この手を掴んで、離さないで〜猫被り令嬢は素直になれないようです〜
「――え?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「はい、父上」

 近い年頃の青年が、陰から歩み出してくる。すらりと背が高く、うつくしく整った顔立ち。金の髪を綺麗に撫でつけている。

「あなた、は」

「第2王子、フォンテーラ・シェバルコです。以後お見知りおきを」

 やっと現実を飲み込んだのは、青年の瞳に見つめられた時。

 あおい、海のように澄んだ碧玉の瞳。

 きらきらと光る美しいそれは、しかし自分にとっては信じられないものだった。

「私は……フォンテーラ殿下と……婚約するのですか」

 突っかえながらどうにか言い切った私を、変わらない表情で王が見下ろす。

「リチャードから聞いていなかったのか?」

「……はい」

「そうか。それではよくわからぬところも多いだろう。フォンテーラ」

「お部屋までお連れします」

 フォンテーラと呼ばれた青年がこちらに腕を出した。ぼんやりとしながら王にどうにか失礼にならない程度のお辞儀をし、それに手を伸ばす。

 何か話しかけられている気がしたが、曖昧に答える。どうやって連れてこられたのかもよくわからないまま、部屋の中に通された。

「ここがアマルダさまのお部屋です。足りないものがございましたら何なりとお申し付けを」

 前に何人も並んで座れそうな大きなドレッサーに、猫足の可愛らしいベッド。紅い花が挿された白磁の花瓶に、宝石があしらわれた照明。足りないものなんて、あるはずがない。いっそ無駄なくらいだ。

「いいえ……ありませんわ」

 恭しく椅子を引かれたので仕方なく座る。

 ――と、その瞬間、影がかかった。

「……何をされているのですか?」

 椅子の背に両手をつき、覆い被さるようにしてこちらを見下ろしている。ぐっと端正な顔が近づく。微かな息遣いが鼻先をくすぐる。

「あまりお美しいので、つい」

 にこ、とフォンテーラが笑う。細められた瞳、弧の形に緩められた唇、それだけ見れば完璧な笑顔だったが。

「そんな目をしてよくおっしゃいますね」

 瞳の奥の色は、ちっとも変わっていなかった。

「……そんなこと言われたの、初めてだな」

 ぴた、と動きを止めて僅かに面食らったようにフォンテーラが瞬く。

「面白いね、きみ。本当に興味が湧いてきたよ」

「はあ、白々しいですね。さっさと言ってはどうですか? でなければ私が言いましょうか」

 フォンテーラは先を促すように黙り込む。それに微かに苛立ちながら、息を吸う。

「『久しぶり』ね、フォン、と」
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