銀の姫はその双肩に運命をのせて
 翌日の謁見では、さらに驚くべき事実がディアナを待っていた。

 ハイテンションの王。
 陶人形のような王妃。
 そして、王太子はサルだった。いや、サルによく似た風貌の人間だった。背は高いけれど、肉厚で胴が長く、毛深い。

「初めまして。きみが、銀の国のディアナ姫? かわいかったなあ。ほんのちょっとの差だったのに、先走っちゃって、ほんとうにごめんよー。俺って、罪深いねぇ、はぁ。姫が俺を許してくれなかったら、外交問題になっちゃうところだったよ。身を引いてくれて、ほんとうに感謝している」

 サル……いや、ロベルト王子が軽い口調で喋った。王も、そして王妃はとびきりうつくしいのに、なぜサル? 贈り物の中にあった肖像画とは、まるで別人ではないか。肖像画詐欺である。誇大広告である。

 しかもそもそも、身を引いた覚えは……まだないのに、王太子の中では、ディアナは円満に過去の人となっている。どうにか付けこむ隙はないものか、探ろうとしていたディアナだったが、満面の笑顔で拒否されてしまった。

「は、初めまして」

 顔をひきつらせながら、ディアナは挨拶するのがせいいっぱいだった。この人と結婚させられるところだったことを思うと、人間は容姿ではないといえ、素直に助かったと思ってしまう。いえいえ、毛深い人は情に厚いとか言うし、このサル王子もたくさんいいところがあるに違いない、たぶん。いえ、おそらく。ううん、絶対に。

 だって、王子の隣に立っている王太子妃、すっごくきれいな女性なのだ。化粧が上手なだけではない。華がある。きらびやかだけれど、品もいい。大胆に胸の開けている色っぽいドレスを着こなした細い体も、まったく厭味じゃない。姫を出し抜くように王太子を攫った人物なのに、全然憎めない。むしろ、憧れてしまうような気さえする。

「初めまして、銀の国のディアナ姫さま。どうぞ、お寛ぎください」

 完璧な笑み。声も、鈴の音のようにこころよく響いて愛らしい。ディアナもあわてて、ほほ笑みを返す。女の自分さえ、どきどきしてしまうぐらいに、あやしい目線を持っている人だった。

「いい妃なんだ。ディアナ姫との婚約を知っても、少しも動じなかったんだ。恋は、障害が大きいほど、張り切ってしまうものだね! 姫の存在を忘れて、神の前に誓いを立ててしまったよ」
「ま、いやですわ王子。ディアナ姫さまの前で」

 美女と野獣が人目を憚らず、らぶらぶである。ディアナ第二夫人の線は、完全に消滅した。ないない、絶対にありえない。
 すっかり戦意を喪失したディアナは、早々に帰国を切り出すタイミングを窺った。婚礼の支度金は合意で頂戴したのだ、なにもやましいことはない。今回の結婚が秘密裏に行われていたおかげで、ディアナが振られたことはまだどこにも漏れていない。ディアナは傷ものになっていないはずだった。今回の縁組は、闇から闇に葬り去られるだけ。気にすることはない、大国・ルフォンまでお気楽旅行をしに来たと考えればいい。

 目の前で延々と繰り広げられる若いふたりのいちゃいちゃぶりに、とうとう辟易した王が、ごほんと大きくひとつ咳払いをした。

「とにかく、ディアナ姫。銀の国には、今回の顛末と謝罪を詳細に書いた親書を、私が送っておくよ。ああそれと、グリフィンとキールも紹介しよう。さあ入ってくるがいい、我が王子たちよ」

 グリフィン? キール? 王子がまだ、いるの? ディアナは心で叫んだ。
 王太子がサルなら、きっとカバとかゾウとか、とんでもない面相の王子たちが出てきそう。まさに動物園的展開かと、ディアナは身構えた。

 けれど。
 開いた戸から現れたのは、サルでもカバでもゾウでもない、立派な人間の男性だった。
 ひとりはディアナよりもやや年上、二十歳ぐらいだろうか、さらさらの黒髪の美青年。
 もうひとりは、ディアナよりもやや幼い顔をした、明るい茶髪の美少年。

「私の王子、グリフィンとキールだ」

 って、似てない! まったく似ていない。サル王子と、ふたりの王子は似ても似つかない兄と弟だった。

「王太子さまのごきょうだい、ですか」
「ははは、驚いたかね。ご覧のとおり、王太子は霊長類顔なんだが、こっちはふたりとも、驚くほどに美形だろう。もちろん王太子も、心は美形なんだがねぇ。まずは、第二王子のグリフィン。さあ、前に出なさい」

