密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
「大丈夫、そんなに必死にならなくてもちゃんと伝わっているよ。サリアの気持ちを疑ったことはない。今までありがとう」

「感謝されるようなこと、私は何も!」

「自分で訊いておいてこんなことを言うのもおかしいけど、照れるものだね」

 照れたお姿は貴重だと興奮していれば、またも主様は表情を陰らせてしまった。まさか私の邪な思考がばれて?

「だとしたら……。話を戻すけど、どうして会いに来てくれなかったんだ?」

「それは……熱っ!」
 
 動揺から、手元に力が入りすぎてしまった。ちょうど湯を注ぐタイミングだったことも災いし、手元に熱湯が跳ねてしまう。

「平気!?」

 主様を驚かせてしまうなんて、拙いミスを犯した自分が恥ずかしい。こんなことでは密偵をクビになっても仕方ない。
 主様は恐れ多くも席を立ち、私の隣へといらっしゃる。優しい主様は目の前で部下が傷つくのを見過ごせないのでしょう。私の手を取り、水で冷やして下さいました。少しでも寛いでほしかったのに、失態だ。

「ああ、これはいいね」

 私は失態を恥じていたのに、そばで見上げる主様の声は弾んでいる。そのお姿を見つめていると、無言のまま主様の両腕が伸び、私の口からは間の抜けた声が出た。
 左右には主様の腕がある。気が付けば私は主様の腕に囲われ、逃げ場を失っていた。まるで私を捕らえるための檻のようだ。

「これで逃げられないね」

「な、何をなさるのですか!?」

 私には逃げるつもりなど少しもないのに。

「ゆっくり話をしたいだけだよ。ちゃんと君の目を見てね」

 宣言通り、じっくりと瞳を除かれている。隠していた想いまで見透かされそうで怖ろしかった。
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