だったら王太子の身がいっそう心配だ、と」
「だいじょうぶだ。さっき、目が覚めて、食事をはじめたそうだ」
「よかった！」
「近日中に、声も快復するだろう。お前には必ず呼び出しがかかる。せいぜい、綺麗にしておけ」
そんな言い方をしたら、いつもはキタナイみたいじゃないかとディアナは拗ねたが、グリフィンは笑っている。
何者かに、王太子が毒を盛られた事実は秘密にされている。グリフィンは『急な病』だと情報を操作し、厩の者を使って巧みに流した。
ディアナは勘づいていた。
グリフィンが厩舎に身を引いている理由は、王位継承問題だけではない。下の者と生活を共にし、裏で城を支えているのだ。そして、キールに姫を娶らせてふたりの立場が固まったところで、グリフィンは宮殿に移るつもりだろう。
「私も、連れて行ってください」
グリフィンの腕に縋り、ディアナは懇願した。
「はあ？ 連れて行く？ どこへ」
「決まっています、コンフォルダ宮殿です。とぼけないで。私、ルフォン城よりあちらのほうが好きです。のんびりしていて空気もいいし」
「なにを言っている。お前は、キールと婚礼を挙げるんだ。あいつにはお前が必要だ。身をわきまえろ」
「いやです。キールは、私がほしいわけじゃない。私の守り刀がほしいだけ。コンフォルダで、馬の世話をしながら天馬を探したいの」
「そんなことはない。キールについていけば、天馬も銀脈も要らない」
「天馬は、銀の姫の使命です」
「ならば国に帰って、銀の国で銀脈を探せばいい。経済危機なんだろう。わざわざ他国で余計な苦労をすることはない」
話を切り上げると、グリフィンはディアナの荒れている手指一本一本に、丁寧に薬油を塗りはじめた。くすぐったいけれど、文句は言わなかった。
ディアナはグリフィンの目を見た。ディアナの手指だけにじっと視線を注いでいる。爪の際や指の間にも油を塗り終えると、仕上げにポケットから白い手袋を出し、ディアナの手に被せた。
「作業は、もうするな。明日もあさっても。身の回りのことは、侍女に任せるんだ。王太子に呼ばれたら、キールとの結婚を乞え」
もう、ディアナの話を聞く姿勢ではなかった。グリフィンは姫の頭をとんとんと二度ほど叩くと、仕事に戻っていった。
「……告白、したつもりだったのに……通じなかったの？」
ディアナの本心に気がついたのか、気がつかなかったのか。
『ルフォンより、コンフォルダがいい』。
キールのそばより、グリフィンと共にありたいのに。
