極上蜜夜~一夜の過ちから始める契約結婚~
「ああ、スリ被害に遭われましたか。では、早速遺失物の手続きを。……と言っても、一般職員休憩中か」


ローマに来てこの大使館を訪れる日本人の用件は、たいていそれだ……と言わんばかりの、大したことなさそうな口ぶり。
でも今は、彼の落ち着きっぷりが頼もしくて、安堵感が強まる。


ホッと小さな息を吐くと同時に、鼻の奥の方がツンとするのを感じた。
『いけない!』と思った時には、すでに遅く……。


「仕方ない。私が……ん? どうかし……」

「す、すみません。すみません……!」


とめどなく零れる涙を、止める術もなく。
冷たい大理石の床に座り込んだまま、泣きじゃくってしまった。


「えっ……」


目の前でいきなり泣き出した私に、彼もさすがにギョッとして、何度も瞬きを繰り返していた、けれど……。


「泣かれても、困るんですが」


言葉通り、困り果てた声色。
短く浅い息を吐いた後、床に座り込んだままの私を、ひょいと抱え上げた。


「っ!? なっ、なっ……!?」


ふわっと浮き上がる感覚に怯み、ひっくり返った声をあげた時には、驚きのあまり涙も嗚咽も引っ込んでいた。


「暴れないでください。そっちのソファに移動するだけです」


すぐ耳元で、そう告げられる。


「はっ……はいっ……」


私は小さく縮こまって、なんとかそれだけ返事をした。
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