 王の紹介に合わせて、王子は形ばかり軽く会釈した。視線はディアナのほうを見ずに、宙を浮いている。人見知りする性質なのだろうか、ディアナもなんとなく礼を返した。

 涼しい表情。美形なのに、隙がないから冷たく映る。見るからに寡黙そうだ。腰に刀を差している。よく鍛えてありそうな体からは、武人の香りも漂う。

「こちらは第三王子の、キール」
「ようこそ、かわいいディアナ姫さま。お会いできてとっても光栄です」

 屈託ない笑顔。えくぼがとても愛らしい。とても細身で、背が高い。ディアナの前まで出ると、腰を低くして一礼し、ディアナの手の甲にそっと唇をつけた。

「あとで、城の中を案内いたしましょう。少しは歩かれましたか」

 人懐っこい話し方に、ディアナもつられて自然に笑顔がこぼれた。

「いいえ。昨日は疲れてすぐに休んでしまったので」
「それでは、今すぐ参りましょうよ。いいですよね、王?」

 姫の手は、キールに握られたままだ。
 城の散策を、特に断る理由がない。けれどこの場を離れてよいものか。ディアナは王座のほうをそっと見上げた。

「ディアナ、王子の顔を立てて、この願いを聞いてくれるかな」

 迷っていたディアナを、王が促した。

「は、はい。喜んで。王子、よろしくお願いします」

 ぎこちなく、けれど姫の誇りであるほほ笑みは忘れずに応えた。

「ありがとう、ディアナ」
「グリフィンも行くのだぞ」

 グリフィン、と王に呼ばれた第二王子は不服そうだったけれど、小さく頷いてディアナの列に加わった。


 キール。
 ディアナ。
 グリフィン。
 それにディアナ唯一の侍女・アネット、の順で一行はぞろぞろと大広間を出た。

「こんなにかわいい人を逢わずに振るなんて、ロベルト兄さまはどうかしている。でも、しばらく滞在するんでしょう、ディアナ」
「……そうですね。そのつもり、です」
「隙があったら、城下の町を見に行きましょう。市とか、楽しいよ。闘鶏とかもね」

『暇』ではなくて『隙』、ときたところが悪事をしでかすようでおもしろい。おそらく、お忍びの達人なのだろう。キールの手は、まだディアナのそれをしっかりと繋いでいる。

「キール、ディアナ姫さんが困るだろう。姫さんは、そこらの町娘とは違う」

 グリフィンの非難に、ちぇっと舌打ちしたキールはようやく手を放した。その代わりに、耳打ちをする。

「グリフィンは融通の利かない堅物だから。だいじょうぶ、ちょっと門番に目を瞑っていてもらえば、すぐに城下さ。気に入ったもの、たくさん買ってあげるね。交易が盛んなルフォンには、面白いものがたくさんあるよ」

 耳もとで囁かれた甘い声に、ディアナは驚いた。他人の男性に、こんなに近づかれたことはない。素直に大きく飛びのいたディアナの動揺っぷりに、キールはおなかをかかえて笑いながら言う。

「見て、中庭だよ」

 廊を進むと、開けた場所に出た。グリフィンが口を開く。

「先ほどまで皆で集まっていた、大広間の正面。この庭には、神が宿っている」

 なるほど、小さな拝殿が立っている。王太子が婚礼を挙げたのは、きっとこの場所だろう。事務的な説明になると、グリフィンは俄然語りはじめた。

「ルフォン城の中心、最たる神域。王子たりとも、普段はこれ以上みだりに近づいてはならない決まりになっている」

 ディアナは拝殿に向かって、静かに頭を下げた。清浄な空気が漂っている。礼を終えたディアナは、ぴんっと背筋を正した。

「もっと賑やかな場所に行こうよ、グリフィン。厨房とかさ。今ごろは、パンを焼いているだろうから」
「そんな裏方を見せてどうする。姫さんは客人だ」
「いいじゃん、楽しければ。城で出されるパン、おいしいんだよ。ディアナはロベルト兄さまのことで落ち込んでいるんだから、少しでも盛り上げていかないと。わたしの部屋は東の棟なんだけど、ディアナの部屋は南の賓客棟?」
「ええ」

 もうあまり、落ち込んではいないけれど。気遣ってくれるのはうれしい。

「だったら、向こうだね。南の棟は、あっちのほうだから」

 キールが指を差した先には、同じような窓が並んでいた。なるほど、宿舎風になっている。自分の部屋はどこだろう、と反射的に窓を目で追ってしまう。

「どこか分かった? ディアナの部屋」
「ええと、三階の」

 ディアナは考えた。三階の……はじから何番目の部屋だったかしら。

「おい、莫迦正直に答えなくていいぞ、ディアナ姫さん。お前も、客人に碌でもない質問するな」
「ちぇっ。夜這いするときの参考にしようと思ったのに」

 キールは実に残念そうな顔をしていた。
 よ、夜這い? 夜這いって? まさか、そのつもりで部屋を聞き出そうと? 会ったばかりで、しかも年下そうなのに。

「行こう。ひとまわりしたら茶でも出す」

 グリフィンはディアナの背中をそっと押した。
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