遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日
「では、一時間後に」
車を降りた麓乎は封筒……料金だろう……を車夫に渡して、そう言った。一時間後にまた迎えに来てくれるということらしい。
その間にも、金香は目を奪われていた。
とてもうつくしい。
いろんな花が咲いているようだったが、特に目についたのはチューリップだった。
たくさん植わっている、色とりどりのチューリップ。
すっかり春だ。チューリップの花たちは春の訪れを喜んでいるかのように、良く開いて陽のひかりを浴びていた。
「綺麗だろう。今が見ごろだ」
「……とても美しいです」
やはり手を引かれて花の間の道をゆく。
ほかにひとはいなかった。町から少し離れているためだろうか。
二人で花の咲き誇る中をゆくうちに、思い出した。
初めて寺子屋で麓乎を見たとき。
花のようなひとだと思った。
派手に咲く花ではない。野にたおやかに咲く一輪のようだと。
まるでその一輪がたくさん咲き誇り、包まれているようだと感じてしまった。
歩くうちに麓乎が言った。金香の思っていた、出逢ったときのことを。
「初めて逢ったとき、文を書いたろう」
「……はい。そうでした」
麓乎に言われたのだ。
「きみもなにか書いてみるかい」と。
初めて交わした言葉。
「あのとき男の子が『大切なひとは、お母さん』と書いて、きみは『寺子屋の皆が大切』と書いたけれど」
「はい」
会話の途中だったがひらけた場所へたどり着いた。広場のようになっている場所だ。
小さな広場はチューリップに囲まれていた。
本当に花に包まれてしまった、と思ったのだが。
立ち止まった麓乎は金香の手を離して、抱えていた風呂敷包みの結び目をほどいた。
出てきたものに金香の息が止まる。
それは桃色の薄紙の上から透明な紙に包まれ束ね、根元を紅いりぼんでくくられた桃色のチューリップの花束だった。何本あるかもわからない。
「私はきみに、大切だと思える家族をあげたい」
なにも言えずに花束を見つめてしまった。
家族。
それは金香にとって、特別な言葉だった。
父親に新しい伴侶ができて、独りぼっちになった気持ちになって、泣いた日。
あの夜、麓乎は一晩中、傍に居てくれた。
それだけでじゅうぶんだと思っていたのにそれ以上だ。
視線をあげると、焦げ茶の瞳と視線が合った。
やさしい色。
ここに生きるたくさんのチューリップを育んでいるような、大地の色だ。
「ピンクのチューリップは『誠実な愛』。私はそんなきみに誠実な愛を誓うよ」
出逢ったときから惹かれていた、低音ながらやわらかくて優しい声で言われて、金香は理解した。
一生のことだ。このひとが傍に居てくれるのは。
あの夜言ってくださった、「私はきみを独りになどしない」。
その気持ちを形にして、今ここで贈られようとしているのだ。
「そんな、私は、……麓乎さんになにもあげられていないのに」
やっと口に出した声はかすれてしまった。金香のその言葉はやわらかく否定される。
「そんなことはない。私はたくさんのものをいただいているよ」
小さく首を振り、花束を撫でる。
「きみという愛するひとの存在自体もそうだし、愛する人を想える幸せも、きみに触れる権利も、なによりきみの真摯な想いを。それでも『なにもあげられていない』と?」
返す言葉もなかった。
そんな些細なことだというのに、と思って金香はすぐにその思考を否定した。
きっとそれは『些細』などではない。なにより大きく、大切なことだ。
金香の気持ちをすべてわかった、という声で願われる。
「きみも、私の家族になってくれるかい」
ぐっと喉元まで涙がこみあげた。
しかし今度のものは、悲しみやさみしさ、恐怖からではない。
有り余る、幸福感からのもの。
しかし泣くよりも金香は微笑(わら)った。
答えなど決まっているのだから。
「私で良ければ、よろこんで」
車を降りた麓乎は封筒……料金だろう……を車夫に渡して、そう言った。一時間後にまた迎えに来てくれるということらしい。
その間にも、金香は目を奪われていた。
とてもうつくしい。
いろんな花が咲いているようだったが、特に目についたのはチューリップだった。
たくさん植わっている、色とりどりのチューリップ。
すっかり春だ。チューリップの花たちは春の訪れを喜んでいるかのように、良く開いて陽のひかりを浴びていた。
「綺麗だろう。今が見ごろだ」
「……とても美しいです」
やはり手を引かれて花の間の道をゆく。
ほかにひとはいなかった。町から少し離れているためだろうか。
二人で花の咲き誇る中をゆくうちに、思い出した。
初めて寺子屋で麓乎を見たとき。
花のようなひとだと思った。
派手に咲く花ではない。野にたおやかに咲く一輪のようだと。
まるでその一輪がたくさん咲き誇り、包まれているようだと感じてしまった。
歩くうちに麓乎が言った。金香の思っていた、出逢ったときのことを。
「初めて逢ったとき、文を書いたろう」
「……はい。そうでした」
麓乎に言われたのだ。
「きみもなにか書いてみるかい」と。
初めて交わした言葉。
「あのとき男の子が『大切なひとは、お母さん』と書いて、きみは『寺子屋の皆が大切』と書いたけれど」
「はい」
会話の途中だったがひらけた場所へたどり着いた。広場のようになっている場所だ。
小さな広場はチューリップに囲まれていた。
本当に花に包まれてしまった、と思ったのだが。
立ち止まった麓乎は金香の手を離して、抱えていた風呂敷包みの結び目をほどいた。
出てきたものに金香の息が止まる。
それは桃色の薄紙の上から透明な紙に包まれ束ね、根元を紅いりぼんでくくられた桃色のチューリップの花束だった。何本あるかもわからない。
「私はきみに、大切だと思える家族をあげたい」
なにも言えずに花束を見つめてしまった。
家族。
それは金香にとって、特別な言葉だった。
父親に新しい伴侶ができて、独りぼっちになった気持ちになって、泣いた日。
あの夜、麓乎は一晩中、傍に居てくれた。
それだけでじゅうぶんだと思っていたのにそれ以上だ。
視線をあげると、焦げ茶の瞳と視線が合った。
やさしい色。
ここに生きるたくさんのチューリップを育んでいるような、大地の色だ。
「ピンクのチューリップは『誠実な愛』。私はそんなきみに誠実な愛を誓うよ」
出逢ったときから惹かれていた、低音ながらやわらかくて優しい声で言われて、金香は理解した。
一生のことだ。このひとが傍に居てくれるのは。
あの夜言ってくださった、「私はきみを独りになどしない」。
その気持ちを形にして、今ここで贈られようとしているのだ。
「そんな、私は、……麓乎さんになにもあげられていないのに」
やっと口に出した声はかすれてしまった。金香のその言葉はやわらかく否定される。
「そんなことはない。私はたくさんのものをいただいているよ」
小さく首を振り、花束を撫でる。
「きみという愛するひとの存在自体もそうだし、愛する人を想える幸せも、きみに触れる権利も、なによりきみの真摯な想いを。それでも『なにもあげられていない』と?」
返す言葉もなかった。
そんな些細なことだというのに、と思って金香はすぐにその思考を否定した。
きっとそれは『些細』などではない。なにより大きく、大切なことだ。
金香の気持ちをすべてわかった、という声で願われる。
「きみも、私の家族になってくれるかい」
ぐっと喉元まで涙がこみあげた。
しかし今度のものは、悲しみやさみしさ、恐怖からではない。
有り余る、幸福感からのもの。
しかし泣くよりも金香は微笑(わら)った。
答えなど決まっているのだから。
「私で良ければ、よろこんで」