遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日
しばらく歩き、町へ入った。一気に人が増え、だんだん騒がしくなっていく。
それでもまだ居住区であり家が並んでいるところだ。
そこを進む間に麓乎が急に言った。
「そちらから行こうか」
「……? 回り道では?」
町の中心へ行くのだと思っていた金香は疑問を覚える。麓乎の示した道は、どう見ても遠回りであったのだから。
「そちらですと寺子屋のほうへ行ってしまいますよ?」
そう言ったのだが麓乎は言葉を濁した。このようなお姿は初めて見る、と金香は思う。
なにかあるのだろうか。
思った次の瞬間。きゃん! と大きな音、というか声がした。ちょっとびっくりしたものの、金香はすぐに顔をほころばせた。
「ぽち!」
近くの家で飼われている子犬だ。白くてふわふわとしていてかわいらしい。
「また抜けだしてきたの?」
金香はその子に声をかけ、すかーとが地面につかないように気を付けながらしゃがみこんだ。
金香のことを知っている『ぽち』という名前の子犬は嬉しそうに近付いてくる。
「せんせ、……。……麓乎さん。この子はそこのおうちで飼われている……」
ああ、最初から『先生』と呼びかけてしまった。あれだけ自分に言い聞かせたのに。
ちょっと後悔しながら金香は麓乎を見上げたのだが。
「ああ……その先の角を曲がったところのお宅だろう」
麓乎の様子は明らかに違っていた。
こちらを見ない。おまけに落ち着きがなかった。
このような様子は見たことがなく、金香は大変驚いた。
そしてあることに気が付いてしまう。
『その先の角を曲がったところ』というのは麓乎が避けようとしていた道なのである。
「……犬は、苦手なのでしょうか」
おそるおそる金香が訊いたこと。
返事は返ってこなかった。
このようなことは起こったことがない。
そしてそれは、金香の言った言葉が事実であることを示していた。
金香は改めて驚いてしまう。
「かわいらしいですよ」と言ったが麓乎の態度は変わらない。
「ほら、とても大人しいです」
金香が手を出すと、ぽちはその手を軽く舐めてきた。犬の『親愛』を示す表現。
金香の顔がほころぶ。
しかし麓乎はそれを見もしなかった。ただ、言う。
「大人しいなど。吠えるだろう」
このような声や物言いは聞いたことがない。本当に苦手なのだろう。
「そりゃあ、犬ですから」
金香が言ったときまた、ぽちが鳴いた。
麓乎はびくりとする。
それはなんだかかわいらしくすらあって金香はつい笑みを浮かべてしまった。
麓乎には悪いと思ったがそこで気付いた。
自分は麓乎のことを、なにも怖いもののない完璧なひとなのだと思っていたのだと。
しかし現実は違うようだ。このような小さな子犬などを苦手とするようなところもある。
「ほら、もう行こう」
近くにも居たくないという声で麓乎は言い金香を促した。
微笑ましいとは思ったが苦手としているものの近くに長居させるのは酷だ。思って大人しく従う。
そっと立ち上がった。
「はい。じゃあね、ぽち。ちゃんとおうちへ帰るのですよ」
きゃん、と返事をするようにぽちは鳴き、麓乎は更に足を速くした。
それを追いかけて、やっと隣に並ぶ。
ぽちから随分離れて、やっと麓乎は歩く速度を落としてくれた。ほっとした、という空気になる。
しかしそれは大変きまりが悪い、という様子をまとっていたので金香はつい言っていた。
「麓乎さんにも、苦手なものがあるのですね」
それは麓乎の気分を害したらしい。
金香をからかうときとは違う意味で、子供っぽくもあるような声で言った。
「……誰しも、ひとつやふたつはあるだろう」
「そうですけど」
気付けたこと。
知れたこと。
なんだか麓乎を身近に感じて、ふふ、と笑ってしまって、麓乎に軽く睨むような視線をやられたのだった。
それでもまだ居住区であり家が並んでいるところだ。
そこを進む間に麓乎が急に言った。
「そちらから行こうか」
「……? 回り道では?」
町の中心へ行くのだと思っていた金香は疑問を覚える。麓乎の示した道は、どう見ても遠回りであったのだから。
「そちらですと寺子屋のほうへ行ってしまいますよ?」
そう言ったのだが麓乎は言葉を濁した。このようなお姿は初めて見る、と金香は思う。
なにかあるのだろうか。
思った次の瞬間。きゃん! と大きな音、というか声がした。ちょっとびっくりしたものの、金香はすぐに顔をほころばせた。
「ぽち!」
近くの家で飼われている子犬だ。白くてふわふわとしていてかわいらしい。
「また抜けだしてきたの?」
金香はその子に声をかけ、すかーとが地面につかないように気を付けながらしゃがみこんだ。
金香のことを知っている『ぽち』という名前の子犬は嬉しそうに近付いてくる。
「せんせ、……。……麓乎さん。この子はそこのおうちで飼われている……」
ああ、最初から『先生』と呼びかけてしまった。あれだけ自分に言い聞かせたのに。
ちょっと後悔しながら金香は麓乎を見上げたのだが。
「ああ……その先の角を曲がったところのお宅だろう」
麓乎の様子は明らかに違っていた。
こちらを見ない。おまけに落ち着きがなかった。
このような様子は見たことがなく、金香は大変驚いた。
そしてあることに気が付いてしまう。
『その先の角を曲がったところ』というのは麓乎が避けようとしていた道なのである。
「……犬は、苦手なのでしょうか」
おそるおそる金香が訊いたこと。
返事は返ってこなかった。
このようなことは起こったことがない。
そしてそれは、金香の言った言葉が事実であることを示していた。
金香は改めて驚いてしまう。
「かわいらしいですよ」と言ったが麓乎の態度は変わらない。
「ほら、とても大人しいです」
金香が手を出すと、ぽちはその手を軽く舐めてきた。犬の『親愛』を示す表現。
金香の顔がほころぶ。
しかし麓乎はそれを見もしなかった。ただ、言う。
「大人しいなど。吠えるだろう」
このような声や物言いは聞いたことがない。本当に苦手なのだろう。
「そりゃあ、犬ですから」
金香が言ったときまた、ぽちが鳴いた。
麓乎はびくりとする。
それはなんだかかわいらしくすらあって金香はつい笑みを浮かべてしまった。
麓乎には悪いと思ったがそこで気付いた。
自分は麓乎のことを、なにも怖いもののない完璧なひとなのだと思っていたのだと。
しかし現実は違うようだ。このような小さな子犬などを苦手とするようなところもある。
「ほら、もう行こう」
近くにも居たくないという声で麓乎は言い金香を促した。
微笑ましいとは思ったが苦手としているものの近くに長居させるのは酷だ。思って大人しく従う。
そっと立ち上がった。
「はい。じゃあね、ぽち。ちゃんとおうちへ帰るのですよ」
きゃん、と返事をするようにぽちは鳴き、麓乎は更に足を速くした。
それを追いかけて、やっと隣に並ぶ。
ぽちから随分離れて、やっと麓乎は歩く速度を落としてくれた。ほっとした、という空気になる。
しかしそれは大変きまりが悪い、という様子をまとっていたので金香はつい言っていた。
「麓乎さんにも、苦手なものがあるのですね」
それは麓乎の気分を害したらしい。
金香をからかうときとは違う意味で、子供っぽくもあるような声で言った。
「……誰しも、ひとつやふたつはあるだろう」
「そうですけど」
気付けたこと。
知れたこと。
なんだか麓乎を身近に感じて、ふふ、と笑ってしまって、麓乎に軽く睨むような視線をやられたのだった。