遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日
彼女、音葉さんは夕刻前には帰っていった。
「先生、お世話になりました」
何故か自室でそわそわとなにも手につかずに過ごした、数刻。
日が暮れる少し前に外から、廊下からそのような彼女の声と先生とのやりとりが聞こえた。
ああ、お帰りになるのだわ。
廊下をひとの歩く気配がして、玄関のほうでやはり声がした。
金香は音を立てないようにそっと自室の扉を開ける。
細く開けた扉の向こう。先生の背中が見えた。音葉さんを見送っているのだろう。
彼女の姿は見えなかった。もう履物を履いて玄関に立ってしまったのだろう。
「ではね」という先生の言葉を最後に靴音が土を踏む、じゃり、という音が聞こえた。
音葉さんが帰られる。
つまり先生が屋敷の中へ戻ってこられる。
金香は慌てて、しかし音を立てないように気を付けて扉を閉めた。
部屋の中で正座をしながら金香は戸惑っていた。
このような覗き見をするようなことを。
どうしてこんなことをしてしまったのかすらわからなかった。
そしてほっとしてもいた。彼女が帰ったことに。
やはりどうして落ち着けずにいたのか、そして彼女が帰ったときほっとしてしまったのか。
それは一言でいうならあの女性が先生と恋仲なのではないか、と思ってしまったから。
ありえない事態ではないだろう。というかその可能性は高いと、少なくとも金香は思ってしまった。
そして思った。
これまで先生の周りに女性の気配を感じたことは無かったと。
兄である志樹も婚約者がいるというのだ。少し年下とはいえ先生ももう所帯を持ってもおかしくないような年齢だ。恋仲の女性くらいはいらっしゃるのでは。
ここまでまるでその類のことを考えなかったのはどうしてだろう。
金香はそのことにも戸惑った。
もしかすると、自分は先生のことをあまりよく知っていなかったのでは。
いえ、別に先生に恋仲の女性がいらしても。
そこは先生の個人的な事情なのだから私が踏み込んでいい領域では。
しかし考え込みすぎて日が暮れたにもかかわらず厨の手伝いに出るのも忘れていた。
やっと気づいて慌てて厨に駆け込んだときには既に夕餉の支度は整っていて「金香ちゃん、お昼寝でもしていたのかい」と煎田さんにからかわれてしまった。
「先生、お世話になりました」
何故か自室でそわそわとなにも手につかずに過ごした、数刻。
日が暮れる少し前に外から、廊下からそのような彼女の声と先生とのやりとりが聞こえた。
ああ、お帰りになるのだわ。
廊下をひとの歩く気配がして、玄関のほうでやはり声がした。
金香は音を立てないようにそっと自室の扉を開ける。
細く開けた扉の向こう。先生の背中が見えた。音葉さんを見送っているのだろう。
彼女の姿は見えなかった。もう履物を履いて玄関に立ってしまったのだろう。
「ではね」という先生の言葉を最後に靴音が土を踏む、じゃり、という音が聞こえた。
音葉さんが帰られる。
つまり先生が屋敷の中へ戻ってこられる。
金香は慌てて、しかし音を立てないように気を付けて扉を閉めた。
部屋の中で正座をしながら金香は戸惑っていた。
このような覗き見をするようなことを。
どうしてこんなことをしてしまったのかすらわからなかった。
そしてほっとしてもいた。彼女が帰ったことに。
やはりどうして落ち着けずにいたのか、そして彼女が帰ったときほっとしてしまったのか。
それは一言でいうならあの女性が先生と恋仲なのではないか、と思ってしまったから。
ありえない事態ではないだろう。というかその可能性は高いと、少なくとも金香は思ってしまった。
そして思った。
これまで先生の周りに女性の気配を感じたことは無かったと。
兄である志樹も婚約者がいるというのだ。少し年下とはいえ先生ももう所帯を持ってもおかしくないような年齢だ。恋仲の女性くらいはいらっしゃるのでは。
ここまでまるでその類のことを考えなかったのはどうしてだろう。
金香はそのことにも戸惑った。
もしかすると、自分は先生のことをあまりよく知っていなかったのでは。
いえ、別に先生に恋仲の女性がいらしても。
そこは先生の個人的な事情なのだから私が踏み込んでいい領域では。
しかし考え込みすぎて日が暮れたにもかかわらず厨の手伝いに出るのも忘れていた。
やっと気づいて慌てて厨に駆け込んだときには既に夕餉の支度は整っていて「金香ちゃん、お昼寝でもしていたのかい」と煎田さんにからかわれてしまった。